第314話 トゥヌバ塩湖の幽霊(2)
受付のお兄さんの必死の懇願と、背後に控えていたこの街の冒険者の皆さんの視線に押し負け、僕らは幽霊討伐の依頼を受ける事にした。
--なんか字面が面白いな、幽霊討伐。さておき、もちろん雰囲気に負けた事だけが依頼を受けた理由じゃない。
受付のお兄さんも言っていた通り、ここトゥヌバで塩が採れなくなると周囲一帯が大変不味いことになる。
塩分の欠乏は、軽症なら吐き気やめまいくらいで済むけど、重症なら死ぬこともあるらしい。塩が無いと人は生きていけないのだ。
この日照量の少ない状況で弱った樹人族なら、軽症の塩分欠乏でも死に繋がってしまうかも知れない。
呪炎竜はもちろん最優先なのだけれど、こちらも放置するわけにはいかなかったのだ。
依頼を受けた日の翌朝。宿を出た僕らは、早速街に隣接した塩湖に向かった。
当初、塩の採集をする作業員のどなたかに案内を頼もうとしたのだけれど、びびってしまって誰も受けてくれなかった。
仕方なく、僕らだけで草木もほとんど無い荒涼たる山道を走っていくと、小一時間ほどで無事に目的地に辿り着く事ができた。
「ここがトゥヌバ塩湖かぁ。話には聞いてたけど、ひっろいなぁ……」
火山灰に覆われた暗い空の下、遠くには赤い光を放って噴煙を上げ続けているラスター火山が見える。
そして僕らの目の前には、空を映した黒くひたすらに平坦な水面がどこまでも広がっていた。
鏡写しになったそれのせいで、自分が暗黒の空の上に立っているかのような錯覚を覚えてしまう。
近場に目を向けると、ところどころに人の膝丈くらいの塩の山が作られている。
塩湖の水深は数cmほどしかなく、すぐ下には白い塩の層が見えるほどに浅い。
この塩の層を削って山にして、乾燥させてから採取するのだそうだ。
今は乾季なので普通は水は張ってないそうなのだけれど、水魔法使いが定期的に水で火山灰を洗い流しているのでこの状態らしい。
「確かにすごい光景ですね…… 天気が良かったらもっと綺麗なんでしょうけど」
プルーナさんが残念そうに呟く。
「あはは、確かにそうだね。でも、こんなに平坦で遮蔽物も殆ど無い場所で、どうやって人を攫うんだろう……
--そういえばロスニアさん。あの受付のお兄さんに何か言いたそうにしていましたけど、その、聖教会的に幽霊とか悪霊って存在するんでしょうか?」
組合での様子を思い出してロスニアさんに聞いてみると、彼女は少し苦笑気味に答えてくれた。
「えっと、そうですね…… そういった存在が人や物に入り込み、現世に何か悪い影響を与えるという事は世間ではよく言われていますね。
でも、実際には勘違いや見間違い、あるいは精神の失調や病が原因であることが殆どなんだそうです。
そういう状況にある人々の心を慰撫し、気付きへのお手伝いや治療を行うのも、私達聖職者の大切な仕事なんです」
「な、なるほど…… こう言っては失礼ですが、すごく現実的なんですね」
予想外の答えにびっくり。でも、この世界における聖職者は医者の側面も持っている。というか、実質的にはそっちの比重の方がだいぶ大きい気がする。
そんな人達が存在があやふやなものに対してどう向き合うかを考えると、今のような感じになってしまうんだろうな……
「うふふ。もちろんこれは皆さん向けの説明で、一般の信徒の方には伝え方を変えますよ?
ただ、今回は実害が出てしまっています。それが幽霊と呼ぶべき存在かは分かりませんが、この塩湖のどこかに人々を消し去ってしまう何かがあるはずです」
優しげな笑みを引っ込めた彼女は、険しい視線を塩湖の水平線に向けた。
「ええ。無音で空を飛ぶ魔物、未発見の落とし穴…… 可能性は色々と考えられます。その何か、この塩湖における異常を探しましょう。
分散した方が効率的に調べられるでしょうが、今回は安全重視で密集した隊列で、全方位を警戒しながら慎重に進みます。
シャム、キアニィさん、ゼルさん。視覚や聴覚に優れたみんなが頼りです。では、行きましょう!」
「「応!」」
「……」
みんなが号令に応えてくれたので早速取り掛かりたかったのだけれど、シャムだけ返事をしてくれなかった。
彼女は怯えるようにキョロキョロと辺りを見回しながら、隣のヴァイオレット様の服の裾をちんまりと掴んでいる。これは--
「シャム、大丈夫?」
声を掛けると、彼女はびくりと体を震わせてから僕に向き直った。
「な、なんでありますか!? 幽霊なんて居ないであります! 呼称を未確認の脅威などと改めるべきであります!
ロスニアの言う通り、勘違いや見間違いに決まっているであります!」
自分に言い聞かせるように声を荒げるシャムに、全員で顔を見合わせてしまった。
めちゃくちゃ怖がってる…… でもそうか。彼女は目覚めてまだ二年目だから、無理もないか。街の人たちも同じような反応をしていたし。
「そうだな。そして向こうがこちらに干渉できるという事は、こちらも向こうに干渉できるはずだ。感覚に優れたシャムならば、その未確認の脅威も発見できるだろう」
「そ、そうであります! その通りであります! ヴァイオレット、視点が高い方が捜索がし易いであります! 背中に乗せて欲しいであります!」
「ふふっ。あぁ、もちろんだとも」
シャムはそう言ってシャムはいそいそとヴァイオレット様の馬体の背に上り、上半身の背中にひしっと掴まった。
うーん…… 反応がとても可愛いけど、今回は彼女をあんまり頼れないかも。
キアニィさんとゼルさんに視線を向けると、二人とも笑いながら頷いてくれた。
「じゃ、じゃあ今度こそ行きましょう!」
「「応!」」
普段よりお互いの距離が近い隊列になった僕らは、慎重に塩湖へ足を踏み入れた。
トゥヌバ塩湖は、短い所でも幅100kmを超えるらしくともかく広い。僕らだけでは、その全部を捜索することはとても不可能だ。
なので、街の近くの一定の領域を、シャムの高精度な自己位置推定能力に基づいて効率的に捜査していく方針だ。
周囲に灯火をいくつも浮かべ、五感を研ぎ澄ましながらぱしゃぱしゃと浅い水の中を歩く。
今の所、水平線と時折見かける塩の山くらいしか見つからない。異常無しだ。
本当に、居なくなった人たちは何処へ消えたのか、あるいは、どうやって消したのか……
そのまま何も見つからないまま時間は過ぎ、時刻はお昼になった。
「そろそろお昼休憩しましょうか。ぶっ続けでやっても集中が続きませんから」
「ああ、それが良いだろう。しかし、ここは塩が使い放題でいいな」
僕の提案に、メームさんが商人らしいコメントを返してくれた。
「あはは、確かにそうですね。では岸の方に--」
パシャッ……
「「……!」」
突然響いた水音の方に向かって、全員が武器を構える。
しかし僕らの視線の先には、少し崩れた塩の小山があるだけだった。その小山の周囲で僅かに水面が波打っている。水面が波打っている。
「ふぅ…… 塩の小山が崩れただけみたいですね」
そう安堵の息を吐いてみんなの方を向き直ると、そこにメームさんの姿が無かった。
「え……!? メームさん!? メームさんどこですか!?」
「バカな……! あの一瞬で……!?」
「おいメーム! 返事するにゃ!」
「う、嘘であります……! 可視光でも赤外線でも何も見えないであります!」
全員で左右を見回しながら、必死にメームさんの名前を呼ぶ。
しかし、無情にも返事は返って来ず、見えるものはやはり黒い水平線と塩の小山くらいだった。
そんな…… ありえない。一体、何がどうやって…… メームさん……!
足元から這い上がってくるような絶望感を感じながら、必死に辺りを見回し続けるけどやはり何も見つからない。
するとその時、ぽたり、と頬が濡れる感触があった。
反射的に頬に触れ、その手を見て見ると暗い中でも目立つ朱色。血だった。
弾かれるように上を見上げると相変わらず暗い空が広がっている。
しかし、その何も無いはずの虚空から、またぽたりと血が滴り落ちてきた。
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