第311話 天からの火(2)
ちょっと長めです。
先ほどまで聳え立っていた天を突く光の大樹は幻のように消え、街の向こう側半分が火の海に変貌した。
遠くからは小規模な倒壊音が続き、人々の絶望的な悲鳴が響いてくる。
湖に避難した僕らは、その状況に誰もが呆然とし、動けないでいた。
これが神託にあった大いなる災厄なのか……? いや、さっきの光の柱はそれよりも……
隣から激しい息遣いが聞こえそちらに目を向けると、ロスニアさんが目を見開き、ただならぬ様子で膝を着いた所だった。
「あぁ…… あぁぁぁぁぁ!! そんな…… 神よ、何故なのですか!? 何故!?」
頭を振りながら慟哭する彼女の息が乱れ、過呼吸のようになる。
僕は慌てて彼女の側にしゃがみ、ゆっくりと背中をさすった。
「落ち着いてロスニアさん! ゆっくり息を吐いて下さい! ゆっくりです!」
「はっ、はっ、はっ……! 何故、何故……」
燃え続ける街を凝視し、何故、とうわ言のように繰り返している。どうやら彼女は、僕と同じ答えに行き着いたようだった。
先ほど天から降り注いだ光の柱、あれを見た瞬間に頭に浮かんだのは、災厄ではなく神罰という言葉だった。
聖教の聖典にも、創造神の怒りに触れ、同じように天からの火で滅ぼされた街の逸話が出てくる。
戒めのために作られたお話だと思っていたけど、それがまさか目の前で起こるなんて……
ロスニアさんの呼吸が落ち着いてきたところで、キアニィさんも彼女の隣にしゃがんだ。
「……ロスニア、嘆いている暇はありませんわぁ」
しかし彼女は、ロスニアさんを慰める訳でもなくそんな言葉を発した。
「キ、キアニィさん……!?」
思わぬ厳しい言葉に声を上げた僕に構わず、彼女はロスニアさんの背中に手を触れ、燃える街を指差した。
「あの炎の中には、助けを待つ怪我人がきっと大勢いますの。そして、わたくし達ではその方達を助け出すことができたとしても、治療することはできませんわ……
でもロスニア。司祭であるあなたなら、きっと多くの命を救えますの。
神に文句を言うのは後にして、今は目の前の人を助けませんこと?」
静かに叱咤するキアニィさんに、ロスニアさんがハッとした様子で顔を上げた。
「そう、ですね…… その通りです。今は、今は一人でも多くの人を……!」
まだ少しフラつきながらも、ロスニアさんは決然とした表情で立ち上がった。そうだ、呆然としている場合じゃない。
彼女に続いて立ち上がり、みんなの顔を見回すと、すでにショックから立ち直っているようだった。心強い。
「--全員で住民の救助に当たります! 僕は消火、プルーナさんは瓦礫の撤去、残りのみんなは人命救助をお願いします! 道中、無事な住民の人たちにも協力を求めましょう!
怪我人は…… 大聖堂が無事みたいですね。ひとまずあそこに集めましょう!
ロスニアさんとメームさんは大聖堂で待機を! 怪我人の対応をお願いします!」
「「応!」」
みんなから力強い返答を貰った後、僕はまだショックの抜け切らないコメルケル会長に向き直った。
「コメルケル会長、船員の皆さんのお力を貸していただけますか? 一人でも多くの人を助けたいんです」
「あ、あぁ……! もちろんだとも! お前達、タツヒトに従え! 街の連中に恩を売るいい機会だ!
トゥヤ、ピリュワ、お前達も消火に当たれ! 俺様は大聖堂でロスニアを手伝おう!」
「「へい!」」
「「わかりました!」」
「ありがとうございます……! では行きましょう!」
号令と共に走り出した僕らは、被災を免れ呆然としている街の人達に協力を要請しながら、大聖堂を目指して走った。
そして目的地に到着すると、建物の倒壊と火災はすぐ側のところで来ていた。
炎の海原が放つ赤い光が、強烈な熱気と煙に慄く僕らの顔を照らしだす。
しかし、火の爆ぜる音や断続的に生じる倒壊音に紛れ、か細く聞こえてくる悲鳴が足を前に動かす。
僕らはそこでいくつかに別れ、救助活動を開始した。
ともかく火災を何とかしないと……! 僕は業火に向かって突進しながら火魔法を行使した。
燃え盛る大樹の残骸から、延焼した家屋から次々に炎を引き剥がし、時折生じる火災旋風も無理やりねじ伏せて消火していく。
そうして僕が火を消した場所に『白の狩人』のみんなや船員さん達が殺到し、高温の瓦礫をどかしながら、次々に息のある人達を後送していく。
僕らが救助活動を初めてしばらくすると、混乱から立ち直った州軍や冒険者、街の人達もそれに合流してくれた。
格段に救助のスピードは上がっていったけど、消火や瓦礫の撤去のための魔法使いが絶対的に足りなかった。
おそらく、多くは光の大樹の起動に動員され、あの光によって蒸発してしまったのだろう……
人手不足、指揮系統の混乱、瓦礫の倒壊等による二次被害。現場は混迷を極めていたけど、僕らはがむしゃらに救助活動を続けた。
ロプロタの街が炎に包まれてから三日が経過した。
生き残った全員が一丸となって災害対応に励んだ結果、火災は漸く消し止められ、主だった通りの瓦礫も撤去された。
一欠片が民家くらいある大樹の燃え残りの処理は懸案事項だったけど、今日の段階で霞ように消えてしまった。どうやら魔力で編まれたものだったらしい。
しかし時間が経つにつれ、被害の甚大さが浮き彫りになった。
当時街にいたとされる人口は十万人。そしてそのおよそ四割もの人々が死亡、または行方不明の状態なのだ。
確か黄金の七十二時間と言って、救助がそれより遅れると生存率が著しく低下するという話だった。
多分、今から生存者が見つかる可能性はかなり低いはずだ……
現在も生存者の捜索と救助活動は続いていて、広大な大聖堂の中にも人が溢れ、治療や炊き出しに人々が忙しく動き回っている。
しかし僕ら『白の狩人』とメームさんは、大聖堂の一角に身を寄せ、彼女達を手伝う事なく腰を下ろしていた。
三日間、ほとんど休まずに救助や治療を続けていた僕らを見かねて、州軍の大隊長から休憩を言い渡されたのだ。
ただ、魔力切れや肉体疲労で体は睡眠を求めているはずなのに、異様に目が冴えてしまって眠れない。
ちなみにその大隊長、実は今のこの街における体制側の最高責任者だ。
何故かと言うと、彼女より偉い人達が軒並み光の大樹の起動実験に同席していたからだ。
あの光の柱に灼かれて生きているなら話は別だけど、生存は絶望的だろう。
一方大隊長と彼女の部隊は、奇跡底に被災を免れた州庁舎で居残りをしていて無事だったそうだ。
加えて、州庁舎の一室に軟禁されていたロベルタ司教も無事に解放された。
彼女はすぐに大聖堂に合流すると、ロスニアさんに神託を無駄にしてしまった事を涙ながらに謝罪した。
そして今は、僕らから少し離れたところでずっと怪我人の対応をしてくれている。
そんな彼女の様子を鈍る頭で何となく眺めていると、同じ方向を見つめていたロスニアさんが口を開いた。
「……私は、やはり聖職者に相応しくないのかもしれません」
「ロ、ロスニアさん……!?」
聖教会の教えを体現したかのような慈愛の具現、ロスニア司祭のそんな言葉に、僕を含めて全員がギョッとした。
一方ロスニアさんはそんな僕らを他所に、抑揚のない平坦な声で話し続ける。
「ロベルタ司教は、この光景を目の当たりにしても全く動じて居られません。
ですが私は、聖職者になって初めて神を疑ってしまいました。
神託にあった古の若木、それが成長した姿であろう光の大樹が、大いなる災厄を招くものだったのかもしれません……
それを呼び覚ましたのは神意を蔑ろにする行為だったのでしょう。ですが、それでも…… ここまでする必要があったのでしょうか……!?」
最後は消え入るような声で俯き、膝を抱えってしまった彼女の肩に、プルーナさんが手を触れた。
「--ロスニアさんは聖職者に相応しい、素晴らしい方ですよ。
敵方だった僕の上官を癒し、勇気を持って邪神に立ち向かう決断を下し、そして今また大勢の方の命を救いました。
そんな方が相応しくないと言うなら、一体誰が聖職者を名乗れるんですか。
その、聖職者に成れなかった僕に言われても、説得力が無いかもしれませんけど……」
「プルーナさん…… いえ、今の言葉にとても救われました。ありがとうございます……」
静かに笑い合う二人に、全員が釣られたように微笑む。
……ロスニアさんは今回も多くの人を助けてくれた。しかし、当たり前だけど全ての怪我人を助けられたわけじゃない。
被災三日目になって少し数は減って来たけど、大聖堂を見回すとそこら中に怪我人が溢れている。
治療が成功して元気になった人も沢山いたけど、それ以上に、運び込まれても治療が間に合わず死んだしまった人も大勢いた。
日照不足で元々衰弱していた樹人族の人の多くが、普通なら死なないような怪我で次々に息を引き取ってしまっているのだ。
降灰は相変わらず収まらず、陽光を発する普通の魔導具では供給が追いつかない。
元々この街はかなり厳しい状況にあったけど、今回の被災でさらに悪化の一途を辿るだろう。
思い出すのは、メームさんと一緒に眺めたあの美しくも心暖まる夜の光景。
あれを生み出してくれた街の人々が、街で嬉しそうに声をかけくれた人達が、居なくなろうとしている。
この街にはたった数日しか滞在していないけれど、それはとても認められない、納得できない事だった。
寝不足で思考が空転する頭を無理やり動かし、どうすればいいのかを考える。
「……この状況を打破するには、やっぱり原因を取り除かないとダメだ」
呟いた僕にみんなの視線が集中する。方法はまだ思いつかないし、勝算は限りなく低い。それでも、僕はその言葉を口にした。
「僕らで、呪炎竜を何とか出来ないでしょうか……?」
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