第310話 天からの火(1)
脳内に響いた逃げろというアラク様の声。僕がそれに対して聞き返そうとした瞬間、感情と風景が綯い交ぜなったかのような何かが流れ込んできた。
強い焦燥と哀れみ、悲しみ、そして、目の前に聳え立つ光の大樹を中心とした破滅的な破壊のイメージ。
強烈なそれらに、一瞬立ちくらみを感じて膝をついてしまう。
腕の中のロスニアさんは何とか取り落とさずに済んだけど、彼女の表情はそこ知れぬ恐怖に引き攣っていた。
「タツヒトさん、大丈夫ですか!? アラク様は何と…… これから、大いなる禍が起きるんですか……!?」
「だい、丈夫です……」
何とか立ち上がってあたりを見回す。『白の狩人』のみんなとメームさんが、心配そうに僕を見つめている。
視線を遠くに向ければ、法悦の表情を浮かべて陽光を浴びる街の人達が見えた。
--無理だ。全員はとても…… 僕は大きく深呼吸をしてから、震える声で告げた。
「アラク様が、今すぐあの大樹から離れろと。何か、とても良くない事が起きます。
みんな、今すぐ大樹の反対方向、湖に向かって退避して下さい。ゼルさん、ロスニアさんをお願いします」
有無を言わさない僕の様子に、ロスニアさんを除く全員が戸惑いながらも頷いた。
「わ、わかったにゃ。でも、おみゃーはどーするんだにゃ? 一緒に逃げるんだよにゃ?」
僕からロスニアさんを受け取ったゼルさんが不安げに声を上げる。
「はい、もちろんです。ですがその前に、コメルケル会長達だけでも退避させたいです。
以前教えてもらった彼女達の宿は、ここからあまり離れていないはずなので」
「タツヒト、ならば私も同行しよう。魔法型の双子を連れて走る必要があるはずだ。キアニィ、プルーナを頼む」
「助かります、ヴァイオレット様」
同行を申し出てくれたヴァイオレット様が、魔法型のプルーナさんをキアニィさんに預ける。
そして全員が動き始める直前、ロスニアさんがはっと息を呑んであたりを見回した。
「……ま、待って下さい! コメルケル会長達だけでもって…… 他の、街の方々はどうなるんですか!?」
「すみませんロスニアさん。もう、時間が無いんです……! ゼルさん、急いで湖へ
! 早く!」
「タツヒトさん! 待って--」
僕の声にゼルさん達が湖に向かって走り、僕とヴァイオレット様はその反対方向、コメルケル会長の宿に向かって走り始めた。
都市の中心部、一等地にある高級宿にはすぐに到着した。
外で日光浴に夢中な従業員を素通りして宿に押し入った僕らは、そのまま階段を駆け上がった。
バァン!
勢いのまま最上階の部屋の扉を開けると、中にはコメルケル会長と、奴隷の双子、そしてワンプ船長がいた。
豪華で広い部屋の一角、一面がガラス張りになっている場所で陽光を浴びていた彼女達は、僕らの乱入に驚いて全員がこちらを振り返った。
「うぉっ……!? --なんだ、タツヒトとヴァイオレットではないか! よくこの部屋がわかったな?」
身構えていたコメルケル会長が安心したように息を吐く。こっちも予想が当たって安心した。
「はい。コメルケル会長なら、一番いい部屋を取ると思いまして」
「がっはっはっ! さすがタツヒト、俺様の事を良く理解している!
旅の魔導士が死の呪いを解いたと街はお祭り騒ぎだったが、やはりお前だったのだな! いや、それよりもみろあの光の大樹を! ここの連中も中々--」
「会長。もうすぐあの木を中心に壊滅的な何かが起きます。今すぐ湖に向かって避難して下さい」
僕の言葉に、部屋にいたコメルケル会長以外の面々が困惑の表情を見せる。
「--ふむ。それも予報か?」
しかし会長だけは、硬い表情で僕にそう聞き返した。
多分、僕がスコールを晴らした時の事を言っているのだ。またお前の予報通りの事が起きるのかと。
「ええ。おそらく今回も当たります。急いで下さい、もう時間がありません……!」
「……了解した! ワンプ船長! 向こうの宿に泊まってる船員全員に声をかけ、一緒に湖へ走れ! 全速力だ!」
「へ、へい!」
会長から指示を受けた船長が外へ走っていく。よし、船員の皆さんは位階が高めの戦士型だから大丈夫だろう。
「会長はこちらへ、僕が抱きかかえて走ります!」
「トゥヤ、ピリュワ。君たち二人は私の背に乗れ!」
「えっ、いいの!?」
「馬人族って、滅多に人を背中に乗せないんじゃぁ……」
楽しそうに僕に身を預けてくる会長と、おずおずとヴァイオレット様の背に乗る奴隷の双子。
本当にもう時間がない。三人を抱えた僕とヴァイオレット様は、今度は転がり落ちるように宿の階段を下り、全速力で湖を目指し始めた。
途中で同じ方向に向かって走るワンプ船長達の集団と合流し、もっと速くと彼女達を急かす。
そうして、何とか何かが起こる前に湖の辺りに辿り着く事ができた。
息を整える僕らに、先に避難していたみんなが駆け寄ってくる。
「よかった…… 間に合ったんですね!」
「コメルケル殿達とも合流できたようだな」
「ええ、みんなも無事でよかったです」
安堵とともにコメルケル会長を地面に下ろすと、彼女は僕らを見回して大きく頷いた。
「うむ、そちらも揃っているようだな! してタツヒトよ。そろそろ説明してくれるか?」
不安げな船員さん達を代表するかのように尋ねてくる彼女に、僕はさてどう説明したものとかと迷った。
しかし、すぐにその必要は無くなった。
都市を隔てて見える光の大樹。その上空に横たわる黒雲が、ぼんやりと光り始めたのだ。
「--始まった」
絶望感と共に呟いた僕に釣られて、その場にいた全員が光の大樹に目を向ける。
その後の変化は一瞬だった。分厚い黒雲を突き破り、光の柱が真上から大樹を貫いたのだ。
ズズン…… ッズガァァァン!!
着弾と同時に発された烈光が目を焼き、足元からの振動に次いで凄まじい爆音が響いた。
数秒ほどして視力が回復すると、光の大樹は今や炎の大樹に変じていた。
煌々と陽光を放っていた木の葉は光を失い、極太の幹の所々から炎が噴き上がっている。
それを目にした街の人達の悲鳴が重なり合い、街全体がその光景を嘆いているかのようだ。
言葉もなくその光景に目を奪われていると、炎は見る間に大樹全体に燃え移り、とてつもなく巨大な松明のような状態となった。
そして、大樹の各部から大小の爆ぜる音が連続し、炭化した巨木の幹が割れ、全体が崩壊を始めた。
あの光の柱によって一瞬で蒸発してしまったのか、崩れ落ちる大樹の中心部は空っぽだった。
崩壊は街の上空まで張り出した枝にまで伝搬、凄まじい質量を持ち、業火を纏ったそれらがゆっくりと落下を始めた。
ズズンッ…… ズガッ…… ズガガガッ……!!
それはどこか現実感の無い光景だった。先ほどまで自分達のいた街が、建物が、人が、逃れようのない災厄によって次々に押し潰されていくのだ。
赤熱する大樹の残骸が全て地に落ちた頃。西ゴンド大陸随一の大国、樹環国が誇る首都ロプロタは、その半分が燃え盛る瓦礫の山と化した。
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