第308話 魔竜
ちょっと長めです。
・対火山灰作戦の内容を修正(修正前:海洋投棄→修正後:固形化)
背徳の一夜を過ごした翌朝。僕らはちょっと遅めの時間に起き出し、宿の二階から一階の食堂へ向かっていた。
「タツヒトおみゃー、昨日はいつもより更に燃えてたにゃぁ? 悪い男だにゃ。にゃふふ……」
僕の肩に手を回しながらゼルさんが楽しそうに笑う。
脳裏に、昨夜目にしたメームさんのこの世の終わりのような表情が思い起こされ、胃のあたりが重くなる。
にもかかわらずゼルさんの言葉を全く否定できないので、僕はもう手遅れなのかもしれない。
「ゼルさん。何も言い返せないので、その辺でどうかご勘弁を……」
絞り出すように声を出すと、前を歩いていたヴァイオレット様が何かに気づいた表情でこちらを振り返った。
「ふむ、そうか…… 我々は淑女協定で慣れているが、メームからしたら心穏やかでは無かっただろう。少し悪いことをしてしまったかもな」
「そ、そうですね…… あぁ、私は何て罪深いことを……」
「ヴァイオレット、ロスニア…… あなた方今気づきましたの? --あら、別室の三人はもう揃っているようですわねぇ」
階段を降りて食堂につくと、キアニィさんの言うとおり、メームさん、それからシャムとプルーナさんの三人はすでに席についていた。
「おはようみんな。昨晩は一段と激しかったな…… 俺は一睡もできなかったぞ。ははは……」
僕らに気づいたメームさんは、目の下にうっすらと隈を作りながら力なく笑った。
……どうやら僕らの声は別室に丸聞こえだったらしい。
「メームさん、おはようございます…… その、何と言いますか……」
「あぁすまん。困らせるつもりは無かったんだ…… ただ俺に、覚悟と勇気が足りなかった。それだけのことなんだ……」
彼女は逆に僕を気遣うような声色でそう言った後、ガックリと俯いてしまった。
その姿を見て、僕はいつものように衝動的に動きそうになったけど、昨晩の自身の行いを思い出して逡巡した。
……いや、覚悟も勇気も足りなかったのは僕の方だ。いい加減、ハーレムクズ野郎になると腹を決めなければ……!
僕は動きを再開し、テーブルに力無く手をつくメームさんを目一杯抱きしめた。
「なっ…… ど、どうしたんだ、突然……!?」
「すみません。本当にどの口が言うんだという感じですけど、メームさんには笑っていて欲しいんです」
「--ふふっ…… いいんだ。お前達の関係を知っていながら、それでもそこに飛び込もうとしたのは俺の方だ。だが、ありがとう」
そう言って抱き返してくれるメームさんに甘え、僕らはしばらく抱擁を続けた。
すると、服のくいくいと引っ張られる感覚があった。目を向けると、シャムが不満そうに頬を膨らませていた。
「タツヒト。シャム達にも抱擁を要求するであります。不公平は是正されるべきと主張するであります」
「あ、あの、僕もシャムちゃんに同意します……」
彼女の主張に、プルーナさんもおずおずと手をあげて賛同する。僕とメームさんは至近距離で顔を見合わせると、二人同時にくすりと笑った。
「あはは。わかったよ、おいで」
結局、昨晩別室に泊まった三人全員にハグした後、朝食は何とか和やかな雰囲気で始まった。
これ、この世界においてもかなり稀な状況だよね…… 彼女達の懐の深さに感謝するしかない。
いろんな物事の有り難さを噛み締めながら食事を終えたタイミングで、ちょうど良く治療院から知らせが届いた。
僕が解呪に成功しながらも意識不明だった冒険者、マニルさんが目を覚ましたらしい。
「あんたらがアタイの命の恩人かい…… 本当に助かった、恩に着るよ」
治療院の一室を訪ねた僕らに、マニルさんはベッドから身を起こして佇まいを正した。
更に、その額からは一本角のような樹木が生えているのだけれど、彼女はそれがベッドに刺さりそうなほど深々と頭を下げてくれた。
右足は大腿の半ばから無くなったままだけど、その所作の端々から高い実力が伺える。
「いえ、僕らも打算があっての事なので、お気になさらずに」
「マニルさん、回復をお慶び申し上げます。お体の調子はどうですか? ここの聖職者の皆さんは優秀な方ばかりなので、私が出る幕はないと思うのですけれど……」
「ありがとよ司祭様。お天道様を拝めない事以外は調子いいよ。脚も今はこんな状態だけど、時間と金を掛ければ生やすこともできるって話だしね……
それで、あんたらアタイに聞きたいことがあるんだって? 何でも聞いとくれよ。つっても、多分呪炎竜の事だろうけどさ」
ロスニアさんの言葉に、マニルさんは自身の右足をピシャリと叩きながらそう答えた。ピチュサ助祭あたりから話が伝わっていたんだろう。ありがたい。
「ええ。その、思い出すのはお辛いと思うのですが、奴について、どんなふうに遭遇したのか、周囲の状況、戦い方など、出来るだけ詳しくお話を伺いたいんです」
僕の言葉に頷いたマニルさんは、淡々と当時の状況を語り始めた。
火山灰による長引く日照不足を重くみたこの国の首脳部は、噴火口付近で噴煙を風魔法により集塵し、土魔法で灰を圧縮、固形状にして上空への飛散を防ぐ作戦を決行した。
マニルさん達高位冒険者の役割は、その大規模作戦の実行役となる魔導士達を安全に噴火口まで送り届けて護衛する事だった。
ラスター火山は魔物の領域で、山頂に近づく程強力な魔物が住まう。
しかし数十人からなる精鋭部隊が噴火口に向かって登っていくと、段々と魔物が少なくなっていったという。
更に目的地直前で、彼女達はこれまで発見された事のない不自然な洞窟を発見した。
噴火口付近の斜面に存在するその洞窟は、壁面は異様に整っていており、入口も内部も縦横数十mとかなり広かった。
流石に怪しすぎたので調査の為に中に入ると、奥には銀色に輝く巨大な半円形の物体と、その周りに山と積まれた金銀の財宝があったそうだ。
「それは……!?」
話を聞いていた僕らはざわつき、シャムが身を乗り出す。
「マニル! その銀色の物体でありますが、正面に入口のような切れ目が入っていなかったでありますか!?」
「あん? あー、そういえば確かにあったかもね。てことはあれは古代遺跡の類かい。ふぅん……
まぁ、アタイらも金のために冒険者になった身だ。少しばかり財宝に目が眩んで背後への警戒が疎かになっていたんだろうねぇ……
風切り音と地響きに振り向くと、すぐ後ろに奴が居たんだよ」
奴、呪炎竜はおそらく、珍しい火竜と風竜との合いの子だろうと言う話だった。
その体躯と四肢は火竜にしてはやや細くしなやかな印象で、長大な尾と巨大な翼を備えていたからだ。
しかし、黒に近い暗い紫色の巨体は広い洞窟を埋め尽くさんばかりで、マニルさん達を睥睨する表情は、人の目から見ても分かるほどに激怒していたらしい。
精鋭部隊が迎撃体勢を整える一瞬前、呪炎竜が紫炎のブレスを放った。
その一撃だけで、至近距離で直撃を喰らった部隊の四分の一程が一瞬で焼失した。
部隊長がすぐに撤退を宣言するも、出口は呪炎竜の後ろだった。
紫炎に炙られながら、鋼鉄の鞭のような尾や刀剣のような爪をすり抜けて洞窟を脱出できたのは、部隊の半数ほどだった。
その後生き残ったマニルさん達は、奴を振り切ろうと死に物狂いで下山した。
だが、意外なこと追手は掛からなかった。呪炎竜は、己の財宝に集る人間達にあれほどの怒気を放っていたのに、だ。
しかし、火山近くの街まで逃れた所でその理由が分かったそうだ。
部隊の生き残りは、程度の差はあれど全員が呪炎竜の紫炎に触れていた。
そして、その炎はどうやっても消せ無い、呪いの炎だったからだ。
呪炎竜は、歴史上何度もラスター火山を訪れている。
彼女達が逃げ込んだ街には古い伝承が残っていて、呪いの炎を受けた人間は必ず焼け死んだと言う話だった。
マニルさん達はそこでも諦めず、一縷の望みをかけてこの国最高の神聖魔法使い、大聖堂の枢機卿の元を訪ねた。
しかし、運悪く彼女は日照不足が原因で臥せっており、彼女に次ぐ使い手である司教では治療することができなかった。
「--呪いの炎は本当にしんどかったよ。ずっと体を火で炙られているようなもんだったからねぇ…… 耐えきれずに自害する奴もいたくらいさ。
だもんで、アタイらはここの司祭様達にお願いして眠らせてもらったのさ。
この国で火属性の高位魔導士、更に解呪ができる人間なんて聞いたことが無かったから、殆ど助かる望みは無かったんだけど……
どうやら、アタイだけが生き残っちまったみたいだねぇ……」
語り終えた彼女は僕らから視線を外すと、声もなく天井を見つめた。
多分、散っていった仲間達を偲んでいるのだろう。
「すみません、僕らがもっと早く来れていれば……」
「おっと、言い方が悪かったね。謝るのはやめとくれ。最初に言ったけど、アタイはあんたらには本当に感謝してるんだ。
アタイもいい歳だけど、まだこの世には未練があったからね。
けどあんたら、奴の話を聞きたいってことは挑むつもりなのかい? あの魔竜に」
「--いえ、直接討伐しようというつもりは無かったんですが……」
「先ほどあなたの話に出てきた古代遺跡、それが我々の目的なのだ。
しかし、奴がそれほど遺跡や財宝に執着しているのだとすると、戦わずに済むと考えるのは楽観に過ぎるだろうな……」
僕が飲み込んだ言葉を、ヴァイオレット様が補足してくれた。
古代遺跡の所在が明らかになったのは良かったけど、メームさんが懸念していた通りのかなり厳しい状況だ。
「そうかい…… 奴と対峙した連中の中には、化け物みたいに強い紫宝級の戦士や魔導士も居たよ。
けど、今ここにいるのは偶然生き残ったアタイだけだ。どんな理由があるのか知らないけれど、命より大切なことなんて世の中に殆ど無いよ?」
「ええ。ご忠告、痛み入ります…… 病み上がりにお話しして頂きありがとうございました。お身体に障るといけませんので、本日はこれで」
「ああ……」
何か言いたげなマニルさんの視線を背中に受けながら、僕らは治療院を後にした。
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