第306話 司教の叫び
成功、したのか……? 呆然と紫色の炎が消えた患者の足を眺めていると、幾つもの足音が近づいてきた。
「タツヒト、無事か!?」
最初に蹄を響かせて来てくれたのはヴァイオレット様だった。
彼女はへたり込む僕の側にしゃがみ込むと、僕の全身と、それから患者さんの様子を観察してほっと息をついた。
「よかった…… 双方、大事ないようだな。だがどちらも顔色が悪い。早く横になったほうがいいだろう」
「はい、僕の方は結構ひどい魔力切れですね…… でも、なんとか解呪に成功しました。シャム、プルーナさん、二人のおかげだよ」
遅れて駆けつけてくれた二人に笑いかけると、彼女達も顔を綻ばせてくれた。
「よかったであります…… でも消えたはずの熱源が、さらに高温を伴って復活した時にはびっくりしたであります!」
「すごいですタツヒトさん! 紫宝級の竜種の呪いを解呪するなんて、専門家でもできる人は殆ど居ないはずです! 解呪士を名乗れますよ!」
「ふふっ、ありがとう。でも繰り返すけど、僕一人の力じゃないよ。よい、しょっと」
だるい体に鞭を打って患者さんを抱えたまま立ち上がると、炎の消えた彼女の大腿部の断面から、ぽたりと血が滴り落ちた。
あ、と思って見ていると、出血は段々と酷くなっていった。まずい。呪いの炎は止血の役割も果たしていたようだ。
僕はすぐに中庭から治療院の方へ走り、壁に開いた穴から出てこようとしているロスニアさん達に叫んだ。
「ロスニアさん! 大腿の断面から出血が始まりした! 処置をお願いします!」
「……! わかりました! すぐにこちらの寝台に寝かせてください!」
大穴を潜って治療院の中に戻ると、僕は先ほどと同じベッドに彼女を寝かせた。
すると、すぐにロスニアさんと治療院の司祭様が患者さんに処置を始めた。
一方、助祭さんは目まぐるしく変わる状況に着いていけていないようで、動けずにいる。
「あわわ……!」
「ピチュサ助祭、落ち着きなさい。隣の部屋から清潔な布を持ってくるのです」
「は、はいー!」
今名前が判明したピチュサ助祭が、司祭様の指示を受けて部屋の外へ走っていく。
……若干不安要素があるけど、あとは聖職者の方々に任せよう。
そう思って部屋の壁に背を預けて腰を下ろすと、メームさんが僕の隣に来て労うように肩に手を触れた。
「よく頑張った。昼過ぎに初めて今は真夜中だから…… 十時間以上かかった形だ。
それほどまでに、呪炎竜の呪いは厄介だったようだな」
「ありがとうございます。でも、十時間も経ってたんですね……
実際、さっきの呪いはかなり厄介でした。やはり向こうは練達の火魔法使いですね。それに、かなりいい性格をしているようです」
「いい性格…… どういうことだ?」
「えっとですね…… 呪いって、大抵が悪意の塊のような造りらしんですけど、さっき解呪したものはその究極というか……
呪炎竜の実力があれば、呪いをかけた相手をもっと短時間で仕留められるはずなんです。
でもあの呪いには、本当にじわじわと炎が進行するような設定が施されていました。
これは明らかに、恐怖や苦しみを与えながら殺してやろうという意図が込められています。
加えて、解呪が成功した時に備えて、呪いに込められた魔力を全て使って爆炎を発する魔法まで仕掛けてありました。
実力は最高だけど、性格は陰険で偏執的…… そんな印象ですね」
「な、なるほど。そんな相手とは、絶対に敵対したくないな……」
メームさんが眉間に皺を寄せながら呟く。その意見には大賛成だ。
その後、優秀な聖職者の方々の手により、患者さんの止血の処理は無事完了した。
ただ、体力や精神がかなり消耗しているようで、まだ意識は戻らないようだった。
なのでひとまず、彼女から話を聞ける状態になるまで僕らもこの街に留まる事になった。
あ、そういえば。神託の件で出て行かれた司教様、多分まだ戻られてないよな。
無事にこの街の首脳部に話を通せていれば良いのだけれど……
***
タツヒトが呪炎竜の呪いの解呪に成功した瞬間から、時間は数時間ほど戻る。
ロスニアの神託を耳にした聖ドメニカ大聖堂の司教、妖精族のロベルタは、急ぎブリワヤ州の州庁舎を訊ねた。
ブリワヤ州は連邦国家である樹環国の首都を有し、その州長は国家全体の首長を兼任している。
ロベルタ司教は、州庁舎の会議室で首長を含めた重鎮達に面会し、自分が見聞きした事を必死に訴えていた。
「--以上が私が目の当たりにした奇跡の全てです。首長殿、並びにここにお集まりの方々。
古の若木…… これは間違いなく、古代遺跡から出土したあの魔導具、陽光の大樹の苗木を指しています。
どうか、現在街の外で進められている起動実験の中止を……!」
「……むぅ」
しかし、ロベルタ司教の話を聞き終わった樹人族の首長は、他の重鎮達と一緒に渋面を作って唸るばかりだった。
「首長……!? まさか、神の警告を無視されるおつもりですか!?」
「--そこです、ロベルタ司教。それは本当に神託だったのですか?」
「な、何を……!?」
驚愕する司教を手で制し、首長は落ち着いた調子で続ける。
「私も信徒の端くれ。神託については存じております。しかし、それはまさに神話の中の出来事ですし、その神託の御子殿の素性も怪しい……
為政者たる我々は、そのようなあやふやな情報を鵜呑みにすることはできません。
確実にこの危機的状況を打破しうる手段。それを実行しなければならないのです」
「左様。そして仮にその神託が事実だったとして、この状況を打破する方法が含まれていない……
どうやら神は、このロプロタが、ひいては樹環国がじわじわと死にゆく事をお望みのようだ」
「--ロベルタ司教。あなたは今、日照不足で伏せっておられるハンピィ枢機卿の代理として大聖堂を取り仕切っていらっしゃる。
もしこのまま日照不足が続けば、あなたは代理ではなくなるやもしれませんな……?」
首長に続き、他の重鎮達が畳み掛ける。司教からしても彼女達の意見は反論しづらいものだったが、最後の一つだけは聞き捨てならなかった。
樹人族のハンピィ枢機卿は、長年彼女を教え導いてくれた恩師だったからだ。
「な、何を馬鹿な……! 私が、敬愛する猊下の死を望むなど……!
--ここには神の威光は届かないようですね。私だけでも、神意を実行致します」
そう言って決然と席を立つ司教に、首長は疲れたように息を吐いた。
「--やむを得んな…… 衛兵! 司教はお疲れのご様子だ! 州庁舎の一室にご案内して差し上げろ。回復されるまで、決してお出しするな!」
首長の指示に、会議室に詰めていた衛兵達が躊躇いながらも司教を拘束する。
「は、離しなさい! このままでは、神が大いなる禍と言うほどの災禍が訪れるのですよ!? どうか再考を! どうか--」
司教が衛兵に引き摺られて会議室から退出すると、面白くなさそうに様子を伺っていた妖精族がふんと鼻を鳴らした。
彼女は樹環国の魔導士協会支部長で、現在この街の外で行われている起動実験を取り仕切っている。
「やれやれ…… 大人しく怪我人や病人の相手だけしていれば良いものを」
「支部長殿、不敬ですぞ」
「おっと、これは失礼。しかしその神託とやら、多くの市民が目にしたようですね……
混乱が起きるかもしれません。あれの起動を急がせましょう。
何、日照不足さえ解決すれば、市民は神託の事など忘れ、我々の行動を賞賛することでしょう」
「……うむ、頼む」
どこか楽しげに会議室を出ていく支部長を、首長は巌のような表情で見送った。
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