第003話 咀嚼音
扉を出た僕は、また野犬の遠吠えが聞こえないか耳を澄ませた。
--うん。わずかに風の音がするだけで、動物の鳴き声はしない。
どうやら近くに野生動物の類は居ないみたいだ。
ひとまず安心して、突き当りの落盤が起きてしまったあたりまで進んだ。
整備された道のつくりからして、この崩れた岩をどかすことができれば、案外すぐに洞窟の外に出られそうだけど。
試しに手近な一抱えほどの岩を持ち上げようとしてみた。
が、数百キロはありそうでびくともしなかった。
スマホも相変わらず圏外だった。
--やっぱり、こっちの崩れた壁の向こう側が外に繋がっていることに掛けるしかないか。
落盤が起きているところの左側、崩れた壁を通り抜けると、景色は一変した。
床も壁も起伏に富んでいて、人の手が入っていない天然の洞窟といった印象だ。
袋小路の空間ではなく、道が左右に続いていたので、ひとまず胸を撫でおろした。
人差し指をなめて風にさらし、風向きを調べてみた。
風は、右手から吹いてきているようだ。
えーと、今は秋の深夜だから、外は結構肌寒いはずだ。
でも、僕が今いる洞窟の中は、動いてないと震えてくるくらいには寒い。
単純に考えると、気圧差で外から洞窟に風が吹き込みそうなので、風上の右側が出口かも。
あと、さっきの整備された洞窟の向かう方向も右側だ。
そう考えると、右側の方が出口に通じてそうだったので、僕は右側に進んでいくことにした。
ペンとノートで道順のメモを取りながら、洞窟を黙々と歩く。
罫線が書いてあるタイプのノートだったので、100歩進んだら一行の幅くらいの長さで線を引くことにした。
加えて、分かれ道には番号を振って、ノートと洞窟の壁に数字を書き込んだ。
薄暗いので壁に描いた文字は殆ど見えないけど、まぁ、無いよりましでしょ。
何ヶ所か分かれ道や行き止まりに遭遇したけど、今のところ迷わずに進めている。
気持ちとしては早く出口にたどり着きたのに、足元が起伏に富んでる上に、薄暗いのであまり速度は出せなかった。
短槍を2本持っているのも地味にしんどいけど、置いていくことは怖くてできなかった。
頼みの綱のスマホは何度か確認しているけど、相変わらず圏外だし、GPSアプリも機能しなかった。
時間がわかるだけでも助かるだけどなぁ、確認するたびに少し凹んでしまう……
魔法陣の部屋をでてから1時間ほど歩いただろうか。
ちょっとそれっぽくなってきた地図に分岐を書き込んだ時、かすかに物音がした。
はっとして物音がした方に目を凝らすと、先の方が広間のようなすこし開けているようだった。
野犬だろうか…… 引き返した方がいいけど、未探索の通路まで戻るには30分くらいかかってしまう。
迷った挙句、もう少し進むことにした。
広間に近づくにつれ、かすかにくちゃくちゃと音が聞こえ始めた。
かなり遠くから聞こえるのに、すぐとなりでクチャラーのおじさんがご飯を食べているような不快感がある。
嫌な予感に足音を忍ばせながらさらに近づく。
音は激しさを増してぐちゃぐちゃという音に変わり、荒い息遣いもまでもが聞こえてきた。
物音を立てないようカタツムリのように歩き、やっと広間の入口にたどり着いた。
広間と入り口に身を潜め、そっと中を覗いた瞬間、思わず声が漏れそうになった。
ゴブリンだ、ゴブリンがいる。それも見える範囲に3匹だ。
そいつらの体色はくすんだ緑色で、体格は小学生の低学年くらいだ。
かがんでいるため顔は良く見えないけど、耳が長く、腰にボロ切れをまとっている。
まさしく、ファンタジー作品でおなじみのゴブリンそのままの見た目だ。
その瞬間、僕はあえて考えないようにしていた可能性に思い至った。
多分、異世界召喚だこれ。
地球上にあんな生物は居ないだろうし、テーマパークのスタッフさんが化けているということも無いはずだ。
だって、彼らは横たわる黒い毛並みの狼のようなものを囲み、奪い合うように貪り食っているんだもの。
幸い、彼らはお食事に夢中でこちらに気づいていない。
でもさすがにしれっと脇を通り抜けられるとも思えない。
戦うか戻るか……いったん戻ろう。
まだこっちが出口と確定したわけじゃないし、戦わずに済むならそうしたい。
そう決断し、彼らから目線を外さないように後ろに下がった。
が、これが良くなかった。
カツン!
間抜けにも、持っていた短槍を石壁にぶつけてしまった。
硬質な音とともにゴブリン達の咀嚼音が一斉に止み、全員がばね仕掛けのように顔を上げた。
「「「ゲギャーー!!」」」
大きく開けられた三つの口の中に、黄色い乱杭歯と、歯に絡む肉片が見えた。
そして彼らは、こん棒や錆びた鉈のようなもを手にして一斉にこちらに走り出した。
その瞬間、僕も金縛りが解けたように逃走した。
無呼吸の全力疾走をしながらちらりと後ろを振り返った。
数メートルの距離にゴブリンがいて、両手両足を使って猛然と追いすがってくる。
でも体格の差だろうか、その距離はだんだんと開いてきている。
何とか巻けそうだと安心した瞬間、後ろからナイフらしきものが飛んできて僕の頭のすぐ脇を通過した。
あっぶなっ!?
直線で逃げちゃだめだ。
それに薄暗く足元も悪い洞窟内でこのまま走っていたら、転ぶか迷ってしまう。
覚悟を決めるしかないけど、三匹を一度に相手できるのか?
考えがまとまらないまま走っていると、ちょうど分岐が見えた。
そうだ、一瞬だけでも一対一にすればいい。
僕は分岐を曲がった直後に転身し、荷物を投げうってから短槍を腰だめに構えた。
見えた瞬間刺す!見えた瞬間刺す!
そう頭の中で2回唱えた後、すぐに曲がり角から最初のゴブリンが飛び出してきた。
そいつと目が合った瞬間、僕は短槍を突き出した。
「やっ!!」
稽古中にもなかなか出ないような鋭い突きが、ゴブリンの腹に突き刺さった。
「グバァーー!!」
先頭のゴブリンが僕の短槍を掴みながら、絶叫する。
傷口から、僕らと同じ赤い血が流れ出るのが見えた。
人間に近い形の生き物に槍を突き刺したことに、今更慄く。
「バゲァ!」「グババ!!」
しかし、後続のゴブリンが角から飛び出したことで我に返った。
急いで槍を引き抜こうとするが、ゴブリンが槍をつかんで離さない。
「くっそっ!離せよ!!」
僕はゴブリンの細い腕を足蹴にし、何とか槍を引き抜いた。
でも、すでに後続のゴブリン達は距離を詰め、武器を振りかぶっていた。
一匹は飛び上がって僕の頭を狙い、もう一匹は脚を狙っているように見えた。
僕はとっさに短槍から左手を離し、頭を守った。
「イッツッッ!!」
思わず苦悶の声が漏れる。
ゴブリンがもつ錆びた鉈が腕に食い込み、棍棒が右太ももを殴打していた。
足元の棍棒を持ったゴブリンを蹴り飛ばした後、ちょうど地面に着地したゴブリンに右手一本で槍を突き出した。
「ギッ!!」
右手一本では正確に槍を操れず、槍の穂先は首をかすめるように切り裂いた。
狙いは外れたけど、ゴブリンの肉体構造が人体と一緒なら、頸動脈を傷つけたはずだ。
ゴブリンが悲鳴を上げながら首を抑える。
今度は槍を掴まれる前に引き抜けた。
残り一匹!
僕は、蹴り飛ばした棍棒をもったゴブリンの元に走った。
そしてゴブリンが起き上がる前に、体重をかけてその胸に思いっきり槍を突き刺した。
「ガギュゥ!?」
家で料理を手伝った時の、中華包丁で肉を骨ごと絶ったような感触が手に残った。
ゴブリンの胸から槍を引き抜き、後ろに下がる。
殆ど呼吸を忘れていたのか、今になって100m走直後のように呼吸が乱れている。
ゴブリンたちは、傷口を押さえて荒い呼吸をしながらも、まだ全員生きているようだった。
しかし、次第に彼らの息遣いが弱くなっていく。
最初に、胸を刺されて仰向けになっていたゴブリンの呼吸音がしなくなった。
次に、座り込んで首の傷口を押さえていたゴブリンが崩れ落ちた。
最初に腹を刺したゴブリンだけが、すすり泣きながら傷口をおさえ、僕を睨んでいた。
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【日月火木金の19時以降に投稿予定】
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