第212話 蜘蛛人族の国(2)
大遅刻…… 日を跨いでしまいました。誠にすみませんm(_ _)m
『あなたに褒められるためにした訳ではありませんが…… お出迎えに感謝します、オルテンシア様』
目の前にいる女郎蜘蛛型の蜘蛛人族は、王国でいうと少なくとも侯爵令嬢くらいの立場だ。連邦が一応の同盟国になった今は様くらい付けて呼ぶべきだろう。嫌だけど……
『ふん。相変わらず小憎らしい奴だ。それと様も殿も要らぬ。今更貴様に畏まられるのは気持ちが悪いぞ』
『……わかりました。私的な場ではオルテンシアさんと呼ばせて頂きます』
『……まぁよかろう。しかし話には聞いていたが、本当に連れているのだな』
オルテンシア氏は、僕の斜め後ろに無表情で視線を投げかけた。それと同時に、ほんのわずかに後ろから服を摘まれたのを感じた。
ちらりと振り返るとプルーナさんがそこに立っていて、僕と目が合った瞬間に顔を伏せてしまい、服が摘まれる感触も無くなった。
僕はオルテンシア氏からの視線を遮るように、プルーナさんの前に一歩移動した。
『えぇ。何か問題がありますか?』
『何も問題など無いとも。すでに其奴は我が軍から除籍したのだ。しかし、貴様らが私の魔導参謀も始末してくれたせいで、今私の手駒には優秀な魔法使いが不足している。
どうだタツヒトよ、今度こそ私に仕えてみないか? 今の私は間違いなく次代の連邦を統べる立場だ。栄達は思うがままだぞ?』
得意顔で大きな胸を張るオルテンシア氏。どうやら、王国と、さらに聖国の支援を引き出すきっかけを作ったことで、彼女の連邦での地位は安泰になったようだ。さておき。
『--以前と答えは変わりませんよ。僕はあなたの元では働きたくありません』
『ふん、腹立たしい。本当に思い通りにならん奴だ……! --おっと、そろそろそこの女も斬りかかって来そうだし、内緒話もここまでだな』
そこの女? プルーナさんとは反対側を振り返ると、びくりと体が強張ってしまった。
『白の狩人』の面子はみんな不愉快そうにオルテンシア氏を見ていたけど、その中でもヴァイオレット様の表情のは彫像のように無表情で、殺気が漏れ出すのを必死に抑えているようだった。
滅多に見ない彼女の怖い表情に思わず視線を逸らすと、翻訳装具を着けて会話している僕らを見て、他の主だった面子も装具を着け始めていた。
『ようこそお越し下さいました、聖ドライア共和国の皆様方。私はオルテンシア・フォン・ヴィンケル。アラニアルバ連邦12州が一つ、コルンフォル州の州長にして、ここヴィンケルを預かる里長の娘にございます』
『これはどうも。私はバージリアと言います。教皇猊下の元、聖都を預かる枢機卿という立場にあります。
そしてこちらはアルフレーダ聖堂騎士団長です』
『アルフレーダと申します。お見知り置きを』
『なんと、あの世界最強と名高い聖堂騎士団の…… 聖国の多大なるご支援に感謝申し上げます。こちらへどうぞ、州長が皆様をお待ちです』
--すげー変わり身。でもそうか。王国でのオルテンシア氏の振る舞いは、先が無い自暴自棄故のものだったんだな。
おそらく心の中では、妖精族であるバージリア様やアルフレーダ様のことも見下しているんだろうけど、流石にこの場面では取り繕うか。
すまし顔で僕らに背を向けたオルテンシア氏は、そのまま里の中でも一際大きい建物に向かって歩いて行く。
遠征部隊全員で着いていく訳には行かないので、州長殿には騎士団長、枢機卿、メームさん、ロスニアさん、そしてロスニアさんの護衛枠で僕が会うことになった。
その間、残りのみんなは諸々の手続きやら荷解きやらをしてもらう。プルーナさんは、居残り組になって目に見えてホッとしていた。
案内された里長の館の会議室には、先行していた王国の外交官や武官の人、それからリュディヴィーヌ枢機卿も居た。
彼女達と一緒に連邦に向かった王国の紫宝級冒険者パーティーは、今は連邦の冒険者と一緒に他の里の哨戒に出ているらしい。
僕らはお互いに無事を喜んだけど、彼女達は僕らが聖国から支援を引き出せたことに驚いていたようだった。
まぁ、よほど大きな視点を持っていないと、今回の邪神討伐に手を貸そうだなんて思わないもんね。
聖国より邪神の脅威に晒される危険性が遥かに高い王国だって、ロスニアさんの声が無ければ連邦を見捨てていただろうし。
そしてコルンフォル州の州長。僕らを静かに出迎えたオルテンシア氏に似た妙齢の女性は、娘さんとはとは違い、文官肌の冷徹な政治家といった印象だった。
『遠路はるばるようこそ。コルンフォル州、そしてヴィンケルの里を預かるヒルデガルドと申します。聖国のお力添え、連邦を代表して御礼申し上げる』
『歓迎に感謝します。聖都で枢機卿の任にあります、バージリアです。しかし、あの時のお子さんがご立派になられましたねぇ』
ニコニコと嬉しそうに言うバージリア枢機卿に、ヒルデガルド氏の鉄面皮がひくりと歪む。
『お、覚えておいでしたか…… 私は歳を取りましたが、貴方は全く変わって居られない。妖精族の方には敵いませぬな』
バージリア枢機卿の人柄によるものか、王国、聖国、連邦、三国の顔合わせは意外にも和やかに行われた。
最も、まだ王国の重鎮達を含む遠征軍が到着していないし、連邦の他の州長達も集まっていない。
なのでこの日は、よく来てくれました今後もよろしく、と言う事と、メームさんからの珈琲のプレゼンくらいで解散となった。ちなみに連邦側への珈琲の評判は上々だった。
そう言うわけでまた待ち時間のようだ。重要人物が全員揃うまでは、ゆるりとこの里を見物させてもらおう。
翌朝。当てがわれた宿舎を出た僕ら『白の狩人』は、プルーナさんに里の案内をお願いした。聖国の主要メンバーとメームさんは、オルテンシア氏が案内してくれるらしい。
最初は僕らもそっちに合流させられそうになったけど、色々と理由をつけて逃げてきた。プルーナさんの胃に穴が開きかねないので……
メームさんも僕らと同行したがっていたけど、商人としてのメリットと天秤に掛けた結果、申し訳なさそうにオルテンシア氏の方に着いていった。それでいいと思う。
「あの布を貼った寝床…… 最初は奇異に見えたが、意外に良いものだったな」
「あぁ、あれすんごいよく眠れたにゃ! 買って帰りたいにゃ!」
ヴァイオレット様とゼルさんが、宿舎の寝床の話題で盛り上がっている。
僕らが昨晩使わせてもらったのは、いわゆるハンモック的な寝床だった。確かに、厚手の布には適度な伸縮性と柔らかさ、そして冬場に嬉しい不思議な暖かさがあって快適だった。
「気に入ってもらってよかったです。あの吊床は紡ぎ人の人達が作ったもので、連邦の殆どの人があれで眠るんです。
王国や聖国の寝床もいいですけど、あれで寝て帰ってきたなぁって実感できました…… あ、ほら。今も紡ぎ人の人達が里の補強をしていますよ」
プルーナさんが指す方を見ると、確かに何人もの蜘蛛人族の人たちが作業していた。
彼女達は尾部から糸を出しながら里の底の方に潜り込んだり、里の端と近くの大木とを糸で繋ぎ、里を支える糸を増やしている。朝日を受けて煌めく蜘蛛の糸がなんとも綺麗だ。
作業をしている蜘蛛人族達の側には、初めて見る連邦の只人の姿もあった。どうやら仕事の手伝いをしているらしい。
おそらく、蜘蛛人族が出す糸にも対応年数があるはずだ。だからああして常に糸を張りなおしているんだろう。
「ふむふむ。蜘蛛人族の糸の強度からしても、この里は十分な強度的安全率を有していると評価できるであります。いい仕事であります!」
「ふふっ、シャムちゃんにそう言ってもらえると安心ですね。糸を出すのが得意な紡ぎ人がああして保全してくれているので、里は無事で居られるんです。
あ、前も話したかもですけど、蜘蛛人族には大きく紡ぎ人と奔り人と言う種族が居て--」
歩きながら楽しそうに話していたプルーナさんが急に立ち止まり、その表情が一瞬で凍った。
何事かと思って彼女の視線の先を見ると、大通りの向こうに、同じように立ち止まっている二人の蜘蛛人族と只人の男女が居た。
蜘蛛人族の方は、ハエトリグモっぽい見た目に、オレンジ色の体色…… 彼女達はプルーナさんによく似ていて、一人は中年、もう一人は若い。
只人の男女は両方とも中年で、蜘蛛人族の二人に付き従うように後ろを歩いている。構成からして、蜘蛛人族と只人の家族だろうか。
奇妙なのは、四人揃ってこちらを凝視していることだ。そしてその表情には、驚愕とわずかな怯えの混じっている。
視線が交わったのは一瞬で、彼女達はすぐに踵を返し、そそくさと大通りから姿を消してしまった。
「プルーナさん、今のって……」
「--はい、僕の家族です。代々軍人の奔り人の家で、母と姉も西征軍に参加したと思っていましたけど、無事だったんですね……
この国では魔法型の奔り人はとても珍しくて、はっきり言って差別の対象です。あの人達も、僕が身体強化ができない魔法型だって分かってから、出来損ない、恥晒しって散々罵ってたんですよ?
でも…… ふふっ、聖国の使者でもある皆さんと一緒にいる僕を見て、怯えて逃げていっちゃいましたね…… 本当に、くだらない……」
声も平坦で、表情も彫像のように動かない。しかし、まるで静かに泣いているかのような雰囲気に、僕はそっとプルーナさんの肩に触れた。
「あ…… す、すみません。ちょっと暗い話をしてしまいました…… えっと、そうだ。皆さん朝はまだですよね。あっちに美味しい屋台があるんです。行ってみませんか?」
「--いいね! ちょうどお腹減ってたんだよ」
「連邦の屋台料理…… 楽しみですわぁ」
今は明るい話をしよう。そんな連帯感と共に、僕らは良い匂いのする屋台に向かって歩き始めた。
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