第177話 幽鬼の女王
すみません、遅くなりましたm(_ _)m
幽鬼。最初にその言葉が浮かんだ。謁見の間の奥から現れた陛下は、輝く黄金の毛髪はくすみ、過去の戦働きで鍛え上げた肉体はやせ細り、その歩みはふらふらと頼りなかった。
俯いているので表情はわからないけれど、健全な状態とはまったく言え無いことは分かる。僕の脳裏に、先ほどまで目にしてきた王都の有様が浮かんだ。あの街並みと同じように、陛下も変わり果ててしまっていた。
そして、外見の変わり様に目を奪われて最初は気づかなかったのだけれど、彼女の手には鞘に納まったブロードソードが無造作に握られていた。
「へ、陛下…… この場には近衛騎士が詰めております。恐れながら、陛下が剣をお持ち頂く必要は無いように存じます」
僕と同様の不安に駆られたのか、王座近くまで歩いてきた陛下に宰相閣下がおずおずと声をかけた。
すると陛下はゆっくりと顔をあげて宰相閣下を睨み、それから首を回して僕らの方を見た。痩せこけた頬に落ち窪んだ目、痛ましい姿に胸が痛む。
陛下は最初、定まらない視線を僕らに投げかけていた。しかし僕の隣、ヴァイオレット様を見た瞬間、その目には急激に生気が戻り、同時に狂気が宿った。
「……ヴァイオレットォーーーッ!!!!」
痩せ細った体のどこにそんな力が残っていたのか、陛下は咆哮とともに鞘から剣を抜き放ち、ヴァイオレット様に殺到した。
僕が反射的に腰を浮かせたのと同時に、ヴァイオレット様はその場に立ち上がった。武装解除されているとは言え、彼女の実力なら陛下の剣を止めることはたやすいはず。
引き伸ばされた時間の中、陛下が大上段の構えで、ヴァイオレット様まで一足一刀の距離まで距離を詰める。
ここで、違和感に気づく。ヴァイオレット様が全く構えず、自分に向かってくる陛下をただ静かに見つめているのだ。まさか……!?
僕は直感に従ってヴァイオレット様の前に走り、身体強化を最大化して腕を頭上に翳した。
ザグッ!!
「ぐぅ……!」
衝撃と激痛が走る。陛下が振り下ろした狂気の剣は、最大強化した僕の身体強化を突き破り、左前腕の半ばまで食い込んでいた。
「な!? タツヒト、なぜ!?」
「タ…… タツ、ヒト……?」
後ろからヴァイオレット様の焦った声が聞こえ、眼前の陛下が震えた声で慄くように呟いた。
なぜって、多分けじめだとか言って一太刀受けるおつもりだったのだろうけど、それを僕が許容するわけ無いでしょう。
そう言葉にしようとしたけど、それより早く動いた人がいた。
バキャッ!!
僕の前で固まっていた陛下が真横に吹き飛び、彼女と入れ替わるように黄色い影が目の前に現れた。
「グルルルルッ…… てんめぇっ……! ウチの男に何すんだにゃ!!」
ゼルさん……! あんなに偉い人は苦手だにゃって言ってたのに、まさか国で一番偉い人を殴り飛ばすなんて。
これは大分まずい。だけどめったに怒らない彼女が、僕のために怒り、表情を憤怒に歪めている。これは大分嬉しい。
--て、それどころじゃない!
「へ、陛下……!」
「貴様ぁ、無礼者!!」
陛下の凶行に惚けていた近衛騎士達も、さすがに自分の君主が殴り飛ばされたら黙っていない。
彼女たちが僕らに向けて脚を踏み出そうとしたとき、殴り飛ばされて床に倒れていた陛下が手を上げた。
「待て」
陛下の声に、近衛騎士たちが困惑しつつも停止した。
彼女がぎこちなく上半身を起こそうとする間、みんなが心配そうに僕を取り囲んだ。
「タツヒトさん、ゆっくり座って下さい! すぐに治療します!」
「あ…… すみません、お願いします」
僕がその場に座り込むと、ロスニアさんが麻酔と止血の神聖魔法を唱えはじめた。
「すまないタツヒト……! 私がつまらぬことを考えてしまったばかりに……!」
「やべぇにゃ…… やっちまったにゃ」
「よし……! シャムちゃん、タツヒトさんの左腕が動かないように押さえてください! キアニィさん、ゆっくり、まっすぐ剣を抜いて下さい!」
「お、押さえたであります!」
「タツヒト君、抜きますわよ……!?」
「はい、抜いてください」
キアニィさんが、僕の腕に刺さりっぱなしの剣を引き抜いてくれた。魔法のおかげで痛みも出血もない。
そしてロスニアさんが別の魔法を唱え始めた時、陛下が上半身を起こし終わった。その頬には腫れあがり、口の端から出血しているのが見える。
「ウチの男だと……? どういう事だヴァイオレット。貴様はタツヒトを我が物とするため、連れ去ったのではないのか……?」
呆然とそう問いかける陛下に、ヴァイオレット様が向き直った。
「陛下、正確には私たちの男と言ったところです。貴方もそうであったように、この男は人を惹きつけます。そしてその愛は、私一人では有り余るほど大きい。まぁ、単に気が多いとも言いますが……
さておき、彼は騎士としての責任を投げだした私も、一国の女王を平然と殴り飛ばす戦士も、自分を殺しに来た暗殺者ですら愛してくれました。
今そこで必死に治療している聖職者の彼女も、彼を心配そうに見守っている白髪の彼女もそうです。皆、タツヒトと心を繋いでいるのです」
ヴァイオレット様の表情は僕からは見えない。だけど、その声はとても淡々としていて、いろいろな感情をねじ伏せながら話しているかのようだった。
「--なぜだ。それならばなぜ、余はそちらに居ないのだ……」
「--陛下。それは貴方が間違えてしまったからです。その意思をないがしろにし、力と権力で彼を手に入れようとした。心を繋ごうとしなかった。だから、彼は私と共にあなたの元を離れたのです」
「……!」
その時の陛下の表情は、声を上げずに絶叫しているかのような、深い悲しみと後悔に満ちたものだっだ。
僕はまた、彼女の頭をかき抱いて慰めたい衝動にかられた。でも、すんでのところで理性が勝った。それをするには、僕と彼女は道を違え過ぎてしまっていた。
--今これを伝えることは、彼女をさらに追いつめることになるかもしれない。でも、それでも言わなければならないはずだ。僕はゆっくりと立ち上がった。
「あ……!? だ、だめですタツヒト君! まだくっついていません!」
「ごめんなさいロスニアさん。少し…… ほんの少しだけ時間を下さい」
僕はわずかに出血する左腕を押さえながら歩き、へたり込んでしまっている陛下の元へかしずいた。
「陛下…… 直接ご挨拶に伺わずに王都を出奔してしまい、誠に申し訳ありませんでした。私は、ヴァイオレット様と行きます。ヴァイオレット様と、ここにいる仲間たちを愛しているのです。此度は、それをお伝えするために御前に参上いたしました。
--陛下も、陛下に心を寄せるお方と、どうかお健やかに……」
陛下は僕の顔を凝視しながら、呆然と涙を流し始めた。
事の行く末を見守っていたケヴィン分隊長に一瞬目を向けると、彼は僕に深々と頭を下げてくれた。
この謁見の間にいる王国の人達の中で、彼だけが陛下を本当に心配しているように見えたのだ。
「--あぁ…… うぐっ、あぁぁぁ……」
なんとか上半身を起こしていた陛下は、自分の重さすら支えきれなくなったように倒れ伏した。
そして陛下のか細く悲痛な嗚咽が、広い謁見の間に虚しく響いた。
お読み頂きありがとうございます。
よければブックマークや評価、いいねなどを頂けますと励みになります。
また、誤字報告も大変助かります。
【月〜土曜日の19時頃に投稿予定】
※ちょっと下に作者Xアカウントへのリンクがあります。