第168話 聖都の日常(1)
みんなで爛れた夜を過ごした翌朝。僕らは同じ寝室で目を覚ました。
なんで完走できたのか自分でもびっくりだけど、ともかく昨夜は頑張った。
ちなみに、以前からその兆候はあったけど、キアニィさんは昨夜で完全にMの扉を開いてしまったらしい。
これは僕の責任によるところが大きいのだけれど、時期を同じくしてSに開眼したロスニアさんにも責任の半分はあるはずだ。うん。
昨夜の後半は、もうあの二人で楽しんでたもの。ちょっと妬ける。
そんなわけで、流石に今朝は疲れ果てているかと思ったけど、僕らは体力自慢の冒険者だ。
前日の雰囲気を引きずってしまっていて、みんなと目が合った時、一瞬もう一戦か……? みたいな雰囲気になった。
が、そこで寝室のドアが勢いよく開いた。もう一つの方の寝室で眠っていたシャムが、起きた時に誰も居なかったことを不安に思い、涙目でこちらに突撃してきたのだ。
僕らは号泣しながらになじるシャムを必死に宥めた。そして、今夜はみんなで一緒に眠り、シャムが目覚めるまで決してベッドから居なくならない事を宣誓したことで、やっと許して貰うことができた。
それから念入りに身繕いをした僕らは、大聖堂に行って猊下に面会を申し込んだ。
すると、絶対忙しいはずなのにすぐに会っていただけることになった。首を傾げながら案内された部屋に入ると、そこには教皇猊下、枢機卿猊下、騎士団長閣下の重鎮のお三方が揃っておられた。
びっくりして硬直する僕らに、バジーリア枢機卿が朗らかな笑みを向けてくれた。
「やぁ、おはようございます。ちょうど皆さんのことを話していたんですよ。さぁ掛けて掛けて」
「お、おはようございます。両猊下、閣下。失礼します」
このお三方にはいまだ緊張してしまう僕ら大人組とは対照的に、シャムは元気に挨拶を返した。
「ペトリア、バージリア、アルフレーダ、おはようであります! 昨日はありがとうであります!」
ひ、ひぇぇ……
「シャ、シャム! せめて様をつけてお呼びしな!」
「良い。我はシャムを孫のように思っている。畏まる必要は無い」
「はい、おはよう。うんうん。予後も良いようですねぇ」
「おはようシャム。今日も元気で大変結構」
相変わらず皆さん寛大で非常にありがたい。でも、本当に心臓に悪い。
しかし孫か…… 相変わらず猊下とシャム、それからカサンドラさんとの関係は判然としないし、神様的な存在についても分からないままだ。猊下も詳しく話すつもりは無いようだしなぁ……
でも、カサンドラさんもそうだったけど、猊下がシャムを可愛がってくれているのは本当みたいだ。今は、それで納得しておこう。
それから僕らは、改めてシャムの件のお礼を言ったり、お布施の件について話したりした。
聖教では、パーティーメンバーなどの身内を除き、治療を行ったら必ずお布施、というか治療費を徴収することになっている。
しかし、孫であるシャムは猊下の身内と解釈できるので、お布施はいらぬと言われてしまった。とことん孫に甘いおばあちゃんだ。
そしてそれらの話がひと段落した後、話題はロスニアさんの修行に関するものへ移った。
「さて、ロスニアよ。以前伝えた通り、其方には少し特殊な神聖魔法を習得してもらう。
しかしその特殊さ故、我が務めの合間を縫って其方に教示する形になる。習得には時間を要するだろう。
だがシャムのため、どうか成し遂げて欲しい」
猊下の言葉にロスニアさんがこちらを見たので、僕らは大きく頷いた。僕らの中にこの提案に異議を申し立てる人間は居ない。
「はい猊下。どうかお導き下さい」
「みんな…… ありがとうであります。でも-- わっ」
ちょっと不安そうな表情に見えたので、僕は隣に座っていたシャムの頭を少し大袈裟に撫でた。
「前にも言ったけど、気にするんじゃないよ。みんな好きでやってるんだから」
僕の言葉に、シャムが恥ずかしそうに笑って身を寄せてきたので、ぎゅっと抱き寄せる。愛い奴よのう。
「うむ。仲良き事は美しき哉。 --我も神ならぬ身なれば、先の事は分からぬ。だがロスニアよ。神託の御子である其方と其方の輩には、今後様々な困難が立ちはだかるであろう。
この二人と話していたのはそのことについてだ。ロスニアの修練には時間を要するので、その間其方らも同様に修行してみてはどうだろうか。
通常の神聖魔法についてはバージィに、戦いの術についてはアルフに頼ると良いだろう」
「それは…… 願ってもないことだ! アルフレーダ騎士団長閣下にご指導頂けるなど、これほど光栄なことはない……!」
「うむ、任されよ。ヴィー殿はその年でかなりの腕前と見た。指導のしがいもあるというもの。他の者達も粒揃い、騎士団への良い刺激にもなろう」
おぉ、ヴァイオレット様のテンションが上がっている。もしかしなくても、アルフレーダ騎士団長も紫宝級に至っているのだろうか? そう考えると、この空間すごいな……
訓練は明日からということだったので、僕らは大聖堂を後にし、その日の午後は消耗品を補充したり装備を整えたりして過ごした。
宿への帰り道でメームさんの店に寄ったら、早速大聖堂の御用商人であることを全面に出した宣伝がなされていた。
御用商人効果か種族的にそうなのかわからないけれど、珈琲は妖精族の人達に大好評で、初日が嘘のように店は流行っていた。
この勢いだとすぐに売り切れそうなので、明日にでも魔窟都市に人をやって珈琲豆を補充するということだった。
ちょうど良いので、魔窟都市のみんなにシャムが治ったことを知らせる手紙を届けてもらうことにした。
カサンドラさん、メルセデス司祭、冒険者のみんな、知らせておきたい人は沢山いる。
冒険者の方は牛人族のダフネさんだけでいいかとも思ったけど、ゼルさんが「可愛そーだからあいつにも送ってやるにゃ」と言うので、猿人族のカウサルさんにも知らせることにした。
……でも、なんかカサンドラさんあたりはすでに知ってそうな気がするんだよなぁ。
***
懐かしい景色だ。空中から眼下に見えるのは、直径100m程度の高い防壁に囲まれた、それほど大きく無い村だ。
視点が村の中に移る。村の中心には水路が通り、奥には教会と村長の家、手前側には製材所などの施設が見える。僕がこの世界に来て初めてお世話になった、開拓村ベラーキだ。
しかし、よく見ると村の中は荒れ果てていた。畑の作物は萎びており、果樹園は枯れ木ばかり、水路を流れる水も汚水のように濁っている。
視点は次に、村の冒険者達が身を寄せていた酒場兼冒険者宿舎の中に移った。
酒場には懐かしい顔をした人達が何人もいたけれど、全員が痩せ細り、テーブルに突っ伏したまま動かない。座ったまま餓死しているかのようだった。
視点はさらに移動し、階段を登って二階の一室に入った。
その一室の簡素なベッドの上には、一人の見覚えのある少女がぐったりと身を横たえていた。
彼女も階下の人々と同様に痩せ細り目も落ち窪んでいる。快活な笑顔に溢れていた表情は望洋としていて視線も判然としない。
「お腹、減ったなぁ……」
その少女は消え入るような声でそう呟くと、ゆっくりと息を吐きながら目を閉じた。
微かに上下していた少女の胸は、それ以来動かなくなった。
***
「エマちゃん……!」
僕は押し殺した悲鳴と共に飛び起きた。心臓が早鐘のように鼓動し、汗は滝のように吹き出している。あたりを見回すとそこはベラーキの村では無く、枢機卿猊下があてがってくれたくれた上等な宿の寝室だった。
寝室には大きな三つのベッドが置いてあって、それぞれヴァイオレット様とキアニィさん、僕とシャム、ロスニアさんとゼルさんが眠っている。
僕の隣で眠っているシャムは、幸せそうな寝顔で穏やかな寝息を立てていた。彼女の頭をさらりと撫でたところで、やっと心臓の鼓動が落ち着いてきた。
しかし眠気は吹き飛び、横になる気にもなれなかった。
「--タツヒト…… 大丈夫か?」
「怖い夢でも見ましたの?」
しばらく身を起こしたままじっとしていると、隣のベッドのヴァイオレット様とキアニィさんが身を起こし、心配そうに声をかけてくれた。
「すみません、起こしてしまって。 --目の前の大きな心配事が解決して、追手もこなそうだと安心してしまったからでしょうね…… ベラーキの、エマちゃんの夢を見ていました」
僕の言葉に、二人の表情が痛ましそうに歪んだ。
ヴァイオレット様のお母さん、ヴァロンソル侯爵によると、大脅威を遠因とした食糧難により、領内の餓死者は一万人と推定されていた。
僕が素直に女王陛下の元に行けば食糧支援があったのだろうけど、それを蹴って出奔したので支援は絶望的だろう。
「--私も時折夢に見る。心の内の罪悪感が鏡写しになったかのような、痛ましい夢だ……」
「お二人とも。わたくしが言うのもおかしいですけれど、ベラーキは大脅威の被害を殆ど受けなかったのでしょう? ならば、他の村はともかくとして、あの村で餓死者が出ることは無いはずですわぁ。
それに、お二人が心を殺して王国に留まったとしても、今度は王領から支援を受けられなかった別の領で餓死者が出たはずですわぁ」
「あぁ、ありがとうキアニィ。わかっている。頭ではわかっているのだ……」
僕らはあそこにあったあらゆる事を放り出し、お互いを選んで逃げ出した。そこに後悔は無い。けれど、罪悪感まで消し去れるほど器用でもない。さっきのような悪夢が、いつまでも付き纏うのだ。
その日僕は、いつまで眠ることができなかった。
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