第162話 鬣犬人族の商人
すみません、遅れました。ちょっと長めです。
東の空に浮かぶ太陽は、まだ低い位置だというのに容赦無く照り付けている。暦の上では漸く秋口になったばかり。真夏ほどでは無いけれど十二分に暑い。
そんな過酷な砂漠の中で、僕ら『白の狩人』は十数頭の駱駝を引き連れた商隊を中心に散開し、周囲の警戒をしていた。
ざくざくと粒子の細かい砂を踏みしめながらひたすら東へ進み、なだらかな砂丘を越えて盆地のような場所に出た時、特に感覚の鋭い二人が反応した。
「んにゃ……? にゃんか聞こえるにゃ!」
「地面から振動…… タチアナちゃん!」
ゼルさんとキアニィさんの言葉に、僕はすぐに応えた。
「隊列停止、密集隊形! 『白の狩人』は周囲を警戒!」
長く伸びた駱駝の隊列がコンパクトにまとまり、その周りを僕らが固め、全員が砂地に目を凝らす。
そして数秒後、足元の振動は僕でも感じられるほどに強くなり、蜃気楼に歪む景色がさらにぐらぐらと揺れ始めた。
ズドドォッ!
殆ど同時。僕らの外周わずか数m程の距離で、まるで爆発するかのような勢いで何箇所も砂が吹き上がった。
だんだんと砂煙が晴れると、そこには十数本の柱のようなものが屹立していた。
でも、それはすぐに勘違いだと分かった。柱のように見えたそいつらは、ぐにゃりと体を曲げて僕らの方に頭を向けた。
『『ギギィィィィッ!!』』
見た目は蚯蚓のようだったけど、そのサイズがおかしかった。太さは一抱えほどあり、長さも十数mはある。
その大蚯蚓の口らしき場所には凶悪な歯が何本も円形にびっしり生えており、涎を垂らしながらそれらを打ち鳴らしている。
「砂漠蚯蚓がこんなにいっぱい……! も、もうだめっス〜!!」
「静かに。彼女達がなんとかしてくれる」
後ろの方で、護衛対象である商隊の人達が賑やかにしている。
「安心しな、すぐに片付けるよ! 各自、殲滅!」
「「了解!」」
『螺旋火!』
『螺旋岩!』
僕が放った火線が、目の前の砂漠蚯蚓数体の胴体をまとめて焼き切った。
そして護衛対象を挟んで反対側。チラリと振り返って確認すると、ロスニアさんが放った岩塊が別の個体の頭部を吹き飛ばしていた。
『『ギュィィッ!』』
仲間を殺されて怒ったのか、残った個体が猛然と僕に突っ込んでくる。しかし、僕らは前衛は半端じゃなく頼りになる。
「ふんっ!」
ズババァンッ!
僕の前に割り込んだヴァイオレット様が斧槍を振るった。音速を超える速度で叩きつけられた肉厚の刃は、殺到した数体の頭部をまとめて吹き飛ばしてしまった。
「助かったよ、ヴィー!」
「うむ!」
視線を巡らせながら、近い個体にどんどん火線を打ち込んでいく。視界の端で、キアニィさんが蹴りで砂漠蚯蚓の頭を吹き飛ばし、ゼルさんが双剣で胴体をぶつ切りにしているのが見えた。
そのまま寄ってくる端から砂漠蚯蚓を討伐していくと、数分もしない内に周囲に動くものは無くなっていた。
「す、すごいっス! さすが緑鋼級のパーティーっス!」
さっきまで怯えていた護衛対象の商人の人達が、安堵した様子でへなへなと膝をついた。一人だけ元気な人がいるけど、この人はちょっと特殊だ。
「お褒めに預かり光栄だね。あっと、おーいシャム! 大丈夫だったかい?」
商人の人達が引き連れている駱駝の一頭。その上に座るシャムに僕は声をかけた。
自力では座っていられないので、駱駝に座椅子のような物を取り付け、彼女が落ちないように帯で固定している。
「大丈夫で、あります。どこも、痛めていないであります」
弱々しくもはっきりした返答が聞こえ、僕はほっと息をついた。
「そうかい。よし、すぐに血の匂いで他の魔物が寄ってくる。急いで移動の準備をしておくれ!」
「わかった。みんな、隊列を戻して進むぞ」
リーダーの人が声をかけると、商隊の人達はすぐに駱駝を操り、元の長く伸びた隊列に組み替えてしまった。
うん。やっぱりこの商隊はすごく連携が取れていてる。護衛もしやすくてありがたい。
「仕事が早くて助かるよ。それじゃあ進もうか」
商隊に合わせて『白の狩人』も散開し、僕らはまたひたすら東に向かって進み始めた。
この日の魔物の襲撃は朝の砂漠蚯蚓のみで、無事に夜を迎えることができた。
野営の準備を整え、夕食を終え、あとは交代で寝るばかりなのだけれど、今日は少しばかりやることがあった。
準備を始めた僕の隣には、今回の護衛対象である商隊のリーダー、鬣犬人族のメームさんが座っている。地球世界におけるブチハイエナっぽい特徴がある。
灰色のアシンメトリーなショートカットに、切れ長な目と怜悧な顔立ち、長身でスレンダーな体躯をしている。
中性的な魅力に溢れたかっこいいお姉さんだ。なのに毛並みはふわふわなのが可愛くもある。
彼女とは魔窟都市で買い物をする内に仲良くなった。僕らが都市を離れて聖都に行くと伝えたら、自分たちも聖都に行くつもりだったので、ついでに護衛して欲しいと依頼してきたのだ。
メームさんが見守る中、僕はフライパンを取り出し、そこに白っぽい豆をざらざらと入れた。そしてそれを、灯火の魔法でじっくりと煎り始めた。
しばらくすると豆がぱちぱちと言い始めた。そして、香ばしいいい匂いと共に茶色く色づたところで火を止めた。
その後は豆を香草を擦り潰す器具で粉にし、麻布で作った袋に入れ、上からお湯をかけて小鍋に抽出する。
そうして出来上がった黒い液体をカップに移し、僕はゆっくりとそれを飲んだ。
鼻から抜ける香ばしくもフルーティな香り、甘みが強く、わずかな酸味と苦味も感じる複雑な味わい。とても美味しい珈琲だった。
「美味しい……! 一発目とは思えない出来栄えだよ! メーム、ほらあんたも!」
僕は新しいカップに珈琲を注ぐと、側で作業を見守っていた商隊のリーダー、メームさんに渡した。
「あぁ、頂こう」
彼女は、灯火が放つのほのかな光で珈琲の色合いを確かめてから、ゆっくりとカップに口をつけた。
そして、ほんの少し目を見開いた後、満足そうに微笑んだ。
「美味い……! 安らぐような素晴らしい芳香、ほのかな甘みだけではない、コク深い味わい。素晴らしい…… 普段捨てているブンナの種から、こんなに美味い茶ができるとは……
さすがだなタチアナ。俺ではこんな方法は思いつかなかった」
彼女は目を爛々と輝かせ、珈琲の味を確かめるように何度もカップに口をつけている。この人は物静かに見えて、好奇心や商売に対する情熱がすごいのだ。
魔窟都市では、珈琲の木、こっちの世界ではブンナと呼ばれる植物が栽培されていた。
しかし、赤い実の部分を食べたり葉っぱをお茶にしたりはするけど、種を焙煎してお湯で煮出すなんとことはされていなかった。
僕は朧げな記憶を頼りに、何度か発酵や乾燥の工程で失敗しながら、赤い実から生豆の状態まで加工することに成功した。
そしてその生豆を焙煎し、珈琲とし初めて飲めたのが今というわけだ。
メームさんは珈琲の実を融通してくれたお店の店長さんで、僕の試行錯誤を面白がって色々と手伝ってくれたのだ。
「しかしタチアナ、俺に製法を見せてしまった良かったのか?
これはブンナの果肉や、葉から作った茶とは全く違う商品だ。莫大な利益を生み出せるぞ?」
「ははは。アタイはただの冒険者だ。商売に関しては素人だよ。メームがそいつでうまく商売を成功させてくれたら、アタイは労せずして珈琲を飲めるってわけさ。それで十分さね
あぁ、飲み過ぎには気をつけておくれよ。眠気覚ましと、小用に行きたくなる効能があるから」
「……そうか。分かった、これは俺が必ず世の中に広めてみせる」
メームさんが真剣な表情でそう宣言したところで、ひょこっと小さな人影が顔を出した。
「店長! 何飲んでるっスか? ウチにもくださいっス!」
現れたのは犬人族のラヘルさんだ。小柄で愛想が良く、メームさんのお店では主に接客を担当している。犬種でいうと、多分ポメラニアンあたりかな? こちらももふもふで可愛い。
今朝魔物に襲われた時もそうだったけど、とにかくべしゃりがすごいのだ。彼女の営業トークを聞いていると、いらないものでも必要な気がしてくるくらいだ。
「タチアナが開発した、新しいブンナの茶だ。飲んでみろ」
「へぇー、いい香りっスねぇ! いただきま〜す…… うわっ、に、苦い……」
途端に情けない表情で耳を伏せるラヘルさん。そりゃそうか、慣れてないと苦味がキツイよね。
僕は荷物から砂糖の壺を取り出すと、ラヘルさんのカップにたっぷり入れてやった。
「え、いいんすか!? 砂糖ってめちゃくちゃ高いっスよ!?」
「いいから飲んでみな。だいぶ飲みやすいはずだよ」
「はいっス! ごくごく…… あ、うっま!? これめちゃくちゃ美味いっす!」
おぉ、すごく気に入ってくれたみたいだ。よかった。あっそうだ。
僕はもう一杯砂糖入りの珈琲を作ると、ラヘルさんに渡した。
「ラヘル。悪いんだけど、こいつをシャムにも持って行ってやってくれないかい? あの子もきっと気に入ると思うんだ」
「お安い御用っス! おーい、シャムちゃーん!」
元気に駆けていくラヘルさんを見送ったメームさんが、優しげな表情でこちらを振り向いた。
「大事にしているんだな、シャムのことを」
「そりゃぁもちろんさ。アタイらみんなの妹みたいなもんだからね。
……本当かどうかは分からないけど、聖都にはあの子を助ける方法があるらしいんだ。きっと、治してみせるよ」
「そうか…… 治るといいな。俺も、微力ながら協力しよう」
「ありがとう、心強いよ」
メームさんは微笑みなが頷くと、また静かにカップを傾け始めた。それにつられたように、僕もカップを傾ける。
僕らは会話もなく、静かな砂漠の夜を楽しむかのように珈琲を飲み続けた。
魔窟都市を出た初日の夜は、香ばしい香りと共に静かに更けて行った。
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【月〜土曜日の19時頃に投稿予定】
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