第155話 人面蠍尾にして百獣の王(1)
すみません、だいぶ遅れてしまった上に、だいぶ長めです。
「ロスニア…… ずるいにゃ。ちょっと代われにゃ」
「いや、私の足だとお二人についていけないじゃ無いですか。だから仕方無いんです。諦めてください」
縦穴の底、その岩壁に開いた横穴は、ずっと奥まで続いていた。僕らはその道を静かに、しかし最速で進めるよう走っていた。
ロスニアさんは身体強化した僕とゼルさんについて来れないので、僕が彼女を抱き抱えて走っている。
ロスニアさんはニコニコしながら僕に尾を絡め、体を押し付けてくれるので、全身が柔らかな感触に包まれている。幸せ。
ゼルさんがロスニアさんを抱えてもよかったのだけれど、彼女は瞬発力全振りなところがあるので……
「うにゃ〜……! ずるいにゃずるいにゃ!」
「ちょっ、ゼルさん、静かにしてくださいよ。地上に戻ったらいくらでも抱っこしますから」
「--タツヒトがそう言うならしょうがないにゃ」
「むぅ…… タツヒトさん、ちょっとゼルに甘くありませんか?」
「あー…… 否定はできないかもです。結構頑張って買い戻しのお金用意したりしましたし。
でも、奴隷落ちしたのがロスニアさんでも同じことをしましたよ?」
「そ、そうですか。ならいいです……」
そんなアホみたいな会話をしながら走っていると、何度目かの分かれ道に来た。
僕らは合図も無く立ち止まり、ゼルさんが指を舐めて風向きを確認してくれた。
「ん〜…… あっちの方が風が弱いから、多分こっちだにゃ。この辺まで来るとどの道も風が吹いてて道が分かりずらいにゃ」
「ありがとうございます。こっちに行きましょう。もう主の部屋が近いということでしょうね」
カウサルさんの導きの霧が無いので、分かれ道でいちいち立ち止まる必要があった。
その上、三人しかいない僕らは魔物との戦闘により慎重になる必要があった。やむを得ない場合だけ戦闘して、無理そうな相手は遠回りしてでも避ける。
そんな感じで二日ほどかけて魔窟の最深部を進んでいき、なんとか無事に、主の部屋の前の広間にたどり着くことができた。
「おー、三人でもなんとかなるもんだにゃあ」
「ええ。お二人が頑張ってくれたおかげです。それにしても、大きいですね……」
今僕らがいる大広間のような場所の壁には、僕らがここに来たものも含めて沢山の横穴が開いている。おそらく、これらの横穴が幾重にも分岐して地上に伸びているのだ。
そして横穴が開いている壁の反対側に、縦横数mはありそうな大きな空間の歪みのようなものがあった。
実際には単に岩壁に横穴が開いているだけなのだけれど、主の部屋の入り口には光を歪める何かがあるようで、中の景色がぐにゃぐにゃに歪んで見えてしまうのだ。
五階層ほどの若い魔窟を討伐した時はもっと入り口も小さかった。多分、魔窟の規模に応じて主の部屋も大きくなるんだろうな。
「縦穴に落ちてしまったから分からないですけど、多分この魔窟は100階層は超えてますからね。主も相応の強さでしょうね……」
「それでどうするにゃ? まだ他の連中は来てにゃいみたいだけど、ちょっと中を覗いてみるかにゃ?」
「--いえ、みんなが来るまで待ちましょう。運悪くそのまま戦闘になってしまった場合、三人だとおそらく手に負えないでしょうから」
「わかったにゃ。それじゃあ一休みするにゃ」
ゼルさんが壁際に座り込み、自分の膝をポンポン叩くので、僕は吸い込まれるようにそこに頭を横たえた。
するとすかさずロスニアさんが隣に座り、まだ完全に回復していない僕の左手の治療を始めてくれた。
この爛れた構図…… 最初は僕も遠慮していたのだけれど、この二日間で完全に味を占めてしまった。
「--よし、終わりました。うん、炎症もほとんどないですね。今回で完全に回復できたと思います」
「はい、もう全く痛みがありません。主との戦いに間に合ってよかったです。ありがとうございます、ロスニアさん」
「いえいえ、お役に立ててよかったです」
にこにこと笑うロスニアさん。本当にいい人だな、この人。そう感心していると、ゼルさんがぬぅと僕に顔を近づけて来た。
「にゃあにゃあ、タツヒトの怪我も治ったし、他の連中が来るまで時間もありそうだにゃ。ちょっと何かして時間を潰す必要があるよにゃ?」
ゼルさんがニヤニヤしながら僕の体を撫で回す。
「いやっ…… だ、だめですよ! あの時はみんな死にかけた直後でおかしくなってましたけど、今は全員正気じゃないですか!?」
「いやぁ? ウチは何にも言ってないにゃあ。でもタツヒトがそういう気分だったら、ウチらは喜んでお誘いを受けるにゃ。にゃぁ、ロスニア?」
「えっ……!? えっと、人々の融和こそ神の教えですし、タツヒトさんがしたいのでしたら…… その、否定はしません」
ゼルさんの言葉に、ロスニアさんまで赤面して身を寄せて来た。ま、まずい、また雰囲気に流されそうだ。でもこんなところでそんなことするのは危険すぎるし、まだヴァイオレット様達の安否も分からない。
ここは断固とした意思で--
ダカカッ、ダカカッ……
その時、僕の耳に懐かしい蹄の音が聞こえた。たった二日聞いていないだけなのにもう泣きそうだ。僕はガバリと起き上がり、音が近づいてくる横穴を見た。
「二人とも! 聞こえましたか!?」
「にゃー、聞こえたにゃ。安心したけどちょっと残念だにゃ。にゃぁ、ロスニア?」
「--否定はしません」
「にゃはははは」
ダカカッ!
横穴から走り出して来たのは、やはりヴァイオレット様だった。
「む、広間に出たか…… あ…… タツッ…… タチアナ!!」
「ヴィー!!」
僕らはお互いに走り寄り、しっかりと再会の抱擁を交わした。
ヴァイオレット様と抱擁を交わしていると、横穴から続々と残りの面子が顔を出した。
「タチアナ! ゼルも無事であります!」
「タチアナちゃん! ロスニアも! よかったですわぁ……」
僕とヴァイオレット様の周りにパーティーメンバーが集まり、お互いに無事を喜び合う。本当に良かった、誰も欠けていない。
「おぉ、三人とも無事だったかぁ。ヴィーの言う通りだったなぁ。重畳重畳。よしお前ら、もう主の部屋の目の前だぁ、小休止するぞぉ!」
少し遅れて広間に入ったダフネさんが休憩を宣言し、同時に僕とヴァイオレット様も抱擁を解いた。しかし、手は握り合ったままである。
「君が主の部屋で待つと言ったのが聞こえたのでな。蠍どもに横穴へ押し込まれた後、無理に戻らずに先へ進んだのだ。本当に、君達が無事で良かった」
「その信頼が何より嬉しいさね。アタイもヴィーは必ずここに来ると信じてけど、それはそれとして、そっちもみんな無事で良かったよ」
「ふふっ、気が合うな。さぁ、少し座って休もう」
ヴァイオレット様の言葉に、『白の狩人』の面子が固まって車座に座った。
「我々の方は、君達が抜けた後も魔窟を降り続けてここに辿り着いた。緑鋼級を始めとした強力な魔物が散見されたが、あえて特筆するべき出来事もなかったな。
そちらはどうだろうか? 縦穴に落ちた後のことを聞かせて欲しい」
ヴァイオレット様に水を向けられ、僕、ゼルさん、ロスニアさんがピシリと固まった。
何というか、許可のようなものは貰っていたけど、いざ説明しようとすると非常に気まずい。
「三人とも、どうして動作を停止させているでありますか?」
「ふむ…… キアニィ。これはまた、タチアナが我々の予想を超えた予感がするぞ」
「え、えぇ。でも、ここは魔窟の深層でしてよ? 感心するべきか、呆れるべきか……」
「えっと、その……」
「いや、今はその事はいい。ひとまず、魔窟攻略に必要そうなことのみを共有して欲しい」
「わ、分かりました。僕らは縦穴に投げ出された後--」
僕がみんなとはぐれた後のことをざっくりと説明すると、ヴァイオレット様は眉を顰めた。
「ふむ、おおよそ了解した。そのような方法で凌いだとは…… 随分無茶をしたのだな」
「ヴィーさん、タチアナさんを責めないでください。私が最初に落ちてしまったせいで--」
「いや、魔法型の連中を守るのが戦士型の仕事だにゃ。ロスニアの近くにいたウチの落ち度だにゃ。すまんにゃ」
「あぁ、いや、責めている訳ではないのだ。ともかく、三人とも無事でよかった。これで、我々も全員で主に挑むことができる」
ヴァイオレット様がそう言った直後、ダフネさんが立ち上がった。
「お前ら、十分休めたかぁ? --よし、じゃぁやるぞぉ!!」
「「応!!」」
彼女の号令に僕らも立ち上がり、主の部屋の前に集まって軽い打合せを行った後、全員で部屋へ突入した。
歪んだ光のカーテンを抜けた後、すぐに視界はクリアになった。
主の部屋の中は、縦横100mはありそうな広大なドーム状の空間で、中は粒子の細かい砂で満たされていた。
そして部屋の一番奥に、太さ3m程、高さ10m程の巨大な石筍が鎮座していた。この魔窟の本体だろう。あれを破壊すれば依頼達成だけど……
「さすが100階層を超える魔窟の本体だなぁ。びっしり青鏡に覆われてやがる…… あれをぶっ壊すのは骨が折れるぞぉ」
「あぁ、破壊できるのはアンタぐらいだろうな。そこは任せる。しかし、どういうことだ? 主の姿が見えないぞ?」
ダフネさんの言葉に、カウサルさんが疑問を投げかける。
そう。普通はその魔窟で最強の魔物が、主の部屋で魔窟の本体を守っているはずだ。しかし、あたりを見回してもそれらしき姿はどこにもない。
「確かに不自然だね…… でも、やらなきゃいけないことは本体の破壊だろう? 主がたまたまここを留守にしてるって場合、ものすごい好機だよ」
「うむ。主の部屋に、主となる魔物がいないことも極稀にある。今回はその可能性もあるだろう」
僕とヴァイオレット様の言葉に、ダフネさんは数秒思案した後で大きく頷いた。
「んー、そうだなぁ。よし、警戒しながら本体まで進むぞぉ。そんで俺が本体を壊すから、その間お前らで俺を守ってくれや」
「「応!」」
ダフネさんを先頭にし、相変わらず外側に前衛、内側に後衛の陣形でゆっくりと砂の上を進む。
全員が陣形の外側を警戒している中、僕はふとダフネさんの後ろ姿を見た。青鏡級に相応しい、全く重心のブレがない素晴らしい歩き方だ。
そして視線を外して警戒に戻ろうとした瞬間、彼女の背後の砂の中から、音もなく蠍の尾のようなものが飛び出した。
「--あ」
僕が言葉を発するより遥かに早く、尾の先についた鋭い針がダフネさんの背中に突き刺さった。
「ぬぅっ……!? ふん!!」
不意をつかれた彼女だったけど、さすがは歴戦の猛者。すぐに反撃に転じ、戦鎚で後ろの砂地を打ち据えた。
ドバァンッ!!
凄まじい量の砂塵が舞い上がり、その中から巨大な影が飛び出した。
それと同時に、ダフネさんがガックリとその場で膝をついた。
「ダフネ!?」
ダフネさんのパーティーメンバーが駆け寄ると、彼女は脂汗を流しながら呻くように言った。
「ぐぅっ…… 毒かぁ。ぬかったぜぇ……」
「くそっ、砂の中に潜んでいたのか……!」
「砂塵が晴れるぞ!」
全員が警戒して武器を構える中、砂塵が落ち着いてその姿が顕になった。
「ゴルルルルッ……」
体長は5m程だろうか。四肢を撓めてこちらを睨むその所作から、身体能力の高さ伺える。
その面貌は成人男性のようで、体は砂色の獅子、鬣は地面につくほど長く、蠍のような尾をくねらせている。
人面蠍尾にして百獣の王と称される砂漠の上位捕食者、人面獅子だ……!
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【月〜土曜日の19時に投稿予定】
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