第141話 鱗鎧猿の魔窟(1)
「あれが東の第8魔窟、鱗鎧猿の魔窟かい……」
昼頃にミラビントゥムを出て半日ほど、夕日に染まる岩場の谷にその魔窟はあった。縦横3m程の大きな入り口が、切り立った石壁にぽっかりと開いている。
入り口の両脇には兵士の人達が立っていて、少し離れた場所には石造りで頑丈そうな建物が見える。きっと兵士の詰所か何かだろうな。
「そのようだな。これだけ入り口が大きければ、これをそのまま持ち込むこともできるだろう」
ヴァイオレット様は、自身が牽いている頑丈そうな大きい荷車を見ながらそう言った。
この荷車は組合を出る際に鱗鎧猿の素材運搬用に借りたもので、かなり特殊な作りをしている。
足回りを取り替えることで、なんと硬い地面を走るための車輪モードと、砂地用のソリモードを切り替えることができるのだ。
みんな駱駝じゃなくてこっちを使えばいいのにと思うけど、そうもいかないらしい。
ソリモードは砂地との抵抗が強いので、牽くのにかなり力を要するのだ。長距離を重い荷物を乗せて運ぶなら、それこそ黄金級水準の身体強化ができないと無理らしい。
あと、単純に初期費用とランニングコストの問題もある。構造が複雑なのでそもそも高いのと、砂地で摩耗するためソリ板を頻繁に交換する必要があるらしいのだ。
しかし、今回のように高価な素材を高い等級の冒険者が運ぶ際にはとても有用だ。
そのまま魔窟の入り口に近づいた僕らは、門番の兵士の人達に認識票とカサンドラさんからもらった紹介状を見せた。
パーティー名などは聞かれたけど、意外とすんなりと中に入れてもらうことができた。
ちなみに、多くの国において冒険者の認識票の偽造は重罪だ。悪質な犯罪とセットだと、コンボで死罪もあり得るらしい。
あと兵士さんによると、僕らの他に三組のパーティーがここに潜っている。ただ、その内の一組は入って二週間ほど経つそうだ。
おそらくもう…… 僕らも気を引き締めていこう。
魔窟に入ると、外の強烈な西日が遮られ、薄暗い石造りの通路が現れた。ゴツゴツした広い一本道が奥まで続いている。
「おー、涼しいであります」
「ですわねぇ。それに外より少し湿っぽい…… わたくしにとってはありがたいですわぁ」
キアニィさんが自身の肌をさすりながら言う。確かに、蛙人族にとって乾燥は天敵だ。
彼女はあまり弱音を吐く人じゃないから、結構砂漠の旅は堪えているのかもしれない。ひと段落したら、何か労って差し上げたい。
「緑鋼をまとった鱗鎧猿が出るのは20階からでしたね…… 急がないと」
一方ロスニアさんは、真剣な表情で通路の奥を睨んでいる。組合で得た情報ではこの魔窟の最深部は30階、内部はかなり広いらしく、20階まで下るのに二日はかかるそうだ。
ゼルさんの競売が始まるまで残り五日と少し…… 街まで帰る時間も考えると、20階層以降で標的を探す時間は半日くらいしか取れないだろう。
「そうだね…… よし、荷車を牽いたヴィーを中心に陣形を組むよ。先頭はキアニィ、左右にアタイとロスニアさん、後ろはシャムだ。慌てず丁寧に、最速で20階まで降りるよ!」
「「了解!」」
鱗鎧猿の魔窟とはいうけれど、9階層までは小屍食鬼や虫型の魔物など、外でもよく見かける魔物が多かった。
そして10階層。それまでの洞窟然とした景色は一変し、地下とは思えない広大な渓谷のような光景が広がった。
渓谷の石壁は綺麗に削り取られたように形が整えられていて、神秘的な美しさすら感じる。なんだっけ、アメリカの何とかキャニオンみたいだ。
あれ、でもこの辺りから鱗鎧猿が現れ始めるんだよね。もしかしてこれって、彼らの食事の跡なんだろうか。そう考えたらちょっとばっちいかも……
そんな風にくだらないことを考えながら渓谷の谷底を歩いていると、運悪く挟み撃ちに遭ってしまった。
「「ゴギャァァァァッ!!」」
通路の前から黒曜石のような石鎧の鱗鎧猿、後から赤錆た鉄鎧の鱗鎧猿が僕らに迫る。
体高はどちらも2m以上、鎧を差し引いても筋骨隆々の体つきだ。ほとんど四足歩行の前傾姿勢で襲いかかってくる姿は巨大なゴリラを彷彿させる。
「前のはヴィーとキアニィ、後ろのは残りでやるよ!」
「「応!」」
僕のざっくり指示に、全員が前後の敵に向き合う。
黒曜石の鱗鎧猿は、鎧の各部が打製石器のように鋭くなっていて、かなり凶悪な見た目だ。
キアニィさんはそいつが振り回す両手をスレスレで掻い潜り、後ろに回り込んで膝裏を思い切り蹴った。
鱗鎧猿がガクリと体勢を崩す。
「ヴィー、今ですわ!」
「承知! --ぬんっ!」
ガキョッ!
ヴァイオレット様の槍の穂先はあっさりと石の装甲と頭蓋骨を叩き割り、鱗鎧猿の脳髄を破壊したようだった。
崩れ落ちる石の鱗鎧猿から、こちらに肉薄してくる鉄の鱗鎧猿に視線を戻す。
鱗鎧猿も体の全てが頑強な鎧で覆われているわけでは無く、関節部分は鱗鎧のようになっている。そして当然、目の部分は鎧われていない。
「えい!」
シャムが目を目掛けて矢を射かけると、鉄の鱗鎧猿は腕を上げてそれを防いだ。
しかしそこにロスニアさんが畳み掛ける。
『石弾!』
彼女の放った石弾が足首に命中し、鉄の鱗鎧猿が体勢を崩した。
一瞬動きが止まったそいつにの胸あたりに向けて、今度は僕が魔法を放った。
『螺旋火!』
螺旋状に高圧圧縮された火線は、鉄を一瞬で焼き切るほどの熱量は無いけど、数秒で赤熱化させるくらいの熱量は持っている。
鎧と生身の間に断熱素材的なものがあるのか、やつは体勢を立て直す間の数秒は無反応だった。しかし--
「ゴア……? ギッ…… ギャアァァァッ!?」
途端に胸を掻きむしってのたうち回り始めた。僕はそれに構わず火線を照射し続け、鎧全体が赤熱化した頃にやっと魔法を止めた。
その頃には鉄の鱗鎧猿は体を丸めた体勢で動かなくなっていた。
「ふぅ。みんな、ご苦労さん。初めて戦ったけど、この階層の鱗鎧猿なら苦戦しなさそうだね。
--でも自分でやっておいてなんだけど、ちょいとエグいね、これは」
少し離れたところにいる鉄の鱗鎧猿からは、ジュージューという肉の焼ける音が鳴り、辺りには毛や皮膚が焼けた時の嫌な匂いが立ち込めている。
「え、えぇ。鉄の棺桶に閉じ込めて外から火で炙るようなものですから、完全に拷問ですわねぇ」
なんか、地球世界にそんな拷問、処刑器具があったな。なんとかの雄牛だっけ。
「あぁ神よ。お許しください……」
あんまりな光景に、ロスニアさんが祈りを捧げ始めてしまった。しかし、ここで狼狽えている時間は無い。
僕は懐からスマホを取り出すと、時刻を確認した。当然電波は入ってこないので、時刻は定期的に手動で修正している。
「ここまで丸一日経ってないくらいか…… 今の所予定通り、順調だよ」
「うむ。急ぐ必要はあるが、疲労は大敵だ。この辺りで野営するのが良いだろう」
「そうだね…… お、向こうにあるのは洞窟じゃないかい? ちょうどいい。みんな、今日はあそこで野営しよう」
僕らは逸る気持ちを抑えて洞窟で休息を取り、探索の初日を終えた。
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【月〜土曜日の19時に投稿予定】
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