第132話 航海の終わり
すみません、投稿が遅れました。ちょっと長めです。
「うにゃ〜…… ゴロゴロゴロゴロ……」
背中から撓垂れ掛ってきたゼルさんは、今や僕の膝の上に乗って喉を鳴らしている。
僕はいまだに大渦竜の衝撃から抜け出せていなかったので、ここ数日の癖でずっとゼルさんの顎下や背中を無意識に撫で回していた。
すると隣で同じようにへたり混んでいたヴァイオレット様が、僕らを凝視していることに気づいた。
「あ…… ゼルさん、そろそろお終いだよ。よっと、ヴィー、紹介するよ。ロスニアさんの仲間のゼルさん、賭けで大負けして、今は借金奴隷らしいよ」
僕はゼルさんの脇下に手を入れ、彼女の上半身を持ち上げると、ヴァイオレット様の方に掲げた。
ゼルさんは嫌がりもせずされるがままになっている。
「う、うむ。よろしく、ゼル殿。私はヴィー、タチアナの仲間の槍使いだ。あなたの戦いぶりを見ていたが、あれほど素早い動きは中々お目にかかれない。双剣捌きも見事だった」
「にゃー、ありがとうだにゃ。ヴィーのトドメの一撃もやばかったにゃ。あれって延撃ってやつだにゃ? すごいにゃ〜」
「ふふふ、ありがとう。あなたほどの手練に褒められるのは嬉しいものだな」
僕らが談笑していると他のみんなも集まってきたので、同じようにゼルさんを紹介した。
するとシャムが興味深そうにゼルさんの顔を覗き込んだ。
「タチアナ、ゼルの顔の模様、よく見るとシャムのと似ているであります!」
「あー、確かにそうかもね」
ゼルさんの目の周りにある黒い模様は、シャムの顔にあるパーティングラインと確かに似ている。
「お? シャムのそれは刺青かにゃ? イカしてるにゃ!」
「ゼルの模様もかっこいいであります!」
続いてちょっと困惑した様子のキアニィさんが口を開いた。
「ところで…… あなた達、随分と仲がいいのねぇ?」
「え……? あ、あぁ、そうだね。アタイ、厨房に手伝いに行ってただろ? それでついでにゼルさんのところまで食事を運ぶことになって、それから、ね」
し、しまった。ゼルさんがされるがままだったので違和感がなかったけど、普通人にこんなことしないよな。完全に猫の扱いをしてしまっていた。
僕はゼルさんを隣に移動させ、そっと手を離した。
「タチアナは飯作るのもうめーし、撫で方もうめーにゃ。だから気に入ったにゃ!」
「そ、そぉ…… まぁ、彼女の食事が美味しいのは同意いたしますわぁ。以前作ってもらったセレザのパイは絶品でしたわぁ」
「タチアナのパイかにゃ。いいにゃー、食べてみたいにゃー」
さすが陽キャのゼルさん、一瞬でみんなと打ち解けてしまった。
あれ、そういえばロスニアさんはどこだろう? あたりを見回すと、彼女も先ほどの衝撃がすごかったのか、やっとこちらに向かってくるところだった。
彼女はゼルさんを上から下まで眺めた後、安心したようにため息をついた。
「ふぅ…… ゼル、色々と言いたいことはありますけど、ひとまず元気そうでよかったです」
「おー、ロスニア! タチアナから聞いてたけど、本当にこの船に乗ってたんだにゃ。
ウチがやらかしたんだから、放っておいてくれてよかったのに…… でもありがとうにゃ! ついてきてくれて嬉しいにゃ!」
ゼルさんは立ち上がってロスニアさんにハグすると、一瞬で回り込んで後ろから撓垂れ掛かった。無駄に素早い。
「あ〜…… やっぱりロスニアはひゃっこくて気持ちいにゃ〜」
「ふふっ。もう、ゼルもあったかくて気持ちいいですよ」
すごくリラックスした様子のゼルさんと、満更でも無い様子でニコニコしているロスニアさん。なんだこれ…… 思わず拝みたくなるような尊みを感じる。
あ。ロスニアさんの興味が自分以外に向いているからか、キアニィさんがちょっと安心した表情になっている。
「そういえば、ゼル。さっき見ていましたけど、タチアナさんにはあまりくっつき過ぎちゃちゃダメですよ?」
「にゃ? なんでだにゃ?」
「そ、それは、その……」
ロスニアさんがちょっと顔を赤らめてこちらに視線を送ってくる。あれ、何だろう?
不思議がっていると、ぱんぱんぱんと手を叩く音がして、全員が音の発生源に視線を向けた。
「よしお前ら! とんでもねぇ邪魔が入ったが、やることは変わらねぇ! 船から島蛸をひっぺがして、全速力でここを離れるぞ!」
「「へ、へい、船長!」」
船長が船員さん達に檄を飛ばす。確かに、船の周りの海水は、四体分の島蛸の血で青く濁ってしまっているほどだ。ここでのんびりしてたら別の魔物が寄ってくるかもしれない。
「タチアナ! お前らも疲れてるところわりぃが、手伝ってくれや!」
「了解だよ、船長!」
僕らも急いで島蛸の引き剥がし作業にかかった。身体強化も解除されていて、吸盤もすぐに剥がせたけど、とにかく触腕が重い。
僕は怪しまれないように吸盤を外す作業に専念し、触腕を海に落としていく作業は他のみんなにお任せした。あ、そうだ。
「ねぇ船長、大渦竜て船乗りの間じゃ有名なの? アタイ、あんな化け物初めてみたよ」
一緒に触腕を外す作業をしていた船長に疑問をぶつけてみた。
「ん? あぁ。外洋の船乗りで知らねぇやつは居ねぇってくらいには有名だなぁ。だが、実際に見たってやつはほとんど聞かねぇ。特にメディテラ海で見たって話は全くねぇなぁ。
俺が海軍にいた頃、外洋に出る度に先輩がよく話してくれたぜ。嵐の海の中船を進めてると、台風の目でもねぇのに、一箇所だけ波が全く荒れてねぇ場所が現れる。
そこには何か壁があるみてぇに船を進めることがでねぇ。そして目を凝らすと、馬鹿みてぇにでかい影が海の中に見えた。それが神話に登場する大渦竜だろうって話だったぜ。
よくあるホラ話だと思ってたが、まさか本当だったとはなぁ…… 」
「ふぅん、やっぱり名のある魔物だったんだねぇ。あれ、でもそうすると…… 船長、大渦竜は島蛸を追ってきた様子だったし、両方とも普段この辺にはいなんだろ?
だったら、アイヴィス島の砂浜に押し寄せてきた魔物は、島蛸あたりにビビって逃げてきたのかもしれないよね?」
「あぁ。なるほど、確かにそれなら辻褄が合うなぁ。しっかし、迷惑な奴らだぜ!」
「そうだねぇ。あ、でもこの話、アイヴィス島の領主様に話したら何かお礼でも貰えるかもよ。砂浜に押し寄せてきた魔物について気にしてたみたいだったから」
「お! そいつぁいいこと聞いたぜ。ありがとよ!」
よし、これで船長があの領主様に報告してくれれば、心配事を一つ減らせるはずだ。あの島は、全てが落ち着いたらまた訪れたいくらい綺麗だった。領主様にも長生きしてらいたい。
全員で取り掛かったことで、島蛸は小一時間ほどで撤去することができた。
それからエルミラさんが全力の水魔法で船を進め、島蛸の血で青く染まった海域を脱した。
彼女が疲れたら船員さん達に交代し、彼女達が全力でオールで漕ぐ。かなり無茶だけど、この繰り返しで今日中に港についてしまおうという作戦だ。
僕らはというと、血の匂いによってくる魔物が居ないか哨戒を続けていた。
ちなみに、流れでゼルさんも僕らと一緒に哨戒をしてくれた。彼女はその間ずっと喋っていたので、みんなとさらに仲良くなったようだった。
そしてエルミラさんと船員さん達が疲労困憊で倒れる頃、日が暮れる直前にやっと目的の港に着くことができた。
多くの船が波止場に並ぶ巨大な港。南部大陸の玄関口の一つ、港湾都市ルジェに到着した。
***
時を少し戻し、大渦竜が去ってタツヒト達が船から島蛸を撤去しようとしている頃、ヴァイオレットとキアニィはこそこそと会話しながら作業を行なっていた。
「キアニィ、見ただろうか?」
「えぇ…… ゼルさんは、ちょっとタツヒト君に距離が近過ぎますわねぇ」
少し嫉妬の表情を浮かべたキアニィに、ヴァイオレットは静かに首を横に振った。
「--キアニィ。少し考えたのだが、おそらくその認識は甘いと言わざるを得ない」
「え……? ど、どういうことですの?」
「一つ予言をしよう。タツヒトは、戦力強化の為などと理由をつけて、ゼル殿を助けようと言い出すぞ」
「えぇ!? そんなまさか。数日一緒に過ごしただけの相手ですわよ? 助け出すのに大金も必要ですのに、そんなこと…… 流石に…… あら、なんだか自信がなくなってきましたわ……」
キアニィの表情は、驚愕から苦々しい納得の表情に変わっていった。
「で、あろう? 何しろ君の時も、たった一晩共闘しただけで、彼は君に情が湧いてしまっていた。
それがゼル殿には、もうあそこまで気を許してしまっているのだ。彼の気質から考えて必ず助けようとする。そして我々は、惚れた弱みでそれを否定できない…… 私も、ゼル殿のことは能力的にも人格的にも嫌いではないしな。
これから向かう南部大陸では魔窟も多いと聞く。我々なら短期間で大金を稼げるだろう。おそらく奴隷であるゼル殿の購入、または落札にも成功する。
ではその後は? これもただの予想だが、助け出されたゼル殿と、ゼル殿を助けて貰ったロスニア殿はタツヒトに好意を抱く。そしてパーティーとして一緒に過ごすのであれば、タツヒトの性別や事情を明かす必要があるだろう。
彼女達がただのパーティーメンバーの関係で満足するだろうか? いや、あの様子では特にゼル殿は必ず関係を進めようとするだろう。
どうだろう、今の段階では仮定に仮定を重ねた与太話でしかないが、妙に説得力があるとは思わないか?」
「あ…… うぅ……」
一息に捲し立てるヴァイオレットに、キアニィは呻くことしか出来なかった。
「よし、同意して貰えたようだな。では、ここからは、君と淑女協定を結んだ者としての提案だ。キアニィ、この辺りで少し勝負を仕掛けよう」
「勝負…… で、でもわたくし、まだ心の準備が--」
「このままではゼル殿に先を越されてしまうぞ?」
ヴァイオレットに台詞を遮られたキアニィは、その光景を想像してしまったのか、苦しそうに胸を押さえた。
「--わかりましたわ。や、やってやりますわよ…… わたくし、タツヒト君を落として見せますわぁ!」
半ばやけになったように小声で叫ぶキアニィに、微笑を浮かべたヴァイオレットが大きく頷いた。
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【月〜土曜日の19時に投稿予定】
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