第131話 水底より来たれり(4)
出現した三体の島蛸は、どいつも今僕らが倒したものと同じくらいのサイズだった。つまり、おそらく全て青鏡級。
魔力はまだ体感で三割程残っている。荷物の中に蓄電装置があるので、取ってきて充電する時間があれば、雷撃何発分かの強力な剛雷が撃てるはずだ。
しかし、ピンポイントに急所にでも当てないと倒し切ることはできないだろう。それに、そんな時間は無さそうだ。
『『ギギギギギギギギッ!!』』
船の上で動かない同胞を見て、三体の島蛸は怒り狂っているように見えた。三方向から聞こえてくる高速で歯を打ち鳴らす音は、段々とその大きさを増している。
僕は無意識にヴァイオレット様の隣に歩いていくと、その手を握った。彼女はこちらを見もせずに力強く握り返してくれた。
「……これは凌ぎきれないでしょうね、ヴァイオレット様」
「あぁ…… すまなかったな、タツヒト。私が君を連れ出しさえしなければ--」
「言わないで下さい。そんなの、お互い様ですよ…… さて、ただで食べられるのは面白くありませんねよね?」
「は…… はははは! そうだな、それぞれ足の一本くらいは差し出してもらうことにしよう!」
ヴァイオレット様が槍を構え、同時に僕も島蛸に向けて手を翳した。
そして島蛸達が触腕を撓め、まさに襲いかかる瞬間、音が消えた。
「うわ……!?」
同時に船がガクンと揺れた。そのせいで一瞬島蛸から目を離してしまい、慌てて視線を戻すと、奴らは先ほどの姿勢から動いていなかった。
いや、よく見ると体を小刻みに震わせていているし、海から出ている胴体のあたりはぐにぐにと蠢いていいる。
「一体、何が起きたんだ……?」
「み、みんな見て! 海が……!」
海面を覗きながらエルミラさんが叫ぶ。僕とヴァイオレット様は、お互い目を合わせて頷くと、二人して船首へ向かった。そして海面を覗き込んだ。
「これは……!?」
「なんと……」
小さな波が立っていただけの穏やかな海は、今や一面に透明な剣山が広がる剣呑な風景に豹変していた。
まるで時を止めたかのように、あるいは一瞬を写真で切り取られたかのように、海はその動きを完全に停止させていた。当然、船の揺れも全く無くなっている。
音が消えた理由がわかった。いや、正確には緩やかな風の音や、困惑したような島蛸の歯音は聞こえている。
しかし、これまでずっと聞こえていた波音が完全になくなっていたのだ。
「凍っているわけでもない……! ただただ海水の動きを止めて、青鏡級の巨大な島蛸の拘束までやってのけている…… 誰が、一体どうやって…… 魔法でこんなことが可能なのか……!?」
「……!? タツヒト、水底を見ろ! 何か…… 何か凄まじいものが来る……!」
困惑、恐怖、好奇心、ごちゃ混ぜの感情に突き動かされて海面を覗き込んでいた僕の耳に、ヴァイオレット様の悲鳴のような声が届いた。
僕はその声に、目線を海面から下の方に移して目を凝らした。
陽光を複雑に反射する剣山のような海原の向こう側、光も届かないような海の奥底から、滲み出るように巨大な影が現れた。
その影を認識した瞬間、これまでの人生で感じた事のない、強烈な悪寒が走った。
この世界に来てから対峙した強者、古代遺跡の緑鬼、ヴァイオレット様、火竜、変異種の食人鬼、風竜、そのどれよりも凄まじい気配だ。
金縛りにあったように動けないでいる僕らをよそに、その影は浮上を続けた。
そして僕らの目の前、船首側の島蛸の少し向こう側、海面に変化が生じた。
最初は鼻先、頭部、そして細長い胴体。いかなる魔法によるものか、それは水音を全く立てること無く、ただただ静かに海上へ姿を現した。
外見は角や鱗の生えたウツボのようだけど、どこか爬虫類じみた体の造りをしている。
手足は無く、口元には林立する凶悪な牙が見えるけど、その顔つきにはなぜか知性が感じられた。おそらく竜種、水竜だ。
現実感のないその大きさは、海面から鎌首をもたげている部分だけでも100mほどの長さがある。
僕らが乗っている船はかなりの大きさだけど、それを一飲みできてしまいそうなほどの巨体だ。
さらにその巨体を包む紫色の放射光…… この気配、この巨体、間違いなく紫宝級に達しているだろう。
南部山脈で遭遇した風竜さえ比較にもならない、化け物の中の化け物だ……!
「ははは…… あれって話に聞く大渦竜じゃねぇか? 島蛸の次は神話の怪物かよ…… もう、勘弁してくれ……」
後ろの方で船長が呟いている内容も気になるけど、そちらを振り向く余裕は無かった。
やつ、大渦竜は、小刻みに震えるばかりで動けずにいる島蛸達に首を向けた。
そしてその口がゆっくりと開き、放射光が強まる。ブレスの予備動作……!
「伏せて!」
僕は隣にいたヴァイオレット様の手を取り、甲板に伏せた。
パァンッ……!!
静寂の中響いた凄まじい破裂音。しかし、音がしてしばらくしても何も起こらなかった。
ヴァイオレット様と一緒に恐る恐る立ち上がってみると、意外なことにどこにも破壊の跡はなく、先ほど同じ光景が広がっていた。違いと言えば、大渦竜が口を閉じていることくらいだ。
ブレスじゃ無かったのか……? そう思いかけたけど、先ほどまで震えていた島蛸達の体が、ずるりと真っ二つにずれた。
それから一瞬の内に、二つから四つ、四つから八つと分割線は増殖し、最後は無数のサイコロ状の肉塊が海面にばら撒かれた。
サイコロは機械で切ったかのように、一抱えほどの大きさに統一されていた。
ど、どうやったんだ……!? おそらく高圧水流の類だろうけど、威力や精度が桁違いすぎる……!
三体の島蛸がサイコロの山に変わった後、大渦竜は口を開けて海面に寝そべるような姿勢になった。
すると海面がうねり、まるでベルトコンベアーのようにサイコロを大渦竜の口に運んで行った。
その冗談のような食事風景を呆然と見守ること小一時間、島蛸丸々三体分の肉塊を平らげた大渦竜は、満足そうに口元をペロリと舌で舐めた。
その段階に至って、奴はやっと僕らの存在に気づいたようだった。巨大な鎌首がこちらに向いた瞬間に重圧が増し、呼吸もままならなくなる。後ろからバタバタと人の倒れる音がする。何人か気絶してしまったようだ。
そのでっかい眼球の動きを見ると、どうやら島蛸と僕らを見比べているみたいだった。
そしてこれは見間違いかもしれないけど、奴はニヤリとその口角を上げ、天に向かって大きく吠えた。
『キョァァァァッ!!』
甲高くも、どこか弦楽器のような美しさのある咆哮が響き、すぅ、と空に綺麗な虹が出現した。その理由も方法も分からないけど、大渦竜が引き起こしたようだった。
やつは最後に僕らを一瞥すると、放射光を消して頭から海面に潜った。
ザザ…… ザザザザザザッ!!
時が動き出したかのように海面が動き出し、波の音も戻ってきた。大渦竜が潜ったあたりには大渦が生じ、この船を引き込もうとしている。
「エ、エルミラ! ぼーっとしてんじゃねぇ! 後退だ! 渦に巻き込まれるぞ!」
「……はっ! い、今やるよ!」
船長の怒号に、金縛りにあっていた甲板の面々も動き始めた。巻き込まれないよう船を必死に制御し、渦が収まった頃、船に乗っていた全員は再び放心したような状態になってしまった。
「ヴィー…… 世界は広いね」
「あぁ、全くだ……」
凄まじい出来事が連続で起きすぎて、僕とヴァイオレット様もその場にへたり込んでしまった。立ち直るまで少し時間がかかりそうだ。
それにしても--
「大渦竜の最後のあれ、なんだったんだろう?」
僕が独り言を呟くと、後ろから誰かがしなだれかかってきた。
「多分、おみゃーらちっこいのにやるじゃねぇかとか、そんな意味だと思うにゃ。粋なことする竜だにゃ、気に入ったにゃ!」
やはりゼルさんだった。彼女は僕の肩に顎を乗せながら、あいつ中々やるにゃーと機嫌よさそうに呟いている。
いや…… もう、なんかすげーなこの人。
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