第130話 水底より来たれり(3)
ちょっと長めです。
目指すは、ヴァイオレット様が担当している二本の触腕の根本。僕は無意識の内に身体強化を発動させ、触腕を掻い潜りながらそこへ走った。
ゴウッ!
屈めた頭のすぐ上を、体のすぐ横を、大木のような太さの触腕が何度も掠める。
地を這うような姿勢で目的の二本の触腕の根本まで走り寄ると、島蛸の眼球が僕を捉えた気がした。
僕が今いるのは二本の触腕の間、その根本付近だ。不意に、触腕どうしが距離を離すように根本から畝った。
本日二度目の悪寒に襲われた僕は、迷わず全力で上に飛んだ。
バヂィィンッ!
「危な!?」
さっきまで僕がいた空間を、二本の触腕が空気を震わせて叩き潰した。ちょうど人間が目の前をチラチラしている小虫を手で叩き潰そうとした感じだ。
そりゃぁこんだけ図体がでかければ、僕らなんて小虫みたいなもんだろう。でもその油断が命取りだ。
僕は触腕の上に着地するとそのままその根元まで走り、二本の触腕ぞれぞれに手のひらを密着させた。
『雷よ!』
『ギギッ……!?』
密着状態で両手から放った雷撃は、激しい光も音も発せずに島蛸の二本の触腕の根本に流れた。
以前、鎧牛の捕獲依頼で使ったものとは出力は段違いだけど、方法は同じだ。
もちろん、このバカでかい蛸をこれだけで倒せるとは思っていない。しかし、ヴァイオレット様が担当していた二本の触腕は、小刻みに震えて固まってしまっていた。
今や彼女の突進を阻むものは何も無い。
「な、何だ…… 何をやりやがった!?」
異常事態を目にして船長が驚愕の声を上げる。僕はそれに取り合わず声を上げる。
「ヴィー! 目の間だ! 叩き込め!!」
「承知!」
僕の声とほぼ同時に突進を開始した彼女は、緑光を帯びた槍を構え、島蛸の目に向かって跳躍した。
島蛸は流石に危機感を覚えたのか、麻痺していない触腕を防御に使おうとしていた。
「させるかにゃ!」
「連射であります!」
しかし、ヴァイオレット様の鬼気迫る突進に合わせ、全員が担当する触腕に猛攻を仕掛けた。
防御に回せる触腕は無く、奴は無防備にその一撃を迎え入れることになった。
「……ぜぁっ!!」
裂帛の気合いと共にヴァイオレット様の槍が走り、島蛸の両目の間に突き刺さった。
渾身の延撃は、巨大な島蛸の急所を広く、そして抉ったようだった。
やつの茶褐色だった肌の色が、瞬く間に死人のような白い色に変化していく。
そして、ヴァイオレット様がその巨体を蹴って飛び退いた瞬間、傷口から青い血が冗談のように吹き出した。
『ギッ……!?』
島蛸の体が一瞬停止し、その後触腕をめちゃくちゃに振り回し始めた。
バキッ! メキキッ!
『ギギィィィィ!!』
触腕が船体やマストを叩き、ところどころから破壊音が聞こえる。
というか、僕もさっさと逃げないと巻き込まれてしまう。うねる島蛸の体の上から飛びのこうとした瞬間、死角から触腕が飛んできた。
「ぐぇっ!?」
横手から思いっきり触腕にぶっ叩かれた僕は、船縁に向けて一直線に吹っ飛ばされた。やばい、ぶつかる……! 受け身を取らないと。
「タツッ…… タチアナちゃん!」
そこにキアニィさんが飛んできて、船縁に激突する前に僕を抱き止めてくれた。
「うぐっ…… た、助かったよキアニィ、ありがとね」
「いいえぇ。あ…… 血が出ていますわ! 骨は、吐血などしていないかしら!?」
彼女は心配そうな様子で僕の体を弄り始めた。あう…… こんな時でも思考が変な方向に行きそうになる。
「だ、大丈夫、ちょっとあいつの爪が引っかかっただけだよ。骨は…… いたた、少し肋骨が怪しいかも。それより--」
『ギギギギギギィ……』
甲板の上をのたうっていた触腕は段々とその動きを小さくしていき、島蛸の胴体も脱力していった。
そしてそのまま数秒ほどして、奴はぐったりと動かなくなってしまった。
全員の視線がヴァイオレット様に集中する。それに気づいた彼女は、青い血に濡れた槍を高々と掲げた。
「「お…… おぉぉぉぉぉっ!!」」
甲板の上に、勝鬨の声が上がった。
島蛸を倒した後、僕らは戦後処理に追われていた。
怪我人の手当てをしたり、海から船員さんたちを引き上げたり、船の応急修理をしたりと忙しかった。
船員さんの引き上げでは、キアニィさんが大活躍していた。船の外壁をペタペタと何もつけずに這って行けるので、かなり重宝されていた。
それもだいぶ落ち着いてきて、今は手の空いた船長とヴァイオレット様が話し込んでいる。
「やー、あんたらに護衛を頼んでよかったぜ! しかしヴィー、お前さん橙銀級とは思えねぇ佇まいだと思ってたが、まさか緑鋼級だったとはなぁ。恐れ入ったぜ」
「ありがとう船長。あなたも、商船の長とは思えない戦いぶりだった。以前は冒険者だったのだろうか?」
「うんにゃ。上官と揉めてやめちまったが、以前は海軍にいたんだ。まぁ、今はこの生活が気に入ってるから、辞めて正解だったけどなぁ」
一方僕は、最後に触腕に薙ぎ払われた時の裂傷と、肋骨の骨折疑惑があったので、大人しくロスニアさんの診察を待っていた。
護衛という立場上、船員さん達の治療が終わった後、最後に診てもらう形になった。
「ふぅ…… あぁ、最後はタチアナさんですね。ご苦労様でした、おかげで命を救われました。こちらへどうぞ。ええと、左上腕と脇腹の裂傷でしょうか?」
「よろしくね。切り傷の他に、ちょっとアバラが痛くてね…… 診てもらえるかい?」
「えぇ、もちろん!」
彼女は怪我をしている部位を特定する魔法を使いながら、僕の脇のあたりを触診し始めた。そして、少し訝しげな表情になった。
「あれ……? あの、タチアナさん……」
「ん、何だい?」
「えっと、その…… いえ、何でもないです。確かに、肋骨に罅が入っているようですね。裂傷と合わせて治しちゃいますよ」
「うん、お願いね」
彼女はいつもの優しげな表情になると、患部に治癒魔法をかけてくれた。
徐々に痛みが引いていく。結構何人も治療したはずなのに、まだ平気そうだ。ロスニアさん、タフだな。
「……よし、採れたであります! さすが青鏡級、でっかいであります!」
シャムの声に視線を移すと、彼女は島蛸の傷口から掘り進めて、体内から魔石を回収してくれていた。
血で真っ青になりながらも、元気に大ぶりな魔石を掲げている。大きさはグレープフルーツくらいで、透き通った青色をしている。
「おー、すげーな! よし、俺たちの分前はいらねぇ、そいつぁお前さんらのものだ。それでいいなぁ、お前ら!?」
「「へい、船長!!」」
「いいのかい? 結構船もボロボロになっちまったけど……」
船長に声をかけると、彼女はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「それにかんしちゃぁ心配いらねぇ。ちゃんと保険に入ってるからなぁ。俺はお前さんたちを橙銀級相当の金で雇ったが、青鏡級のバケモンを退けちまった。差額の補充だとでも思ってくれや」
「そりゃよかった。それじゃ遠慮なく頂くよ」
「おう! ところでタチアナ、お前さん、島蛸の腕の動きを止めてただろ? あれってどうやったんだ? 火魔法によるもんにゃ思えなかったが……」
あ、それの言い訳を考えてなかった。どうしよう。
どうやって誤魔化そうか考えていたら、ちょうどよくキアニィさんが甲板に戻ってきた。
「ふぅ、この方で最後ですわぁ」
「ありがとよ、蛙人族の姉ちゃん」
どうやら海に投げ出された人も全員回収できたらしい。
「えっと、キアニィから特製の麻痺毒を預かっててね。それをぶち込んだんだよ。
腕の根元に打ち込まないと効かなそうだったから、ちょっと無茶しちゃったけどね。ねぇ、キアニィ?」
「え? え、えぇ、そうですわぁ。あんなに荒れ狂う触腕の中を走っていくなんて、あれは本当に無茶でしたわよ」
キアニィさんはうまく合わせてくれたけど、後半は本気でお小言を言ってる感じだった。ごめんなさい。
「にゃー。確かに、魔法使いがやる事じゃ無いにゃ。でも、魔法使いとは思えない速さだったにゃ。普通に前衛職の身のこなしだったにゃ」
そこにゼルさんもコメントを入れてきた。確かに、あの時は無意識に身体強化してたから、絶対後衛職の動きじゃなかったと思う。
「ま、まぁ、鍛えてるからね。あ、ロスニアさん、もう治ったみたいだよ、ありがとう。船長、そろそろここから離れたほうがいいんじゃ無いかい? 騒ぎで他の魔物が寄ってくるかもしれないし」
僕は誤魔化すように立ち上がって船長を急かした。
「ほーん…… まぁ、そいつぁお前さんの言う通りだな。よしお前ら、島蛸の死骸を引き剥がしたら--」
バシャシャャャッ!!
船長の声を遮り、船の左右と前から巨大な水柱が立ち上がった。
甲板の全員が臨戦体制に入ってそれらに視線を送り、そして水柱が落ち着く頃、全員が絶望の表情を浮かべた。
先ほど船の全員で当たってやっと倒した島蛸、それが三体、僕らの船を取り囲んでいたのだ。
「あー…… これは流石に無理かもしれないにゃ……」
そう呟いたゼルさんの台詞が、この場の全員の気持ちを代弁していた。
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【月〜土曜日の19時に投稿予定】
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