第128話 水底より来たれり(1)
すみません、遅れました。ちょっと長めです。
2024/05/25 蛸の色を茶褐色に変更
「そんな感じでゼルさんは元気なもんだったよ。あと、ロスニアさんが心配してこの船まで着いて来てることを話したら、流石にちょっと反省してたよ。ほんのちょっとね……」
「そうですか…… うふふ、元気そうでよかったです。ありがとうございます、タチアナさん」
奴隷の人達の部屋から甲板に戻った僕は、ロスニアさんにゼルさんの様子を伝えた。
話を聞いてちょっとは安心できたのか、彼女の表情は少し明るくなったように見える。
「あ、あとちょっと聞きたいんだけど…… ゼルさんて、なんか距離が近くないかい?
いや、嫌ってわけじゃないんだけど、ちょっと話してたら初対面で頭を擦り付けてくるからびっくりしちゃってさ」
「あぁ、すみません、あの人はもう…… 彼女というか、猟豹人族が全体的に人懐っこいみたいですけど…… 彼女は特にその特性が強いみたいで、誰に対してもそんな感じなんです。
でも、初対面でいきなりっていうのはあまり見ませんね。うふふ、タチアナさん、よっぽどゼルに気に入られたんですね」
「そうかねぇ…… ただ昼飯を持っててやっただけなんだけ-- わぁ!?」
いきなり背後から抱きしめられた。半ば予想しながら振り向くと、やはりヴァイオレット様だった。
「ヴァイ…… ヴィー、何してんのさ!?」
「いやなに、私も少々肌の触れ合いがしたくなっただけだよ。タチアナ、君は本当に人を惹きつけてしまうな。困ったものだ…… ではな」
そう言って彼女は抱擁を解くと、持ち場に戻って行った。あれ、なぜかシャムとキアニィさんも近くに立っている。というかヴァイオレット様の後ろに並んでた感じだ。
「タチアナ、ヴィーばかりずるいであります。シャムもぎゅーするであります!」
僕はそう言って突進してくるシャムを抱き止め、彼女の頭を念入りに撫でた。
「ほいほい。あんたはいつまで経っても甘えんぼだねぇ」
「帝国の就労開始年齢を考えると、後11年程度は甘え続けても問題ないはずであります!」
しばらく撫でたらシャムも満足して持ち場に戻って行った。さて、あとはキアニィさんだが……
「えっと、わたくしもいいかしらぁ?」
「え、ええ、もちろん」
なんかモジモジしながらお願いされてしまったので、僕も受け答えが変な感じになってしまった。
彼女はおずおずと僕を抱擁して来たので、僕も同じようにそっと抱き返す。
あー…… みんなそうなんだけど、キアニィさんは特にいい匂いがする気がする。香水か何かつけてるのかな?
数秒ほどそうしていると、キアニィさんが僕の耳元に口を寄せてきた。
「ふふっ…… ありがとう、タチアナちゃん」
「うひゃっ…… い、いいってことよ」
そしてキアニィさんも持ち場に帰って行った。結局パーティーメンバー全員とハグしてしまった。
視線を感じて振り向くと、ロスニアさんが目を丸くして僕を見ている。
「あー…… ロスニアさんとゼルさんじゃ無いけど、アタイらもちょっと仲が良すぎるかもね」
「--うふふ、そんなことはありませんよ。人々の友好こそ創造神様の願い……
みなさんは聖教の教えの体現されています。あぁ神よ、この者達に祝福を」
彼女は何か尊いものを見たかのような表情になり、お祈りを始めてしまった。なんか拝まれてるみたいで居心地悪いです、それ。
アイヴィス島をでて三日目の朝、僕はいつものようにゼルさんに食事を届けに行っていた。
「お、飯が来たにゃ! おいみんな喜べ、タチアナが飯持って来てくれたにゃ!」
「言われなくても見えてるよ。ゼル、あんたが一番喜んでんだろ」
「にゃははは、バレたにゃ?」
「さぁ奴隷ども! タチアナ臨時料理長が作った、おめぇらにゃ勿体無い朝飯だぞ! ありがたく感涙しながら食えよ? 特にゼル!」
「ははぁ、もちろんだにゃ。何ならもう泣いてるにゃ、およよ」
「へっ、調子のいいやつだぜ!」
初日と全くテンションの違うやり取りだけど、これが今の奴隷の人達と船員さんのやり取りである。
四六時中喋り続けるゼルさんに段々と周りが根負けし、みんなが彼女と会話するようになり、ついには全員が仲良く会話するに至った。
うん、ゼルさんすごいわ。これが本物の陽キャか…… かくいう僕も彼女とはかなり仲良くなってしまった。
「おはよ、ゼル。今日も元気だねあんた」
「おうタチアナ、こっちに座っていつものあれ頼むにゃ!」
「はいはい」
ゼルさんの側に座ると、彼女は僕の膝の上に投げ出すように上半身を乗せてきた。
僕は心得たもので、彼女の顎下や腹なんかを撫で始めた。
「ゴロゴロゴロゴロ…… うーん、やっぱりタチアナは撫でるのがうまいにゃ」
「ふふふ、まぁ慣れてるからね」
猫のように頭や体を擦り付けてくる彼女が可愛くて、つい撫でてしまったらここまでエスカレートしてしまったのだ。
学校帰りによく猫を撫で回していた経験が生きたな。
「くんくん…… すー、はー……」
「わっ、ちょっと、何嗅いでんのさ!?」
ゼルさんが僕のお腹の辺りに顔を押し付けてくんくんやり始めたので、大声で抗議する。
すると彼女は顔をあげ、ニヤニヤしながら僕の耳元に口を寄せた。
「タチアナぁ。おみゃあ、可愛い顔してとんだ淫乱だにゃぁ。雄の匂いがぷんぷんするにゃ。男娼でも連れ込んでるのかにゃ? 羨ましいにゃ」
げげっ、確かに船に乗ってから体を濡れたタオルで拭うくらいしかしてないけど、そんなに匂うだろうか? いや、今はともかく誤魔化そう。
「ま、まぁね。アタイはほら、絶倫だから…… そりゃぁ匂いくらいつくよ。あはは……」
「いいにゃー…… 羨ましいにゃー。この匂い好きだからもっと嗅がせるにゃ」
「ちょ、ちょっとやめ…… 今日はもうお仕舞いだよ!」
「えー、ケチだにゃー」
「いいから、さっさと朝飯を食っちまいな」
「にゃー……」
ちょっと残念そうなゼルさんを残し、僕は逃げるように甲板に戻った。
「ただいま、ロスニアさん。ゼルさん、もう船員や周りの奴隷の人たちともすっかり仲良しだよ。
あそこまで誰とでも仲良くなれるのは才能だね。アタイは感心しちまったよ」
厨房から甲板に帰ってきた僕は、いつものようにロスニアさんにゼルさんの様子を伝えた。
「うふふ、そうですね。まぁそのせいでよく騙されてしまうんですけど……」
ロスニアさんの表情は少し暗い。そうか、予定通りなら今日の夕方には目的の港に到着する。
その後ゼルさんがどこに連れて行かれるのか、誰が何の用途で購入するのか、全くわからないのだ。不安にもなるだろう。
何か言おうとして口を開きかけた時、視界の先の海面に何かが浮かんでいるのが見えた。
「あれ、何だろう……?」
船首から目を凝らすと、草木も生えていない、岩だらけの小さな島のようだった。大きさはこの船の半分ほどだろうか。
僕が気づいたのと同時に、マストの上に上がっていた船員さんも小島の存在に気づいたようだった。
「おーい、12時の方角に小島だー! 暗礁があるかもしれねぇ、少し大回りで避けてくれー!」
「あいよー! ……ん? そういえば、こんなところに島なんてあったっけ?」
船員さんたちが帆や舵を操作している間、僕は何だか気になってその小島を眺めていた。
そして船が少し距離を空けて小島とすれ違う瞬間、突如としてその岩肌に巨大な一対の目玉が出現した。
「……なっ!?」
暗い色合いだった岩肌も急激に変化し、茶褐色の艶かしい質感に変わった。
今や小島だった面影が全く無くなったれは、波を立てて急激に船に接近してきた。
「し、島に擬態してたんだ……! 真横、9時の方角! 巨大な魔物だ!!」
僕が大声で知らせると同時に、左舷で哨戒していたシャムが矢を放った。
しかし白い巨体が海に潜ってしまったため、その矢は外れてしまった。
「潜ったであります! 警戒するであります!」
「何だありゃぁ…… デカすぎんだろ!?」
「おい、誰か船長を--」
甲板の上が混乱に包まれ、一瞬の間のあと、海面を割って巨大な触腕がいくつも現れた。
触腕には、これまた巨大な吸盤の他に、凶悪な棘まで生えていた。そしてそれが、こちらを捕らえるように船に絡みついた。
バキョッ!! ギギィッ……!!
「「うわぁぁぁぁっ!?」」
船が軋みを上げ、大きく揺れ傾き、船員さん達が悲鳴をあげる。
僕は、隣で船から転がり落ちそうになっているロスニアさんを支えながら、手近な触腕に魔法を叩き込んだ。
『螺旋火!』
ジュワッ!
火線が音を立てて触腕を撫でる。切断するには至らなかったけど、焼け爛れたような裂傷を与えることができた。
『ギギギギギィ!!』
すると、何か硬いものを高速で打ち鳴らすような大きな音が響き、僕が傷つけた触腕が海中に引っ込んだ。
しかし、代わりにもっと巨大なものが海面を割って姿を現した。
そいつの体から滝のように海水が流れ落ちる。こちらを睨む巨大な一対の目、大きく膨らんだ頭、そして目の下から生えた巨大な触腕……
「これは…… でかい蛸かい!?」
「何事だぁ! なっ…… なんでメディテラ海にこいつがいるんだ……!?」
下の船室から駆け上がって来た船長が、巨大蛸を見て驚愕の表情を浮かべた。
「船長、一体こいつは何なんだい!? 島かと思ったらでかい蛸だったよ!」
「島蛸だ!! それもかなり大物…… 普通は広い外海にしか居ねはずなんだ、くそっ!
おい、何とか引き剥がすぞ! こんだけでけぇなら多分青鏡級はある…… 勝てるわけがねぇ!
お前らも手伝え! それからエルミラも呼べ!! 引き剥がしたら全速で尻をまくるぞ!!」
「「へ、へい!」」
船長がサーベルを抜き放ち、船員達が慌ただしく動き始めた。
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【月〜土曜日の19時に投稿予定】
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