第124話 慈愛の蛇(2)
2024/5/19 ロスニアの名前の由来を加筆
ロスニアさんが去った後、僕は放心したような表情のキアニィさんの側へ行き、周りに聞こえないよう耳元で囁いた。
「--大丈夫ですか? キアニィさんのあんな様子初めてみました。特に知り合いってわけじゃ無いんですよね?」
「え、えぇ。初めましての方ですわぁ…… 彼女、ロスニアさんもおっしゃっていましたけれど、わたくし達蛙人族は種族全体が蛇人族を苦手としていますわ。
言い表しようも無い、何か根源的な恐怖を感じますの。不思議とただの蛇や蛇型の魔物なんかは大丈夫なんですけれどねぇ……
昔、やたらと強い蛇人族を対象とした仕事で死にかけたことがあって、そのせいかわたくしはそれが特に顕著ですの……
組織も、蛇人族を対象とした仕事だけは失敗に寛容でしたわぁ。それだけこちらが苦手としているのに、向こうは笑顔で迫ってくるんですもの。もう本当に絶叫しそうでしたわぁ……」
なるほど。元から天敵な上に、トラウマまであるのか。そりゃあなんな様子になるか。しかも相手は好き好きと言って近づいてくると。
見るのは怖いけど視界に入っていないのはもっと怖い。そんな様子で、キアニィさんはチラチラとロスニアさんを見ている。
ロスニアさんは精力的に怪我人の人たちを見舞い、傷の重い人には神聖魔法で治癒を施している。
この世界で僕が会った聖職者の人達はみんなそうなのだけれど、慈悲と慈愛の溢れた人なんだろうな。
「あの、ロスニアさんに後で話しましょうと言われて頷いてましたけど……」
「--どうしましょうねぇ。でも頷いてしまいましたし…… タツヒト君、同席してくれない……? わたくし一人で彼女と対面するのわ無理ですわぁ」
キアニィさんが涙目で僕の腕に触れて懇願してくる。いつもの頼れる大人のお姉さんという印象はなりをひそめ、放って置けない年上の女性という感じだ。
つい数時間ほど前、ヴァイオレット様からキアニィさんとも恋仲になって構わないなんて言われたこともあって、正直ギャップにグッと来てしまった。
「わ、わかりました。もちろん同席します。あ、ヴァイオレット様とシャムも呼びましょうよ。こちらの人数が多い方がロスニアさんの興味も分散するでしょうし」
「そ、そうですわね。みんなに囲まれていた方が落ち着きますわぁ」
ようやく落ち着いて来たのか、キアニィさんは僕の腕から手を離した。
……彼女が手を離した瞬間、切ないような寂しいような気持ちになってしまった。もうダメかもしれない。
それから悶々としながら黙々と治療を手伝っていると、やっと現場が落ち着いてきた。
その頃にはヴァイオレット様とシャムも戻って来ていて、ロスニアさんは魔力切れでヘトヘトになっていた。熱心な人だ。
みんなにロスニアさんの話をして、落ち着いたし救護所を出ようかと話していたら、魚人族の兵士の隊長さんらしき人がやってきた。
なんでも、今回の件について領主様が話を聞きたがっているらしく、僕らとロスニアさんに館に来て欲しいらしい。報酬もそこでもらえるということだった。
王国から追われている身で帝国貴族と会いたく無いけど、断っていちゃもんつけれるのも困るので、素直にお召しに応じることにした。お金も欲しいし。
ちなみ、ロスニアさんはフラフラだったので僕が肩を貸した。
そこら中に水路が張り巡らされた領主屋敷では、妙齢の魚人族の女爵様が待ち構えていた。
今のこの島の状況を作ったという領主様だけあって、言葉の端々から開明的な印象が滲み出ているような人だった。
彼女は一通り僕らにお礼を言った後、魔物達の様子から何か気づいたことは無いか尋ねてきた。
鞭海老の大群が砂浜に上陸してくるなんて、自分が生きてきた中で初めての出来事で、かなりの異常事態らしかった。
あの時の魔物は人を襲いに来たというより、何かから必死に逃げていて、たまたま進路上に邪魔な島があったというような印象だった。
僕がそのことを伝えると彼女は苦虫を噛み潰したような表情になり、側近らしき人に哨戒範囲をもっと沖合まで広げるように指示していた。
領主様って大変だなぁ…… 観光地としてここを運営する以上、今回怪我をした人達にも何かしら補償が必要だろうし。
少し、ヴァイオレット様のお母さん、ヴァロンソル侯爵のことを思い出してしまった。
報酬を貰って領主様の元を辞した僕らは、ロスニアさんの体調も少し回復して来たので、適当な店に入ってお茶をすることになった。
お店の丸テーブルに僕とロスニアさんが対面して座り、キアニィさんは僕の隣、ヴァイオレット様とシャムは空いたところに座った。
「改めまして、助祭のロスニアと申します。冒険者をしながら修行の旅をしています。この場にはいませんが、もう一人仲間がいます。
今回は皆様のおかげで多くの人命が救われたと聞いています。神に仕える身としてお礼申し上げます」
ロスニアさんは聖職者然とした穏やかな微笑みを浮かべながらそう言った。
「礼には及ばないよ。きっちり報酬ももらったからね。こっちの馬人族はヴィー、白髪の子がシャムだよ」
「よろしく、ロスニア殿」
「よろしくであります!」
「はい、よろしくお願いいたしますね。それで…… キアニィさん、先ほどは本当にすみませんでした」
ロスニアさんはキアニィさんに向き直ると、深々と頭を下げた。
「き、気にしてないわぁ。あなたは何も悪くありませんし」
「ありがとうございます、お優しいのですね。うふふ、やっぱり蛙人族の方とお話しするのは楽しいです。
心が湧き立つような、今すぐにでも抱きしめたくなるような、抗いがたい感情を感じます…… 特にキアニィさんはお肌や髪の色にとても親近感が湧くので、尚更です」
ロスニアさんはそう言ってにっこり笑うけど、やはり口元から鋭すぎる犬歯がのぞいている。
台詞では全くそう言っていないのだけれど、『美味しそう、食べてしまいたい』と幻聴が聞こえた。
「ひっ……」
僕と同じ感想を抱いたのか、キアニィさんが小さく悲鳴をあげて僕の腕を掴む。
うん。意識をこちらに逸らそう。
「あー、肌と髪の色と言ったけど、キアニィは深緑色、ロスニアさんは水色だよね。色はだいぶ違うと思うけど……」
「あぁ。えっと、私はここよりずっと東にある蛇人族の村の出身なんですが、そこの蛇人族は私以外全員緑色の肌だったんです。
私の名前も、そこの言葉で『水色』っていう意味なんですよ。安直ですよね。
それで、村のみんなの肌の色がキアニィさんの色によく似ていたので、つい懐かしくなってしまって……」
「ふむ。そういえば、この島ではキアニィ以外に緑色の蛙人族を見なかったかもしれないな」
「はい。この島では全部で七人蛙人族を観測したでありますが、緑はキアニィだけであります!」
ロスニアさんの言葉にヴァイオレット様とシャムが相槌をうつ。
確かに茶色とか暗褐色とかは見かけたけど、緑はキアニィさんだけだった気がする。
「ええ。ですから、他の蛙人族の方々にはお声がけを我慢できていたのですけれど、キアニィさんには見た瞬間に足が動き出してしまいまして…… うふっ、一目惚れですね!」
「そ、そぉ。光栄ですわぁ……」
ロスニアさんはいたずらっ子のように笑っているけど、キアニィさんは相変わらず笑顔が引き攣ってた。
その後も小一時間ほどたわいもない話をし、そろそろ仲間の元に帰らないとと言ってロスニアさんは去っていった。
名残惜しそうに彼女が立ち去る際、彼女の目の前を横切った子供が転んでしまった。
ロスニアさんはすぐにその子を助け起こし、まだ魔力切れで辛いだろうに、なけなしの魔力で治療を行なっていた。うん、つくづく聖人だな。
「はぁ…… とっても良い方でしたわねぇ。こちらが苦手に思ってしまうのが申し訳ないくらい…… でもこればっかりは慣れませんわぁ」
キアニィさんは、ロスニアさんの後ろ姿をなんとも言えない表情で見つめている。
「お疲れさま。種族的な特性もあるから、気にしてもしょうがないわよ。それに、私らは明日にはこの島を出るから、多分もう会うこともないでしょ」
「そ、そうですわね。はぁ…… なんだか疲れてしまいました。わたくし、先に宿に戻っておりますわぁ」
「いや、全員で戻ろう。そろそろ夕刻だし、出発は明日の朝だ。今日は早めに休んでしまおう。
キアニィもだいぶ消耗しているようだから、我々で世話を焼いてやらないとな」
「そうするであります! 今日は一緒に寝てあげるであります!」
「--うふふ、ありがと」
海老と蛇の襲撃があった激動の一日を終え、僕らは早めに休むことにした。
この美しい島とも明日でお別れと思うと、ちょっと名残惜しい。
お読み頂きありがとうございます。
よければブックマークや評価、いいねなどを頂けますと励みになります。
【月〜土曜日の19時に投稿予定】
※ちょっと下に作者Xアカウントへのリンクがあります。