第117話 海原を往く(1)
前章のあらすじ:
もんむす好きの男子高校生タツヒトの一行は、王国側からの危険な山越えに成功し、ベルンヴァッカ帝国に入った。
冒険者をしながら追手から逃げるタツヒト達だったが、手練の蛙人族暗殺者、キアニィに捕捉されてしまう。しかし彼女は、暗殺を退けられたり強力な魔物相手に共闘する中で、次第にタツヒトに惹かれていく。
失態を重ねたことで組織から追われる身となったキアニィは、タツヒトの誘いで一行の仲間に加わることに。彼女は同時に、タツヒトを巡る淑女協定をヴァイオレットと締結した。
眼前に広がる大海原が陽の光を反射して輝いている。天候は快晴。気温は少し暑いくらいだけど、穏やかな風が肌を撫でるのでとても過ごしやすく感じる。
波も激しくなく、僕らの乗る船はゆったりとした周期で揺れている。
そんな穏やかなひと時に、僕は思わず--
「ぼぇぇぇぇ……」
僕の汚い吐瀉物がぼちゃぼちゃと落下し、綺麗な水面を汚した。でも、今の僕にはその光景に罪悪感を覚える余裕すら無かった。
「ゔぅぅ〜、きぼち悪いぃ……」
きつい。船酔いマジできつい。ひどい二日酔いと食中毒の悪いとこどりのような感じだ。
今僕らがいるメディテラ海は、大部分が大陸に囲まれたいわゆる地中海的な海で、ベルンヴァッカ帝国にとって非常に重要な流通路らしい。
ここは海流や波が穏やかなことで有名だそうだけど、その穏やかな海でこの調子なら僕は船で外海に出たら死ぬんじゃないだろうか……?
地球世界にいた頃には船に乗る機会なんてなかったので、自分がここまで船酔いするなんて知らなかった……
「タチアナちゃん大丈夫? ほら、これで口濯ぎなさぁい」
蛙人族の元暗殺者、キアニィさんが僕の背中をさすりながら水筒を手渡してくれた。
船の上には僕ら以外に船員の人たちが沢山いるので、本名のタツヒトではなく偽名で呼んでくれている。
「あ、ありがとキアニィ。もうちょっと背中さすっててくれるかい? すぐに落ち着くから……」
「うふふ。ちょっとと言わず、その、ずっとでもよろしくてよ?」
僕の背中に触れながらにっこりと笑いかけてくる彼女に、少し気恥ずかしくなって目を逸らしてしまう。
彼女が仲間になってまだ数日。敵同士だった頃と比較するのは変だけど、彼女はこうした何気ないボディタッチがすごく増えた。
そんで向こうも少し恥ずかしそうにするものだから、僕も変に意識してドギマギしてしまう。
まずいなぁ…… 僕にはヴァイオレット様がいるというのに。いや、でもタイプの異性に優しく触れられて意識しないのって無理じゃない?
「ふむ…… 私も船は初めてなのだが、全く酔わないな。不思議なものだ」
僕らの様子を直近で見ていた馬人族の騎士、ヴァイオレット様が不思議そうに呟く。
船が揺れていると言うのに、彼女の重心は全くぶれていない。四本の足を匠に使って、揺れを完全に吸収しているように見える。
「ヴィー…… そりゃぁあんたの技量が高すぎるからさ」
「む、どう言うことだろうか?」
あれ、もしかして無意識でやってる? どっちにしろすごいけど。
ところで、ヴァイオレット様の前でキアニィさんに背中をさすられるのはちょっと居心地が悪い……
でも、ヴァイオレット様の方は全く気にしてないっぽいんだよなぁ。それはそれで複雑。
「シャムも酔ってないであります! タチアナも、三半規管への過剰な入力を減衰させれば、きっと酔わなくなるであります」
「シャム…… それができるのはあんただけよ……」
機械人形のシャムは、揺れる船の上でもいつも通り元気だ。実際僕もその機能がとても欲しいけど、そのためには誰かにサイボーグ化してもらう必要がある。ちょっと難しいかな……
それからしばらくは、キアニィさんに背中を撫でてもらいながらひたすら海面を眺めていた。
すると、キョロキョロと誰かを探している様子で、犬人族の船員さんが僕の方に近づいてきた。
「おぉ、いたいた。魔法使いの嬢ちゃん、そろそろ昼の準備すっから厨房に…… って、おいおい、こんな穏やかな海で船酔いか? 大丈夫かよ?」
「ふぅ…… 大丈夫、アタイに任せなさいな。それじゃみんな、ちょいと行ってくるから、哨戒は任せたよ」
僕はみんなを甲板に残し、船員さんについて階下の厨房へと向かった。
なぜみんなで船に乗っているのか。それはもちろん追手から逃げるためだ。
数日時間を戻し、キアニィさんが仲間になった翌日、僕らは全員で今後の逃亡計画について話し合った。
普段はヴァイオレット様が主導するところだけど、今回彼女はそれをキアニィさんに任せていた。あの夜二人で何を話したのかは教えてもらえなかったけど、二人は随分打ち解けた様子だった。
キアニィさんの計画は、大筋ではこれまでと同じく、冒険者で稼ぎながら逃げ続けるというものだった。
ただここで、キアニィさんは元暗殺者の立場を最大限に利用することにした。
僕らを追って王国から大挙してくるだろう暗殺組織の人員に対し、嘘の言伝を残すのだ。
言伝で、キアニィさんが陸路で南西に向かう僕らを追っていると残し、さらに巧妙に人を使い、南西の街にまで手掛かりを残していく。
その内彼女の裏切りはバレるだろうけど、これならば組織はしばらく間違った場所を探してくれるはずだ。
一方実際の僕らはというと、海路で南方の大陸に渡る。
南方の大陸にはミラビントゥムという都市があり、そこは数多くの魔窟を抱えている。冒険者や商人などたくさんの人が集まる上に、蛙人族も珍しくないらしい。
ここで人に紛れつつ冒険者の依頼で稼いで、また高跳びするのが大まかな計画だ。
ただ、普通に乗客として船を利用すると記録に残る可能性があるので、貨物船などに船員側の枠で潜り込む必要がある。
彼女は諜報スキルをフルに生かし、ちょうど火属性の魔法使いと護衛を探していたこの船を探り当てた。
マストが2本たった細長い船体の側面にはオールが何本も突き出ていて、200人くらいは乗り込めそうな規模感だ。
彼女はこの大きな船の船長と交渉し、冒険者組合を通さずに結構いい条件で船の護衛依頼の話をまとめてしまった。
敵だった時はひたすら厄介だったけど、味方になったらものすごく頼りになるなぁ、キアニィさん。
船員さんに案内された厨房で一通り仕事を終える頃には、船酔いもだいぶマシになってきた。
ちょっと手持ち無沙汰にしていると、厨房に大きな人影が入ってきた。
「ようタチアナ、調子はどうだ? ん? おいおい、お前さんいい腕してんなぁ。
これだけ安定した火をこんなに出せる奴なんて、なかなかいないぞ。どうだ、俺の船の専属にならないか? お仲間の連中も腕はいいようだし、全員まとめて雇うぞ?」
僕の働き手放しで誉めてくれたのは、この船の船長だ。牛人族のお姉様で、歴戦の雰囲気がある。
大人数の料理を作る時は薪代も馬鹿にならないため、護衛の火属性魔法使いが竈門に火を出してやることがあるのだ。
僕は彼女が言う通り、10口ある竈門全てに均質な大きなの灯火を放っていた。全部同じ火力にするのって、結構難しいんだよね。
「ありがとさん。お褒め頂いて光栄だね。でも悪いけど、アタイらは冒険てやつに魅入られちまってんのさ」
「そうかぁ…… もったいねぇなぁ。まぁ気が変わったらいつでも言ってくんな」
船長は残念そうにそう言って厨房を後にした。船つきの専属護衛か…… それも楽しそうだけど、追手から逃げる今の僕らには無理な選択だなぁ。
「なぁ魔法使いの嬢ちゃん、悪いんだがちょっと飯運ぶの手伝ってくんねぇか?」
「ん? あぁ、構わないよ」
ちょっと妄想してたら、厨房付きの船員さんに声を掛けられた。反射的にOKしてしまったけど、その行き先に気づいて僕は少し後悔した。
具の少ない大鍋のシチューと、釘が打てそうな硬いパン。それらの配達先はこの船の一番底、大事な商売品が載せられている場所だ。
船員さんがその場所のドアを開け、乱暴に言い放つ。
「おらお前ら、昼飯だぞ! 感謝しながら食えよ?」
いくつもの視線視線が僕らに集中する。そこにいた誰もが暗く澱んだ目をしていて、足には重そうな鉄球が鎖で括り付けてある。
そう、この船が運ぶ商品は人間。ここは奴隷船なのだ。
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【月〜土曜日の19時に投稿予定】
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