第108話 港湾都市とワンオペ暗殺者の憂鬱
街道をたまに小走りになりながらひたすら進むと、街道の先にかなり大きな都市が見え始めた。よかった、運よく都市の近くまで来ていたみたいだ。
都市に近づくにつれて街道に人が増えてき、その人たちの多くがギョッとした目で僕らを見てくる。
馬人族であるヴァイオレット様を、軽々と抱えて歩いている僕が珍しいらしい。そりゃそうか。
ヴァイオレット様はというと、そんな視線に頬を染めて居心地悪そうにしている。早く都市に入って宿を取らないと、彼女が恥ずか死してしまうぞ。
一方シャムはというと、それどころでは無かった。
「タツヒト、向こう側が一面全て水であります! あれが海でありますか!?」
シャムが指し示す街道の東側には、太陽の光を受けてきらめく海原が見えてきていた。
風も波も穏やかで、気温もやや汗ばむくらいに暖かい。綺麗な光景も相まって、連日の襲撃で荒んだ心が癒されていく気がする。
「うん、そうだよ。僕もこっちでは初めて見たかなぁ。もうほんのり海の匂いがするね」
「私も海を見るのは子供の頃以来だ…… やはり美しいな」
「なるほど、この空気中にわずかに含まれる腐敗臭成分が、海の匂いなのでありますね! 面白いであります!」
「--シャム。多分正しいんだけど、磯の香りとでも言っておこうか」
「ほぇ? わかったであります」
海の美しさに感じ入っていたヴァイオレット様が、シャムの言葉を受けて微妙な表情になってしまった。
それからなんとか城門がしまる夕刻までに都市に入ることができた。
門番の人の話によると、ここはヴァレゴンという港湾都市で、ベルンヴァッカ帝国の重要な貿易拠点の一つらしい。
都市の規模は、僕らが以前いた領都クリンヴィオレと、王都セントキャナルの中間くらいだろうか。
人も物も金もたくさん集まるので、かなり栄えているようだ。
そんな栄えた街に入った僕らは、まず聖教会を訪れた。都市の大きさに比例するのか、教会の建物もかなり立派だった。
この世界では、教会の聖職者の方々は大半が神聖魔法、つまりは治癒魔法を使うことができる。
そしてその魔法は、怪我だけでなく病気や中毒症状にまで効果を発揮する。ヴァイオレット様の症状も治せるはずだ。
受付の方にだいぶ多めの喜捨をお渡ししたら、司祭様から最優先で治療して頂けることになった。
立派な角と牛耳を生やした牛人族の司祭様は、ヴァイオレット様を魔法で診察しながら、こうなった原因に何か思い当たることは無いかと聞いてきた。
毒を盛られたというわけにもいかなかったので、ヴァイオレット様には悪いけど、毒蛙を食べたということにした。
いい年こいて何してるのとお小言を言いながらも、司祭様はヴァイオレット様の人体の方のお腹と、馬体の方のお腹の辺りに治癒魔法をかけてくれた。
多分、毒を代謝する肝臓の働きを活性化させる魔法なんだろうな。
ちなみに、馬人族には馬体側に肝臓がもう一つある。なんなら、心臓も肺ももう一セットある。
馬体の前足の脇あたりに、目立たない鰓のような器官があり、そこが馬体側の肺につながっているのだ。
この構造により、馬人族は自身の大きな体を十全に操ることができるのだと思う。
治療の直後、ヴァイオレット様はすぐに歩けるくらいには回復した。司祭様曰く、三日もすれば完治するだろうとのことだった。
僕らは司祭様にお礼を言ってから教会を出て、次は急いで宿を探した。
襲撃のこともあるので、なるべく建物の作りや警備がしっかりした高級宿の一室に入り、ようやく一息つくことができた。
「あぅ、急に来たであります。起床からおよそ34時間…… お腹も減ったでありますが、もう眠気が限界であります。タツヒト、先に見張りを頼むでありまぅ……」
部屋に入った瞬間、シャムはその場にへたり込み、糸が切れたように眠り始めてしまった。
僕はまだふらつくヴァイオレット様をベッドまで連れて行った後、シャムもベッドに移動させ、装備を脱がせてやった。
「ありがとうシャム、ゆっくりおやすみ」
「今回は、本当にシャムに助けられたな」
ヴァイオレット様が、シャムの寝顔を慈しむように眺めている。
「そうですね。ヴァイオレット様ももう休んでください。見張りは僕とシャムとでやりますので」
「君も疲れているだろう。私が…… いや、今の私ではあの暗殺者に対抗できないだろうな……
わかった。早めに休んで早めに体を治すとしよう。すまないが、頼む」
「えぇ、任せてください」
ヴァイオレット様は、ベッドに横たわるとすぐに寝入ってしまった。窓に目をやると、もうすぐ日が暮れるようだった。
僕は椅子に槍を手に椅子に座ると、二人分の寝息を聴きながら考えを巡らせた。とても空腹だったけど、今食べたら寝そうだったので我慢した。
夜襲と毒は乗り切った。あの暗殺者は次はどんな手で来るんだろう。もう、いっそのこと正面から来てくれたら楽なんだけど、そんなの暗殺者じゃないからなぁ。
ほんと、逃亡生活ってしんどいよね。
***
時間は、最初の襲撃の数時間後、タツヒト達がレーリダを経つ日の夜明け前まで戻る。
彼らを狙う妖艶な蛙人族の暗殺者が、もそもそと寝床から起き出した。
彼女は軽食を摂ると音もなく宿を抜け出し、タツヒト達の様子を見に行った。
遠くの建物の屋上から望遠鏡で彼らの部屋の様子を伺うと、見張りだろう、武器を手に起きていたヴァイオレットの視線がこちらを向いた気がした。
彼女はすぐに覗くのを止め、建物から降りた。
「ふぅ、勘が鋭いですわねぇ…… でも予想通り、お店が開くまでは動かないつもりね。仕込みをするなら、今の内ですわ」
暗殺者は数日前にレーリダに辿り着いていた。
彼女は街の人間にさりげなく聞き込みを行い、タツヒト達がここで冒険者をしていることを知った。
その後冒険者組合に行き、指名の依頼を出す素振りで組合員から情報を引き出し、彼らが護衛依頼で一時街を離れているところまで掴んだ。
タツヒト達が戻ってくるまでの間、彼女は情報収集を重ね、彼らの行きつけの店や親しい人間なども調べ上げてしまった。
襲撃を受けて街を離れるならば、行きつけの商店で物資を入手するはず。そう考えた彼女はその商店に忍び込み、過剰摂取されにくい塩に麻痺毒を仕込んだ。
「はぁ。わたくし、食べ物に細工するのは本当に嫌なのだけれど…… 背に腹は変えられませんわぁ。
対象が買い物を終えた後は、毒を仕込んだものは回収致しませんとね」
仕込みを終えた彼女は、再びタツヒト達の監視に戻った。
そして朝日がのぼり、彼らが狙い通りの店で塩を購入したのを見届けると、ほくそ笑んだ。
「ふふっ、いい子ね。これなら今日中に方がつきそうですわぁ」
彼女の頭の中には、野営中に麻痺毒で倒れたヴァイオレットを始末し、タツヒトの拉致に成功するヴィジョンが浮かび上がっていた。
その後はタツヒトには定期的に麻痺薬を投与し、ヴァイオレットの遺体と一緒に馬車で搬送。
帝国の西側、虚海に面した港は王国との連絡船が出ている。港には組織の人間も来ているはずなので、そこで彼らを引き渡せば彼女の仕事は完了だ。
仕事の成功を持って、南部山脈で部下を全滅させた咎は帳消しになるだろう。
しかし、そこから計画が狂い始めた。
レーリダの門を出た彼らが、周囲の目を気にすることなく、凄まじい速度で街道を走り始めたのだ。
「な、なるほどぉ。確かに、わたくしに捕捉された段階で、目立たなくする必要は無くなりましたわねぇ……
いえ、こうしてはいられないですわ。ともかく追いかけませんと」
蛙人族の脚力は凄まじいが、タツヒト達から見つからないよう距離を取る必要があった上に、位階の差による速度差もあったため、彼女は彼らを途中で見失ってしまった。
しかし、道をゆく旅人の目撃証言が途中で途絶えたことから、どうやら彼らが街道の途中で森に入ったことを突き止めた。
それからは彼女は、地道に該当する範囲の森の下草や木々の枝などを調べ、痕跡をたどり、なんとか彼らに追いつくことができた。
「ぜーっ、ぜーっ、ぜーっ…… や、やりました…… ギリギリで、追いつきましたわよ。
ふぅ…… 今から野営のようですわね。全員が麻痺するまで待ちましょう」
彼女は森の暗がりから、息を整えながら彼らを観察した。すると、例の塩を入れたスープを口にした白髪の少女が、毒だと騒ぎ始めた。
「な、なんでぇ……?」
向こうの最大戦力かつ抹殺対象が麻痺、他の二人は無事でこちらを警戒している状況。
迷った末に、彼女は仕掛けることにした。だが、結果は失敗だった。
蛙人族に有利な暗い森という環境においても、対象を仕留めることができず、夜が明けてしまった。
周囲を警戒しながら街道に撤退するタツヒト達を、彼女は呆然と見送る。
「まさか、一晩中守り抜くなんてねぇ…… タツヒト君、本当に大した子だわぁ。それに、あれだけ大切に思われるなんて、ちょっとヴァイオレットが羨ましいですわねぇ……
それにあの白髪の子、シャムと呼ばれていたかしら。殆ど無味無臭のはずなのに、一体どうやって毒に気づいたの……? 夜目も弓の腕も一級品でしたし……
全く、いいお友達を見つけたものですわね。お仕事の難易度が上がりすぎて、逆に笑えてきますわぁ」
実際はにこりともせず、ただただ疲労を滲ませた表情で彼女は呟いた。
「夜襲は失敗、毒もだめ、そろそろ資金も怪しい…… はぁ。ほんと、このお仕事ってしんどいですわぁ……」
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【月〜土曜日の19時に投稿予定】
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