第105話 暗殺者のいる生活(1)
今日は間に合いました!
目が合ったと思った瞬間、フードの人物は音もなく僕に肉薄した。
その段階に至ってやっと完全に目が覚めた僕は、側に置いておいた槍を引っ掴むと転がるようにベッドから降りた。
ベッドを挟んでフードの人物と睨み合う。よくみると、奴はなぜか武器ではなく、布のようなものを手にしている。
さておき。
「ヴァイオレット、シャム、敵襲だ!!」
僕の叫び声にヴァイオレット様が飛び起き、フードの襲撃者を目にして槍に手を伸ばした。
「にゃにものら!?」
いつもなら凛々しい彼女の一喝は、寝起きの今は非常に可愛らしいものだった。
それでも分が悪いとと悟ったのか、襲撃者は僕とヴァイオレット様を見た後、踵を返して窓に向かおうとした。
逃すか!
「シッ!」
背を向けかけた襲撃者に向けて踏み込み、首を狙って槍を突き出す。
それに対し、やつは上体を思い切り逸らして槍を避けた。しかしその拍子にフードが外れ、顔が見えた。
妖艶な印象の整った顔立ち、若い女性だ。髪は肩にかかるくらいのドレッドヘア、暗くてよく見えない多分深緑色の肌、亜人か?
僕が槍を引き戻す隙に、彼女はフードを被り直しながら跳躍、飛び込むようにして窓の外へ身を投げ出した。
急いで窓に走って下を見ると、彼女はちょうど地面に着地した瞬間だった。
追跡しようと窓に手を掛けたその時、彼女は通りを挟んだ反対側の建物まで一気に跳躍し、そのまま三階くらいの高さの壁に張り付いてしまった。
驚いて固まっていると、そのまま建物の屋上までするすると登り、屋根伝いに飛び跳ねながら逃げていってしまった。
な、何つー身軽さ…… それに今、壁に張り付いてたよね……?
あの体色もそうだけど、多分蛙系の亜人だろうな。めちゃくちゃ美人だったけど、あの人が王都からの追跡者、僕らの敵なのか……
「くっ、逃げられたか……」
僕に一瞬遅れて窓際に来たヴァイオレット様が、悔しげに外を睨む。もう目は覚めたみたいだ。
「すみません、彼女の身軽さに驚いてしまいました」
「彼女…… 顔を見たのか?」
「はい。妖艶な印象の整った顔立ちで、特徴的な編み込みの髪型でした。肌の色とあの身軽さから、おそらく蛙系の亜人だと思います」
「そうか…… ならば確定だな。陛下が我々に差し向けたのは王国の暗部、暗殺組織ウリミワチュラの者だろう」
「ウリミワチュラ、ですか?」
「ああ。この帝国のさらに南、熱帯雨林の辺りから政争で逃げてきた蛙人族が起源らしい。
私も母上からほんの少し聞かされただけなのだが、今の王国が安定しているのは、陛下が奴らを使って政敵を残らず暗殺したからという話だ」
「うへぇ、血生臭いですね…… そんな不味い相手なら、今すぐにでも宿を引き払いますか?」
「……いや、まだ出立の準備が整っていない。明日、商店が開いたら食料などを買い込み、すぐに出立する。今日のところは見張りを立てて交代で眠るとしよう」
「わかりました。先ほどの彼女は、おそらく黄金級の中位くらいの実力でした。一対一でも撃退できそうです」
身軽さは確かにすごかったけど、実力的には僕の方に分がありそうだった。
暗殺者というからには、もっと隔絶した実力を持っているものと思っていたけど、そうでもなさそうだ。
「……タツヒトよ、それは連中に対して少しばかり過小評価だ。君は、不思議に思ったことはないか?
なぜ紫宝級や青鏡級といった隔絶した実力を持つ連中が、国や冒険者組合の言うことを大人しく聞いているのか」
「え…… えっと、暴れると他のまともな紫宝級の人達から怒られるからですか?」
「まぁそれもある。だが、もう一つ大きな理由がある。それは、いくら強い者でも、暗殺者に四六時中狙われたら必ず仕留められてしまうからだ。
タツヒト、君は日常生活、たとえば食器を持ったり、人と握手したりする際には、身体強化の度合いを下げるだろう?」
「は、はい。そうしないと、いろんなものを傷つけてしまいますから」
「うむ。どんな強者でも不意を突かれれば脆い。そして何より、睡眠中は身体強化は完全に切れてしまう。そうなれば、位階の差など瑣末な問題だ。
今回は君が気づいてくれたからよかったものの、そうでなければ今頃私はこの世にいなかっただろう」
ヴァイオレット様は、ぶるりと小さく体を震わせた。
……確かに、四六時中ずっと身体強化したままでいられるわけが無い。そして向こうはその隙をつくプロだ。
今日来た彼女は、ちょっとその例から外れそうだけど。
「すみませんヴァイオレット様。僕らを狙っているのは、恐るべき集団だと認識を改めます」
「うむ。 --ところで、シャムはどうしているのだ?」
「あ、そういえば」
二人してシャムが眠るベッドを見に行くと、あれだけ騒いだのに彼女は安らかな顔ですやすや眠っていた。
「……まぁ、子供は寝かせておきましょう」
「ふふっ、そうだな、ここは我々大人が見張っておこう」
***
「はぁ、はぁ、はぁ…… どうやら、尾けられてはいないみたいね」
街の人間が皆寝静まり物音一つしない細い路地。息を切らした人影は、そう呟きながらフードをあげた。
先ほどタツヒト達に襲撃をかけた、妖艶な蛙人族の暗殺者だ。
タツヒト達の宿から、路地裏や建物の壁などを飛び回り、とても遠回りした上でやっと自身のねぐらに帰ってきたのだ。
彼女はねぐらとしている宿の裏側に周り、3階の高さまで飛び上がって壁に張り付くと、先ほどそうしたように窓から自分の部屋に入った。
部屋の中に荒らされた様子や、罠を仕掛けられていないことを一通り確認すると、彼女はベッドに倒れ込んだ。
そして両手で顔を覆いながら唸るように呟く。
「はぁ〜、もうわたくしのおバカ。一番成功率が高い最初の襲撃を、あんなお間抜けな理由で台無しにするなんてぇ…… これだからわたくしは、いつまでも現場を卒業できないんですわぁ……」
彼女は暗殺組織においては中堅で、その中でも実力は非常に高いと評価されていた。
しかし、たまに先ほどのようなつまらないミスを犯してしまうことから、総合評価としては並程度の扱いだった。
そのため幹部クラスの寸前で出世が頭打ちし、今回の組織を上げた大仕事でも、可能性が低いと目されていた南端側の担当に回されていた。
それでも彼女の暗殺者としての実力は高く、ミスも普段は部下がフォローしてくれていたので、仕事の達成率は悪くなかった。
しかし、その部下達ももう居ない。ここには彼女一人だ。
「あの背筋の凍るような鋭い突き、正面からでは保護対象にも敵いませんわね……
タツヒト君、か。男であんなに強い人は初めて見ましたわぁ」
槍を避けるときに掠ったのか、彼女が喉の辺りを触ると、その手にはほんの少し血がついていた。
「それに暗殺対象、ヴァイオレットが彼より弱いということは無いですわよね。
こうなったら、向こうが集中や体力を切らすまで、持久戦を仕掛けるしかないですわね。はぁ、嫌ですわぁ……」
向こうは三人、こちらは一人。持久戦においては、どう考えても向こうの方が有利だ。
しかも一人は無傷で捉える必要があるので、さらに難易度が高い。
先ほど彼女が手に持っていは布には、相手を昏倒させる薬剤が染み込ませてあった。
この薬剤も、相手が身体強化していなければ数秒で効果を発揮するが、そうでなければ効くまでかなり時間がかかる。
彼女にとって、非常に困難な状況と言えた。
「今は対象の警戒心が最大化しているでしょうし、今日はもう寝てしまいましょう。
それにしても、あの香ばしくも甘酸っぱい香り。あれ、絶対美味しいやつですわね…… はぁ、思い出したらお腹が空いてきましたわぁ……」
先ほどの良い匂いを思い出し、彼女はほんの少し表情を緩めて眠りについた。
お読み頂きありがとうございます。
よければブックマークや評価、いいねなどを頂けますと励みになります。
【月〜土曜日の19時に投稿予定】
※ちょっと下に作者Xアカウントへのリンクがあります。