■3■ 建国史
戦争の歴史は長い。名軍師と謳われた人、英雄と呼ばれた人、傑物として名を馳せた者……思いもよらない戦略や戦術で戦争を勝利に導いた例は数多くある。国の歴史は、戦争の歴史と言っても過言ではなかった。そして、リムネッタの館の書庫には、国内国外問わず、名著と呼ばれる本が数多く所蔵されていた。
「地理学……歴史学……今日はこの辺りの本でいいかな」
いつものように、書庫から数冊の本を取り出し、ルシアは本を抱える。訓練の後、二人で入浴を済ませ、ルシアは先に出てきていた。ゆったりとした白絹のローブに身を包み、先に書庫から本を持ってリムネッタの部屋で待つことになっている。
てくてくとルシアは館の廊下を歩き続ける。ところどころに設置されている窓からは、月の光が差し込んできていた。ゆらゆらと揺れる蝋燭の火が、不規則な影を壁に落とす。今日は満月も近いため、火のついている蝋燭も普段の半分程度だった。
「到着!」
きぃ……と扉を開けて中に入る。部屋の蝋燭に明かりを灯すと、ほんのりとした光が部屋の中に満ちて、少しだけ暖かくなったような気がした。少し広めの部屋の中には、机やベッドが飾り気なく置かれていて、少し殺風景な印象を受ける。ルシアは持っていた本を机の上に置くと、窓の側に近寄った。月光がルシアの両手を照らし、肌が青白く透き通る。
「あれから、もう五年……」
ルシアとリムネッタが出会い、騎士になる約束を交わしてから五年。その間、ルシアとリムネッタにも様々なことがあった。
二人で約束をしたあの日以降、リムネッタとは毎日のように剣術の訓練をするようになった。週に何度か剣術指南の先生を呼んで、稽古をつけてもらうこともしている。終わった後は、書物を読み、騎士になるために必要な知識を学んでいった。ルシアが騎士を目指すと聞いた時、ルシアの父親達は大分驚いていたが、ルシアの強い希望を伝え、スタンドーラ家──リムネッタの家──の名前を出すと、それならばと承知してくれた。女性の場合、二十歳前には騎士を引退するのが慣例であったし、その後はルシアも家の手伝いに戻るという約束で、ルシアは騎士を目指すことを許されたのだった。
最初の頃、ルシアはリムネッタに手も足も出ない状態だった。幼い頃から英才教育を受けてきたリムネッタは、普段はのんびりしていて抜けているところも多いが、その積み重ねてきた研鑽は確かなもので、日々さらに強く、賢くなっていく。ルシアとしてはリムネッタに追いつくのが第一目標だったが、五年経った今でもその背中に追いつくことはできていなかった。
「ヘレナ・ランカスター……」
遠くに見える中央広場に、ぼんやりとヘレナ像の輪郭が見える。青白い月光を受けて、それはとても神秘的な雰囲気を纏っていた。ブルーメ騎士団を創設し、初代騎士団長として国の礎を築いた人物。その強さは烈火の如く、その志は石より硬く、万民のためを思い、その短い人生を国に捧げた、この国の誰もが知っている人物。彼女の死後に騎士団は二つに分割され、それぞれの騎士団長は十代の少女から選ばれることになった。そして、ヘレナが死去した二十歳の前には騎士団長の任を降りるのが後の慣例になった。
ルシアがしばらくその場で考えに耽っていると、トントンとノックの音がして、ゆっくりとドアが開く。リムネッタだった。
「自分の部屋なんだからノックはいらないよ、リムネッタ」
苦笑交じりにルシアが言うと、リムネッタはくすりと笑う。
「ルシアがいるって分かってたから、一応ね」
「そっか。それじゃあ始めようか」
「うん」
二人は机を挟んで向き合い、本を広げる。今日は歴史学からだった。本の序章には、この国の建国の経緯が書かれている。ヘレナ・ランカスターという文字もいくつか散見された。
「この国の建国について……」
ルシアが何度と無く読んだそのページから読み始めると、リムネッタもルシアの向かい側で本を読み進めていく。二人は時間も忘れて、本を読むのに没頭していった。
……
…
「ルシアったら、眠っちゃってる……」
本を読み始めてニ、三時間ほど経った頃、本を読み終えたリムネッタは、本を開いたまま机で眠ってしまっているルシアに目を向けた。ベッドの脇から小さな布団を持ってくると、それをルシアにかけ、顔を覗き込む。
「こんなに無防備で……」
くすりと笑うと、リムネッタはルシアの頬を少し撫でた。
「んっ……」
ルシアが小さく声をあげる。起きてはいないようだった。
「しばらくおやすみさせてあげようかな……」
そう言ってリムネッタは、ルシアの前で開きっぱなしになっている歴史の本を手に取る。ルシアが開いていたのは、建国の歴史についてのページだった。
リムネッタは本のページを一枚めくる。傾きかけた月の光が窓から差し込み、リムネッタの手を照らした。
この国の歴史は、のどかな辺境の村に生まれた一人の男の子と、それを支える女の子の逸話から始まる。その二人は幼い頃からの遊び友達だった。二人は毎日のように遊び、お互いに励まし合いながら成長していった。少年はその村の誰よりも賢く、少女は誰よりも強かった。九歳になる頃、二人はその才能を買われ、町へ出ることになる。その町でも、瞬く間に二人はその才能を開花させていった。
二人が十三歳になった頃、町が他国の侵略にあった。町が壊滅しそうになった時、少年は地の利を生かした知略で、少女はその強さとカリスマ的な統率力で、迫り来る敵勢を奇跡的に退け、二人はその才能を広く知られるようになった。そうして二人の関係は続き、最終的には若くして国を建てるにまで至ったのだった。大人になった少年はその才知で国を治め、国を発展させた。少女は建国後まもなく死去するが、最期の瞬間までその命を賭して国を守り、その気高い魂は後の世に受け継がれていった。
ブルーメ国の騎士団は国の建国と共に創設されたが、初代団長であるへレナ・ランカスターの死後、騎士団は二つに分かれた。そしてそれぞれが国を守るために協力し合い、今に至っている。
……
…
「ルシア……頑張ろうね」
小さな声でそう言うと、リムネッタは静かに本を閉じる。そして、すやすやと眠るルシアの髪に手を添えると、起こさないようにそっと頭を撫でたのだった。