■5■ 戦の予兆
穏やかな日々が続いた。昼間は家の手伝いをし、夕方には中央広場でリムネッタと落ち合い、語り合う。天気のいい日はほとんど毎日語り合い、たまにこっそり町の外に出かけ、日が暮れるまで遊んだ。
そうして、二人が出会ってから一ヶ月ほど経ったある日、二人は再び丘まで来ていた。夕焼けと青空が交じり合う、いつもより少し早い時間だった。
「最近ね、お父様も忙しいみたい……」
いつもと同じように、岩の上に座りながらリムネッタが言う。ルシアはそんなリムネッタを横から覗き込んだ。
「何かあるの?」
「お父様はあまり話してくれないから、詳しいことは分からないけど……難しい顔をしてることが多いの」
「そっか……」
ルシアは視線を空に向ける。遠くに浮かんだ薄ぼんやりとした雲を、ゆっくりと視線で追った。
「わたし達はまだ子どもだけど、早く大人になりたいね」
リムネッタはそう言いながら、ルシアの視線を追う。ゆっくりと、ゆっくりと流れていく雲を、二人でしばらく眺めていた。
……
…
辺りがすっかり夕日の色に染まった頃。不意に背後からザッと足音が聞こえて、二人は振り返った。
「あっ!」
そこに立っていたのは、軽量感のある鎧と鉄兜を身に纏い、右手に細長い剣を持った、一目で戦士と分かる男だった。髭を生やした厳つい顔から発せられる鋭い眼光がルシアとリムネッタを射抜き、二人は岩の上に座ったまま身動きできなくなってしまった。
「嬢ちゃん達……」
「リムネッタ、下がって」
男の声と同時に立ち上がったルシアは、リムネッタを庇うように一歩前に踏み出した。ルシアとリムネッタを鋭い目で見据える兵士に対して、ルシアは怯むことなく警戒と敵意、そして威嚇の感情をこめて睨みつける。
「いい眼だ。でも安心しな……とって食おうだなんて、考えちゃいねぇよ」
底光りする力強い眼とは裏腹に、聞こえてきたのは喉の奥から搾り出したような、ひどく苦しそうな声だった。
「あんた達をどうこうする力も、残っちゃいねぇしな……」
そう言うと、その男はドンッとその場に座り込んだ。よほど苦しいのか、ゼーゼーと息が荒い。ルシアは、その時になってようやく男の腹から赤黒い液体……血が滲み出ているのに気付いた。それに伴い、ルシアの警戒が少し和らぐ。
「おじさん、傷……」
言葉を発したのはルシアだった。リムネッタは声も出せず、ルシアの服をぎゅっと掴む。
「傷……? あぁ、少しやられちまってな……これはもう、助からんだろうな」
男はまるで他人事のように言った。大きく息を吸い、苦しそうな表情を浮かべると、ゆっくりと息を吐き出していく。その後も苦しそうに呼吸を続けた。ルシアとリムネッタは、どうすればいいのか分からず、ただ見ていることしか出来なかった。
「嬢ちゃん……名前は?」
「……私は、ルシア。この子は、リムネッタ」
男の問いに、ルシアが答える。男はわずかばかり顔の緊張を解くと、彫りの深い顔に皺を作って笑みを浮かべた。
「ルシアと……リムネッタか。いい名前だな。俺は見ての通り、モント国の兵士だ。兵士だった……が正しいか」
モント国──ルシアの父の交易相手でもある、北の同盟国だ。
「嬢ちゃん達は、あの町の子だな」
男は丘から見えるルシアとリムネッタの町に視線を向けた。苦しそうにしつつも、男は言葉を続ける。
「シュネー国の奇襲で……城が、陥落した」
ルシアもリムネッタも、子どもながらにその意味するところは理解していた。城が落ちる──それは、国が無くなり、故郷が支配され、蹂躙されることだった。
「国には、妻も子もいる。それだけが気がかりだが、俺はここまでだな……」
そう言うと、男は腹を押さえ、ぐったりと前のめりになる。
「治療っ! リムネッタ、お医者さん呼ばなきゃ!」
「う、うん!」
ルシアはここにきてようやく、目の前にいる兵士が自分たちを襲う敵ではなく、治療と助けが必要な重傷者であることを確信する。ルシアの言葉に、リムネッタもすぐに反応した。
「医者なんざいらねぇよ!」
男は顔を上げると、語気を強くして二人に言い放つ。
「で、でも……」
「それより……こりゃあ最後の僥倖だ。この書簡を、そこのお前……リムネッタ」
男はリムネッタに向かって、血で汚れてくしゃくしゃになった紙を差し出す。
「あんた、いいとこの娘だろう……? 父親を通して、これをブルーメ国の国王に、届けてくれ……」
その場から動けないリムネッタの代わりに、ルシアが男に近づいてそれを受け取る。それは、一枚の手紙だった。差出人を見ると、ルシアでも知っている、モント国の国王の名前だった。
ルシアが再び男に視線を戻すと、男は静かにうずくまっていた。
「おじさん……?」
呼びかけたが、まったく反応が無かった。男は腹を抱えた姿勢のまま、その場で静かに息絶えていた──