3月29日 金曜日 最終出勤日
自宅を出て、いつものように職場への道を歩きます。今日は朝から暖かく、春らしい日になりました。ふと街道の街路樹を見上げると、少しずつですが桜の花が咲き始めていて、ようやく色づく季節になったことを実感できます。
この道を歩いて通うのは最後かもしれないと考えると、いつもの通勤経路も何か特別なものに感じてきます。
八王子管理センターに着くと、いつものように夜間警戒の機械警備を解除して、警備室に入って制服に着替えます。着替えたところで川室君が出社されました。
「おはようございます。」
「おはようございます。来月からよろしくお願いしますね。川室隊長。」
「まだ、実感がないです。」
そういいながら荷物を置くと、川室君も制服へ着替えました。一緒に警備室内外の掃除をして受付の準備をします。
「おはようございます。」
「あ、平尾所長。おはようございます。」
「今日が最終日ですか。」
「はい。まぁ、来月以降も顔は出しますので、これからもよろしくお願いいたします。」
所長に挨拶をして、改めて川室君の紹介もしました。こうやって引継をしていくのも、なんだか新鮮な気持ちになります。
「亮~さん! おはようございます!」
「ちょ、結衣美さん。おふざけが過ぎますよ。」
いきなり抱き着かれたので、ドキドキしながら挨拶を交わしました。多分、顔は真っ赤になっていたと思います。
「山盛隊長。随分、懐かれてますねぇ。」
川室君が目を細くしてこちらを見てきます。その目はやめなさい。その目は。
「あ、あはは。」
社員様を受け入れ、川室信隊長に業務の引継ぎを行っていきます。引継ぎとはいっても、川室君は代理勤務で何度か入ってくれていますし、社員様とも顔なじみにはなっていますので、すぐに慣れてくれるでしょう。
「自分。一人で現場を回すのが不安でいっぱいです。」
「大丈夫だよ。もう何度も代理勤務で入ってもらっているし、今までの川室君の経験値なら大丈夫。何かあればすぐにバックアップもするし、安心して働いてくださいね。」
「ありがとうございます。」
若き新隊長は、間違いなくしっかりと務めを果たしてくれるはずです。私は信じています。川室君は生真面目かもしれませんが、他人を思いやれる青年です。私たちの仕事にとって、誰かを思いやることができるというのは大きなスキルになります。
引継も大方完了し、ここでの最後の一日はあっという間に退勤時間に近付いていきます。17時半の退勤音楽がかかると、オフィス棟から今日出社されている10数名の社員様が一斉に出てこられました。私は最後の勤務ですので、外に出てお見送りをしようと待ち構えていたのですが、
「山盛隊長。」
平尾所長を先頭に、谷本副所長や新垣さん、そしてほかの社員様が私を囲んでくださいます。
「本日で転属される山盛隊長に、私たちから感謝の気持ちを込めて、表彰を行いたいと思います。」
「えっ!?」
驚いていると、平尾所長が谷本さんから賞状を受け取って、私に向かいました。思わず背筋が伸びてしまいます。
「感謝状、東都ガス八王子管理センター警備隊長、山盛亮殿。貴殿は、当センターの防災と警備の要として、我々、東都ガス関係者だけではなく、地域の方々へも細やかな気配りを行い、当センターと近隣への安全と安心を提供してくださいました。また、有事の際には常に先頭に立ち、人命を第一とした信念をもってその職務を全うし、当センターの警備と防災の品質向上に絶大な貢献をしてくださいました。よって、日ごろの業務に対する感謝の意を込め、当センター全員より感謝状を贈ります。令和6年3月29日、東都ガス株式会社八王子管理センター所長、平尾紘一。」
拍手とともに、平尾所長から感謝状を手渡されました。
「1年間、ありがとうござ谷本いました。」
「い、いえ。こちらこそありがとうございました。」
感謝状を受け取り、平尾所長と握手を交わします。
「山盛隊長。こちら、みんなからの餞別の記念品です。これからもますます頑張ってください。」
「ありがとうございます。」
谷本副所長から記念品を受け取り、こちらも握手を交わしました。
「山盛さん。一緒に仕事ができて楽しかったです。新天地でも頑張ってくださいね。」
「小森様には、工事関係など本当にお世話になりました。ありがとうございます。」
小森さんから花束を受け取り、そして、もう涙で顔をくしゃくしゃにした新垣さんが前に立ちます。
「この一年。社会に出た私のことをたくさん助け、そして励ましてくださいました。亮さんが移動されるのはさみしいですが、これからもお身体に気を付けて頑張ってください。これ、みんなからの寄せ書きです。」
何とか笑顔を見せて、新垣さんが言って、皆さんがメッセージを書いてくれた寄せ書きをくれました。
「もう、立派な社会人になられましたね。長い人生、長い社会人生活です。結衣美さんも身体に気を付けて頑張ってくださいね。」
「はい!」
私は皆さんに頭を下げると、
「皆様。1年間という短い期間だったかもしれませんが、ここで勤務させていただき、たくさんのことを学ばせていただきました。警備防災の仕事は、何も起きないこと、それが最大の成果であり、私たちの勝利です。皆様のご理解とご協力のおかげで、大きな事件や事故、災害がなく今日を迎えることができました。今後は後任の川室隊長が引き継ぎ、私も地域の統括としてまた来させていただきます。皆様には感謝しかありません。これからも東都ガス様の発展と、皆様のご活躍、ご健康をお祈りしております。今日まで本当にお世話になりました。ありがとうございました。」
最後のあいさつを終えると、皆様から温かい拍手をいただけました。こんなに誰かに感謝され、見送られることは初めてです。この仕事をしていて、今日ほどよかったと思ったことはありません。私のこの1年は、本当にたくさんの経験をした大切な時間になりました。
皆さんを見送った後、最終巡回を川室君に任せて、私は警備室で先に着替えさせてもらいました。二人で最後に警備室を出て、いつものように機械警備を入れて業務を完了します。今日も何事もなく終えることができました。出番がなかったことに、感謝します。
警備日誌 03月29日 金曜日 晴
川室新隊長に業務を引継ぐ。
平尾所長初め、管理センターの皆様から感謝状を受ける。
山盛、何事もなく最後の出勤日を終える。
本日も警備業務に異常なし。