7月17日 月曜日 悪夢
その日は風の強い日でした。台風が通過した直後で、まだ風速は25メートルありました。朝から作業は中断して様子を見ていましたが、作業が遅れるということでクライアント様から再開の連絡が入りました。伊豆克己隊長は、
「亮さん。作業再開らしいからトラックヤードに行ってきて。」
「本当ですか? まだ風速20メートル以上ありますよ。」
「クライアントの指示だからしょうがないでしょう。いいから行ってきてください。」
作業再開は危険だと進言しましたが、伊豆隊長は聞く耳を持ちませんでした。
「わかりました。」
私は受付用の書類を準備すると、強風の中トラックヤードと呼ばれる車両待機場所に移動しました。ここは10トントラックが15台停車できるようになっています。ここで車両を受付し、倉庫内と連絡を取って、どの停車場に行くか車両をさばいていきます。制帽が飛ばされないようにトラックヤードに配置に付くと、吹き付ける強風に足が浮きそうになりました。これは危険です。
「トラックヤードより警備室どうぞ。」
『入警備室です。』
「風が強くて立っているのもやっとの状態です。本当に作業再開でいいんですか?」
私は改めて危険であることを伊豆隊長に伝えましたが、
『そんなこと言ったって、向こうが作業再開と判断したんだから、つべこべ言わずにやってください。』
「ですが、風に煽られると危険です。」
『そこを何とかするのが配置の仕事でしょう。いいからやってください。』
ブツっ。と聞こえて、無線が切れました。私はため息を吐きながら入場してきたトラックの受付を始めました。倉庫内のクライアント担当者に電話連絡し、予定していた車両が来たことを告げましたが、風が強いので走行は危険だということを、クライアント様に直接お話ししました。
結論としては、この倉庫に来る車両は10トンクラスの大型車両だから大丈夫だとのことで、3番停車場に通すように指示され、電話は切られました。仕方なく運転手さんに気を付けて走行していただきようにお願いし、車両を出発させました。倉庫内へのスロープに続くカーブを曲がる際、10トントラックの車両が、少しだけ風に流され、荷台部分が小さく揺れていました。
「何事もなければいいんですが。。。」
心配しながらも、次々入ってくる車両を停車場に案内し、受付をしていると、同僚の杉村大輔君が、強風の中トラックヤードに駆け寄ってきました。杉村君は入社して1年ほどの若い方です。
「亮さん。隊長がすぐ警備室に戻ってくださいと言ってます。なので、交代します。」
「隊長が?」
「はい。なんか、クライアントさんから連絡があって、怒ってるみたいでした。」
さっきのことかと推察しつつ、
「わかりました。すごい風だから、転倒しないように気を付けてください。」
そう言って、受付簿を渡し業務を引き継ぐと、私はすぐに警備室に戻りました。警備室に戻るや否や、
「なに勝手なことしてんだよ!!」
と、入るなり伊豆隊長の怒号が耳に入りました。どうやら、現場からクライアント担当者に直接お伺いを立てたことにお怒りのようです。
「ですが、先ほど案内した10トン車両も、カーブで煽られて荷台が揺れていました。」
「知るか! けっきょく何もなかったじゃないか。勝手な憶測で不用意に不安を煽るな!!」
一方的です。われわれ警備員は、事故や事件を未然に防ぐために契約されています。クライアント様の意向は最大限尊重しなければいけませんが、危険があるのなら、きちんとそれを伝えて対策を練るべきなんです。しかし、伊豆隊長はいわゆるイケイケタイプの人ですので、自分の言うことが絶対の性格です。現場で勝手に確認を取った私の行動が許せないのでしょう。
「いいか山盛。警備隊組織は隊長命令が絶対だ。現場隊長の指示を配置警備員が守らなかったら指揮系統が滅茶苦茶になる。何年この仕事やってんだよ役立たず!」
この言葉には私もカチンと来ました。
「お言葉ですが、事件事故を未然に防ぐために、われわれ警備会社の人間はクライアントに危険を指摘し、対策や対応をするのが仕事じゃないんですか?」
「なんだと!」
まさに伊豆隊長が私に掴みかかろうとしたその時、外で大きな爆発音とともに、外に面している警備室の窓にひびが入りました。室内は思わずテーブルにつかまるほど強く揺れ、しかし、一瞬の後には、何事もなかったかのように風の音が戻ってきました。
「なにごとだぁ?」
伊豆隊長が声を上げますが、誰も答えることができません。まさかとは思ったのですが、私は無線のスイッチを押しました。
「こちら警備室です。トラックヤードどうぞ。」
いつもなら、配置についている杉村君から返信があるはずです。
「山盛、勝手に・・・。」
「うるさい! 黙れ!!」
思わず怒鳴った私の言葉に、伊豆隊長は言葉を飲み込みたじろいでいました。
「警備室より、トラックヤード。杉村君どうぞ。」
しかし、やはり返信はありません。私は目の前にいた伊豆隊長を押しのけると、強風の中外に飛び出し、トラックヤードに走りました。
すぐに目に入ったのは、先ほどのカーブで横転し、炎上をしている大型トラックの姿でした。私は移動しながら、
「緊急! 緊急! トラックヤードカーブにて、大型トラックが横転、炎上中です。至急応援願います。」
横転したトラックの運転席には、まだドライバーさんが残されてもがいていました。私は駆け寄りながら警棒を取り出し、ヒビの入ったフロントガラスに駆け寄りながら思い切り振り抜きました。砕ける音と共にフロントガラスは粉々になり、運転手に直接触れることができるようになりました。
「大丈夫ですか?」
「身体が、痛ぇ。」
「危険ですから、まずは外に出てください。」
引きずるように運転手さんを外に出し、倉庫の非常階段脇に連れて行きました。ここならトラックからは陰になるので少しは安全なはずです。運転手さんは頭から血を流していましたが、見させてもらうと少し切っているような傷が見受けられました。全身を注意してみると、それ以外には目立った外傷はありませんでした。
ポケットからハンカチを取り出し、運転手さんの額に押し当てました。
「止血するので、このままここを押さえてください。他に痛いところはありますか?」
「いろいろ痛いけど、大丈夫そうです。」
「わかりました。危険ですので、ここにいてください。」
私は立ち上がると、
「山盛より警備室。運転手を救出完了。額に切り傷あり、救急の手配を要請します。」
無線で一方的に言うと、トラックヤードを見渡しました。何事かと他の運転手さんが自分のトラックから降りてきていて、トラックヤードの一角に集まっていました。
その人だかりの中、横になっている足を見付けたので、私は全力で駆け寄りました。
「杉村君!」
倒れた杉村君の傍には、トラックのサイドミラーが転がっていました。爆発で吹っ飛ばされたミラーが、不幸にも杉村君の頭に直撃したようです。虚ろに目を開いたまま、頭から血を流してピクリとも動きませんでした。
「緊急! 緊急! 杉村君が意識不明! AED手配願う!」
無線でそう言うと、私は杉村君の心肺蘇生を試みました。無線からは状況をもう一度と言う伊豆隊長の声が聞こえていましたが、私は構わずに心肺蘇生を続けました。
「杉村君。しっかり!」
しかし、杉村君がこちらを見てくれることは二度となかったのです。
大きく息を吐きながら、私は飛び起きました。
「はぁ、はぁ。」
全身汗びっしょり。暗がりを見渡すと、実家の私の自室でした。
「まだ、夢を見るんだな。」
息を整えながら、私はエアコンのリモコンを手繰り寄せると、強めに設定してスイッチを押しました。しばらくして、スゥっと涼しい空気が頬に触れ、その頃には少しだけ落ち着いていました。
ちょうど一年前の夏の終わり、その頃、私がいた倉庫会社の施設警備隊で起きた事件でした。あの後、自分がどういう行動をとっていたのかは記憶が定かではありません。応援で駆け付けたほかの同僚達が消火器や消火栓を使ってトラックを消火したり、そのあとに消防車や救急車が来たのをおぼろげに記憶しているだけです。
原因は、瞬間風速30メートルの風がトラックを押し倒したことと、トラックが整備不良でガソリンタンクのパイプが折れ、それに引火したということでした。爆発の際にトラックのサイドミラーが吹き飛び、それが不幸にも、トラックヤードにいた杉村君の頭を直撃したのでした。あとで消防から聞いた話では、直撃したミラーは、秒速数十メートルの速さで飛んだということでした。
けっきょく、杉村君は脳挫傷でそのまま帰らぬ人となり、倉庫会社は安全管理を怠ったとして倉庫業を廃業。伊豆隊長は責任を問われるとさっさと退職していきました。私は杉村君が亡くなったことのショックでしばらく現場に立てず、半年ほど休業しましたが、中町隊長の勧めで八王子管理センターの警備を任されることになったのです。以前、小江戸温泉に言った時に氏神君の言っていた『いろいろ大変だった。』と言うのはこのことなんです。
しばらく夢には見なかったのですが、実家に来て気が緩んだのか、久々にあの時の夢を見てしまいました。壁の時計はまだ午前3時。すっかり涼しくなった部屋の中で、私はもう一度大きく息を吐きました。
あの時、杉村君と交代していなければ。そもそも、私が勝手な判断でクライアントに余計なことを言わなければ。伊豆隊長にもっとうまく危険を説明できていたら。タラレバを言っても仕方ないのですが、私の人生で一番の後悔の出来事です。ご葬儀で気丈に来訪対応する杉村君のご両親様。ご子息を失った苦しみや悲しみはいかほどのものであったことでしょう。
中町隊長は真面目な方で、中町さんの現場では、
『絶対に、この現場から犠牲者を出すな。我々がお預かりし、守るのは、究極にはそこに関係するすべての人の人命だ。』
そう教育されているそうです。一般的に見れば、たかだか警備会社の人間が何を大仰なと思われるでしょう。しかし、人の命は失われるんです。それも、いとも簡単に。
そんな夢を見てしまって、心がもやもやしていたので、こんな時間でしたが中町さんにMINEを送りました。
『また、あの時の夢を見てしまいました。』
こんな時間にメッセージを送られても迷惑だとわかっていましたが、何かしないと、この心の動揺は収まらないような気がしました。
次に目が覚めたのは午前7時過ぎでした。MINEの受信音で目が覚めました。携帯を見ると、
『OK。亮さん、13時に八王子駅に集合しようぜ。』
と、中町さんがよく使う警備員キャラのスタンプと一緒にメッセージが来ていました。私は友人に会うと言って、また来ると実家を後にし、そのまま八王子駅に向かいました。JR八王子駅の改札で待っていると、
「亮~さん!」
と、笑顔で中町さんと荒井くんが歩み寄ってきてくれました。
「スペシャルゲストをご用意しました。」
「亮さん、お久し振りです。防災訓練の時はお疲れさまでした。」
二人の笑顔を見ると、なんだかほっとして涙が出てきそうです。
「よし! じゃあ、さっそく行きますか。」
「へ? どこに??」
「気分転換には声を出すのが一番だよ。」
そう言うと、中町さんは八王子駅前のカラオケ店に連れて行ってくれました。そして、飲んで歌って、夕方に買ええるころには、だいぶ心は正常に戻るのでした。