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ひよこは王子の夢を見る  作者: 長月 灯
仕方がないから、婚約するね
1/4

1、君が大好き!

「アリー、来たよ!」

 専任の従僕が開ける扉を、自ら開け放つ。

 いつもより強い力を掛けられて、悲鳴のような軋んだ音が辺りに響いた。

 不作法な訪問者を、重厚な扉に相応しい、豪華な内装と多くの使用人達がお出迎え。


「セオドア殿下……本日も、些か、約束の時間には早いようで……」

 真っ先に駆けつけていた初老の執事は、汗を流しながら懐中時計を手にしている。

 困った表情も、もう見慣れたものだった。

「アリーに早く会いたいからね」

 この返事も、セオドアにとってはいつもの事。


 正面の階段を駆け上がり、右手に曲がり、一番奥の扉を目指す。

「セオドア殿下……どうか、応接室でお待ちを」

「まだ、お嬢様の支度が」

「大丈夫だって」

 多くの使用人達がセオドアを引き留めても、彼が従うことは無い。

 王国内で高い発言力を有するブレイズ公爵家の屋敷、働く者達もそれなりの身分ではあるが――

 屋敷のお嬢様の婚約者であり、この国の王族に名を連ねる彼を止められる者は、ここにいなかった。


「アリー」

 扉を二回叩き、返事を聞きもせず、彼は婚約者の私室に入る。

 奥には化粧台の前に座る婚約者。

 彼女は三人の侍女に囲まれていた。

「殿下……」

 此方の姿を確認すると、婚約者――アレクサンドラ・ブレイズは腰を浮かせる。

「まだ、茶会の時間では……」

「待ちきれなくて来ちゃった」

 咎めるような視線を感じつつも、彼は悪びれず答える。

「今日は二人だけの時間が少ないからね。今だけでもアリーを独り占めしないと」

「もう……」

 目を伏せる姿も、セオドアには愛おしい。


 ドレスには着替えているものの、髪は中途半端に結ばれて、化粧もしていない。

 支度が出来るまで、客間でお茶を――と、侍女達は退出を促すが。

「いいよ、そのままで」

 セオドアに退出する気は無いらしく、近くの椅子に腰掛けて動かない。

 溜め息を漏らしながらも、侍女達は主の支度を急ぐ事にした。


(あぁ、今日もアリーは可愛いなぁ。こんなアリーを見られるのも、俺だけの特権だよね)

 茶色くてふわふわの栗毛色の髪に、大きな青い瞳。

 頬や唇は綺麗な桜色で、化粧なんていらないのにとセオドアはいつも思う。



 支度を整えられたアレクサンドラは、セオドアに向き直る。

「……殿下、お待たせ致しました」

 厳かに、礼を執る婚約者。

 腰を大きなリボンで結んだ、緑色のドレスがふわりと揺れた。

「アリー……今日も可愛い!」

 セオドアは、思わず婚約者の頭に手を伸ばした。

「で、殿下! 戯れはよしてください」

 頭を撫でる行為は、セオドアの癖である。

 アレクサンドラはセオドアと同じ十六歳だが、同年代の令嬢達よりも小柄で幼く見える。

 それでも、気高く振る舞う彼女がいじらしくてたまらなかった。


 二人が婚約するきっかけとなったのは、今年のデビュタント。

 公爵と共に王族へ拝謁をしたアレクサンドラを見て、セオドアが一目惚れをしたのだ。

「俺、あの子が好き!」

 そう叫んだセオドアの姿を、夜会の参加者達は呆れながら見つめていた。


 国王夫妻が年を経てから生まれたセオドアは、周囲から大層溺愛されていた。

 そのため、教育が足りないのでは……と貴族からは懸念されていたが、デビュタントの振る舞いで証明した形となった。


 公爵家の長女として生まれたアレクサンドラは、将来、女官として王家に仕える予定であった。

 本人の希望で、婚約者を設けていなかったが、王家の強い希望により、この婚約は結ばれた。

 愛する人と結婚するためなら、セオドアも努力して成長するだろう……と期待されている。


 恙なく婚儀を迎える事が出来たなら、新たに公爵家を興す予定であり、二人は勉学に励んでいる。

 婚約を結んで三か月、セオドアはアレクサンドラに対して、惜しみなく愛を注いだ。

 毎日の手紙と贈り物をかかさず届け、返事を待ちきれなくなっては公爵家を訪ね、彼女が外出する際は必ず付き添った。



「さあ、早く行こう」

「殿下、急いでも茶会の時間は変わりませんので」

 婚約者の手を引き、セオドアは王家の馬車へ乗り込む。

 今日は、初めて、婚約者として二人で王宮へ向かう予定であった。

 国王夫妻が身内で開く茶会で、あくまで私的な場ではあるが。


「姉上に会うのは初めてだったよね?」

「はい……第三王女殿下は、諸外国へと行かれていましたから」

 その声色に含まれる、僅かな憧れに気付いたセオドアは怒る。

「だ、駄目だよ! アリーを外国へ行かせないからね」

 その言葉にアレクサンドラは薄く微笑む。

「殿下の仰せのままに」

「だから、セオって呼んでほしいのに……」

 公務への関心が強い事と、婚約者にある程度の礼節を持って接している事――セオドアの、アレクサンドラへの不満はこれぐらいか。

 婚約を結んですぐ、アリーという愛称で呼ぶ許可は得たが、アレクサンドラは頑なに殿下と言う呼び方を改めない。

「私達は、まだ、婚約者なので……」

「そうか、まだ、婚約者だからね……」

 早く結婚できればいいのに――セオドアは、日頃から周囲に零していた。

(早く、二人で住めたらなぁ……毎日「セオ」って呼んでくれるし……公爵家の仕事なんて、俺が一人でするから、アリーは家にいてくれたらいいよね。可愛いアリーに労働なんてさせられないし、出来れば、俺だけを見てほしいし……)

 可愛い婚約者を見つめながら、彼は思いを巡らせていた。



 王城の敷地内を進み、ある一角で馬車は到着した。

 国王夫妻が居を構える、贅を凝らした宮へと足を進める。

 従者の案内で応接室に着くと、本日の主催が待ち構えていた。

「セオドア、アレクサンドラさん、よく来てくれたわね」

 国王夫妻を前に、二人は礼を執る。

「両陛下に於かれましては、ご機嫌麗しく……」

「まあまあ、堅苦しい挨拶は大丈夫よ。今日は、身内だけの集まりだから」

 壮年に差し掛かる夫妻は、髪に白い物が目立つが、まだ若々しい活気にあふれていた。

 末子のセオドアを大層可愛がっており、皺の刻まれた目尻を下げて、息子達を見つめている。

「さあ、座ってちょうだい。他の子達もじきに来るわ」

 大きな円形のテーブルに、国王夫妻と向き合う形で座る――アレクサンドラと距離が空く事が、セオドアには不満だった。

(二人のお茶会なら、ソファに座って、もっと近くでアリーとお話しできるのに……)

『礼儀が』『節度が』と周囲に窘められても、真っ赤になるアレクサンドラが可愛くて気にならない。



 それほど時間を空けずに、招待客が次々と着席する。

 王太子夫妻に、降嫁していない第三王女。

「皆、今日は集まってくれて感謝する」

 軽く挨拶を済ませると、茶会は開かれた。


「アレクサンドラさんは、此方は初めてよね? 庭園は見たかしら?」

「はい。中央に集められたダリアが……」

 饒舌な王妃が中心となり、話題に花が咲く。

 アレクサンドラは、王太子夫妻の公務や、王女から聞く外国の話が面白いらしく、目を輝かせて話に聞き入っている。

 それが、セオドアにはひどくつまらなかった。

(俺といる時と、全然違う……)

 自分といる時は、恥ずかし気に微笑むか頬を染めているだけなので、このように生き生きした表情は珍しかった。


「……やはりバートレット伯爵領は素晴らしい。図書館のおかげか、識字率も高い。今度視察に行くのだけれど、君達も一緒にどうだい?」

「まあ……光栄ですわ」

 アレクサンドラが息を漏らし、弾んだ声を上げる。

(兄上の誘いは嬉しいんだ……俺が何を誘っても、「仰せのままに」「勿体のうございます」しか言わないくせに……)

 セオドアは、我慢の限界だった。

「なんで?」

 音を立てて、カップを戻す。

 全員が会話を止めて、セオドアに注目した。

「なんで、アリーは、兄上の誘いに喜ぶの? アリーも兄上みたいな男が好きなの?」

 王太子はセオドアよりも十歳以上離れているが、王妃によく似た端麗な顔つきで、結婚してもなお、国中の女性に人気であった。

 セオドアは、若き日の王に似ていると評され、些か無骨な顔つき。

『格好いい』『美しい』という概念とは無縁だった。

「口を慎みなさい、セオドア」

「姉上は黙っていて」

 第三王女が咎めるが、セオドアは譲らない。

「ねえ、教えて、アリー。僕より兄上の方が好きなの?」

 表情を消したアレクサンドラは、向き直る。

「殿下……お許しください。私が軽率でした。私の婚約者はセオドア殿下です」

「じゃあ、兄上に馴れ馴れしくしちゃ駄目だよ」

「仰せのままに」

(また、仰せのままに、だ)

 機嫌の直らぬセオドアは、立ち上がり、アレクサンドラを抱き寄せる。

「で、殿下っ」

「まぁ……」

 息を呑んだのは、王太子妃か。

 隣に座っても拳一つ分は距離を開ける彼女と、こんなに密接した事は初めてだった。

「セオドア、よさないか」

 窘める声も気にせず、彼はアレクサンドラを膝に乗せる。

 厚手のドレス越しではあるが、彼女の温もりが心地よい。

 周囲の目を見張る様子に、些か高揚感を覚えた。


「王族としての、振る舞いを、どうか……」

 アレクサンドラが声を震わせるが――

「ん、何か言った?」

 頬を染め、身をよじる婚約者は堪らなく可愛い。

 彼女は、しきりに下ろすよう懇願するが――固く抱きしめ、離さないようにする。

(アリーは可愛いから、兄上もその気になっちゃうかもしれない。やっぱり、俺のアリーだっていう事を分からせないと、これから先、何歳になっても、俺はアリーをこうして甘やかして……)

「セオドア……貴女、いつもそのような事を?」

 国王夫妻が目を見張るが、セオドアは顧みない。

「俺とアリーは仲良しだもんね?」

 両親は公爵家や公爵令嬢への礼儀を気にしているのだろうが、彼には些末な事であった。 


「さ、アリー。何がいい? 俺が食べさせてあげる」

 自らの前に並べられていた皿を取り、色鮮やかな菓子を見せる。

 アレクサンドラは食が細いらしく、二人だけでの茶会でも、食べる姿をあまり見ない。

「殿下、どうか……」

「セオって呼んでくれなきゃ許さない」

 頬をつつき、彼女の困る表情を眺めていると――


「アリー?」

 ふと、彼女の力が抜ける。

 抵抗するような素振りは無くなり、人形を抱いているような感覚。

 そして、セオドアの大好きな、青くて丸い瞳からは、一筋の涙が零れていた。

「……誰か助けて……」

 小さな声の筈なのに、セオドアの中で嫌に大きく響いた。

「アレクサンドラっ」

 その言葉に、すぐに動いたのは王太子妃であった。

 意外な程の強い力でアレクサンドラを引き剥がす。

 王太子妃の姿を確認したアレクサンドラは、彼女の胸に縋りついた。

「どうしたの、アリー? ちょっと恥ずかしかった?」

 疑問の声を上げるセオドアに、答える声はない。


「医師を呼びなさい」

「誰か、公爵家の侍女を……」

 その場にいた者達が、アレクサンドラの介抱と各所への連絡に動いていた。

「王太子宮へ連れて行こう」

(アリーに触らないで!)

 アレクサンドラの介抱を手伝う王太子を見て、頭に血が上る。

「セオドア、貴方は此方へ」

「どいて」

 王女の静止を振り切り、婚約者を取り戻そうとするが――

「うあぁぁぁ――」

 幼子のような泣き声に、身を竦める。

 声の主は、目の前の婚約者。

 彼女が声を上げて泣く姿が、セオドアには受け入れられなかった。

(アリーが泣くなんて……どうして……)

「ごめんなさい……よく頑張ったわね。もう大丈夫よ」

 王太子妃に慰められながら、アレクサンドラは部屋の外へ連れて行かれる。

 遠ざかる婚約者を、セオドアは呆然と見送っていた。

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