ディナーシェフの挑戦5
「ううむ。まさか、あのメイドがまた勝負に乗ってくるとはな。それに、あの表情。さてはまた、なにかいかがわしい案があるに決まっておるわ」
王宮の厨房に、ローマンの不満そうな声が響きました。
厨房の中を、腕を組んでうろうろしながら、苛立った様子で独り言を言うローマン。
今度こそ負けるわけにはいきませんが、生意気なメイドの態度がどうしても気になって仕方ありません。
「それに、妙なのがお兄ちゃんだ。勝負をするというのに、どことなく腑抜けた様子。一体何を考えておるのやら」
そう、兄であるマルセルは勝負が決まってからもどこか集中を欠き、勝負用のディナーの開発にも消極的。
それが余裕なのか、やる気が無いだけなのかいまいち判断がつきません。
「どうにか、お兄ちゃんのやる気に火をつけないとやばいかもしれんな。だが、どうやって……そうだ! あれを手に入れるといいぞ!」
そこで、良いことを思いついたとばかりにほくそ笑むローマン。
そして厨房を飛び出していった彼を見て、他のシェフたちは「あの人、腕は良いのにどうしてこう小物っぽいんだろうなあ……」と心の中でつぶやいたのでした。
そして、それから少し後。
手に何かを持ったローマンが厨房に駆け込み、大声を上げました。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん! やったぞ、手に入れてきたぜ! ほら、こいつを見てくれ!」
それに、仕込みをしていたマルセルが苛立った様子で答えます。
「ええい、なんだやかましいやつめ。また何を手に入れてきたというのだ」
「これだよ、ほら、あのメイドが得意なソースだ! こっそり手に入れてやったわい!」
大喜びなローマンの手の中には、ソースのついた布が握られていました。
そう、それはシャーリィたちが、貴族たちにハンバーガーを出す時に包んだ布。
ハンバーガーは綺麗になくなっていましたが、そこにはシャーリィ特製のハンバーガーソースが付着していたのでした。
「おまえ……まさか、盗んできたのか?」
「なんだいお兄ちゃん、盗むなんて人聞きの悪い! ちょいと借りてきただけだ、どうせ使い終わった布なんて誰も気にせんわい! さあ、味を盗もう、お兄ちゃん!」
そう言ってイヒヒと笑うローマンを、マルセルは呆れた表情で見ましたが、ソースには興味があったので指ですくって一舐め。
そして、ハッと驚いた顔をしたのでした。
「なるほど……これはすごい。なんという複雑な味わい……これを、あんな若さで作ったというのか。信じられん!」
「だろう、お兄ちゃん。あいつはヤバい奴だ、余裕をカマしてる場合じゃないぜ。……それで? どうだい、何でできてるかわかるかい」
期待のこもった声でローマンが尋ねると、マルセルはしばし考えた後、こう答えたのでした。
「……卵を調理したものをベースに、タマネギ、にんにく、きゅうりのピクルス、マスタードに白ワインビネガー。それらを合わせてあるのだろう、おそらくは」
それは、シャーリィが作ったソースの材料の、そのほとんどです。
マルセルは、僅かな量を口にしただけで、見事にその材料を当ててみせたのでした。
それを聞いて、ローマンがヒュウッと口笛を鳴らします。
「さっすが、お兄ちゃん! 神の舌を持つと言われるシェフ! どうだい、真似できそうかい!」
そう、マルセルはその鋭い味覚で、どんなものも食べただけで材料を当ててしまうプロなのでした。
マルセルは、顎に手を当てて考える素振りをしながら答えます。
「今すぐ真似をするのは難しい。わしが学び作ってきたソースと、あまりにかけ離れているからな。それに、これはハンバーガーとやらに合わせて作ってあるのだから、ただ真似しても意味はあるまい。だが、これは勉強になる。なるほど、ただ味を変えるためだけではなく、より高みに導くためのソースか……それに合わせて料理を作ってみるというのも……」
ブツブツ言いながら、調理器具に向かうマルセル。
そのままソースの試作品を作り始める彼を見て、ローマンはニヤリとほくそ笑みました。
「始まった始まった、お兄ちゃんの独り言が。こうなると、すぐに凄いものを作り上げるんだよなっ」
まずは計算通り、マルセルに火をつけたローマン。
しかし、それだけでは安心できません。
「どうにか、あの小娘たちの邪魔もしてやりたいが……そうだ! ディナーといえば、肉料理! あやつらも、きっと肉で勝負してくるぞ。ならば!」
そして、またイヒヒッと笑うローマン。
ですが、そんな行動の数々が、完全に空回りであることを彼はまだ知らないでいたのでした。
◆ ◆ ◆
「ええっ! 今日の分の、お肉がない!? なんでよっ!?」
メイドキッチンに、アンの悲鳴が上がりました。
その目の前にいるのは、王宮にいつもお肉を卸している業者さん。
やや腰が曲がった老齢のその方は、ペコペコと頭を下げながら困った様子で言いました。
「へ、へえ、ちょっと、いろいろとありまして、どうにも、はい……。申し訳ありません」
「いろいろって、なによ!? 今まで、お肉が回ってこなかったことなんてなかったじゃない! なんで、勝負がある大事な日に限って……!」
そう、今日はおぼっちゃまにディナーをお出しする大事な日。
ですが、いつも必ず最上級のお肉が入ってくるというのに、今日だけはそれがないというのでした。
「申し訳ありません、申し訳ありません! どうか、このとおり……!」
手違いを必死に謝る業者さん。
ですが、そこでアンがハッと閃いた顔をしました。
「まさか……。そうか、ローマンのやつね。あんた、私たちにお肉を卸さないよう、ローマンに脅されてるんでしょう!」
「うっ……」
苦しそうなうめき声を上げる業者さん。どうやら図星のようです。
王宮の仕入れを選別するのは、基本的にシェフの役割。
そこに嫌われたら、今後に影響するかもと考えるのは無理からぬ話でしょう。
「すっ、すみません、すみませんっ……私は、これでっ!」
「あっ、ちょっと! 待ちなさい!」
アンの制止を振り切り、逃げるように行ってしまう業者さん。
その背中を見送ると、アンが絶望の表情を浮かべて言いました。
「どっ、どうしようシャーリィ……! 今日のディナーでお出しするのは、肉料理なのよ! 新鮮なお肉がないと始まらないじゃない! いっ、今からでも私かあなたの実家に掛け合って、少しでも良いお肉を探さなきゃっ!」
わたわたと動揺し始めるアン。
そのまま駆け出してしまいそうだったので、私はその両肩に手を置いて、こう言ったのでした。
「落ち着いて、アン! 大丈夫よ。今日、お肉が入ってこなくても問題ないわ。私は、今日のお肉をディナーに使う気なんて、最初からなかったんだもの」
「えっ、ほんとに……? で、でも、お肉って新鮮なほどいいものなんじゃ……。古いお肉で大丈夫なの?」
不思議そうに言うアン。
そう、この国での常識では、お肉は新鮮なほどよし。
解体して、その日のうちに食べるのが最上とされています。
ですが、私はにっこり笑ってこう言ったのでした。
「大丈夫、心配ないわ。だって……私のお肉には、魔法がかけてあるんだもの」




