シャーリィの忙しくも穏やかな一日8
「おおー……」
蒸し器の中でホカホカと湯気を上げている肉まんを見て、おぼっちゃまが歓声を上げました。
白くて中身の見えないその姿からは、どういう料理か想像できないことでしょうが、匂いで美味しいものだとは伝わっているようでございます。
「うむ、おいしそうだ、さっそく……」
と、いきなり手を伸ばすので、私は慌てて蒸し器を引っ込めました。
「お待ち下さい、おぼっちゃま! こちら、たいそうお熱くなっております。御手をやけどしてしまいますわ!」
「おっと、そうか。余としたことが、匂いにくらまされてしまった」
しまったという顔をするおぼっちゃま。
気持はよくわかります。
肉まんの匂いを嗅いじゃったら、すぐに手に取りたくなりますよね。
直接持たなくていいよう、私は肉まんを綺麗な布で包みますが、まだアツアツの肉まんは、噛んだらやけど間違いなし。
手渡す前に冷まさなきゃいけないけど、おぼっちゃまを待たせるわけには……。
そう思ったところで、私は妙案を思いつき、おぼっちゃまにこう言ったのでした。
「おぼっちゃま。よろしければ、お庭で、星を見ながら食べませんか? 今は、ちょうど星の綺麗な季節でございますし!」
◆ ◆ ◆
「おおっ……。凄いな、これは! そういえば、さすがに夜の庭に出たのは初めてだ!」
満天の星空を見上げながら、おぼっちゃまが感嘆の声を上げます。
秋の空は、空気が澄み、星が特に美しく見えるもの。
星々はその美しさを競い合うようにまたたき、真っ黒な空を綺麗に飾り立てていました。
「おぼっちゃま、どうぞこちらへ」
そう言って、私はメイドキッチンから持ってきた椅子を置きます。
わかった、と言って椅子に腰掛け、星を見上げるおぼっちゃま。
それを微笑ましく見つめながら、隣の椅子に腰掛け、私はもう食べれる程度に温度が下がった肉まんを差し出しました。
「はい、おぼっちゃま、こちらをどうぞ」
「うむ、ではいただくとしよう!」
待ってましたとばかりに肉まんにかじりつくおぼっちゃま。
そして、あむあむと美味しそうに頬張って、ニッコリと微笑みを浮かべたのでした。
「なんと、中身はお肉であったか! 良いな、これ! 実に良い! この白い生地が、もっちりとして実に良い。そしてそれが、中の独特な味付けのお肉と実にマッチしておる! うむ、良い!」
そんなことを言いながら、どんどん肉まんを食べ進めていくおぼっちゃま。
本当におぼっちゃまは美味しそうに食べるので、見ているだけでお腹が空いてきてしまいます。
普段のおやつタイムなら、私はそれを見ていることしかできません。
しかし、しかし! なんと、今、私の手には同じ肉まんが!
ならば、こちらもいざ!と、勢いよくかぶりつく私。
すると、アツアツ肉まんの中から、お肉やキノコがたっぷり入ったあんの旨味が一気に吹き出してきて、我が口内を暴れまわったのでした。
「ううううーーーーん! おいっしい!」
今日のあんは汁気多めに作ったのですが、それが大ハマリ!
とびきり良く出来たもっちり皮と合わさり、とてつもない美味しさとなっておりました。
もちろんそれは肉まんの出来だけじゃなく、頑張った一日の最後に食べるご褒美だからだったり、素敵なお庭で星を見上げて食べているからだったり。
そして、おぼっちゃまと一緒に食べているからだったりするのでしょうけども。
(なんだか、とっても特別だわ)
私は、どうしようもなく、そう思ってしまったのでした。
「おぼっちゃま、お茶でございます」
「うむ。……肉まん、実に美味しかった。余は感動したぞ。夜食というものも良いものだな、シャーリィ」
二人して肉まんをぺろりと平らげた後、温かいお茶をお出しする私。
そしてホッとした顔でそうおっしゃるおぼっちゃまの肩に、そっと自分の上着をおかけしたのでした。
そろそろ気温も下がってきておりますし、おぼっちゃまに風邪をひかせてしまうわけにはいきません。
なにしろ、この時代では、どんな病気であれ致命傷になりえますし。
まともな医療がない、ということは、そういうことなのでございます。
いえ、そうでなくともおぼっちゃまに病気などさせられませんが。
「……」
そして、沈黙し、並んでじっと星を見上げる私たち。
いつまでもこうしていたいところですが、どこかで話を切り出して、おぼっちゃまを部屋にお戻ししないと。
そんなことを考えていると、そこで私の手に何かが当たります。
なんだろう、と見てみると……それは、おぼっちゃまの手でございました。
おぼっちゃまが、そっと私の手を握っているのでございます。
「おぼっちゃま、どうなさいましたか?」
「……」
私はそう尋ねましたが、おぼっちゃまは答えてはくれず、じっと空を見上げています。
なんだか、その瞳が妙に哀しそうで……私は、たまらなくなって、そっとその手を握り返したのでした。
おぼっちゃまの手は、ほんのりと温かく。
そのまま、私たちはもう少しだけ、星空を見上げて過ごしたのです。
そして──この時の私は、おぼっちゃまが私の手を握った理由を、まだちゃんと理解できずにいたのでした。
◆ ◆ ◆
「なあ、頼むよお兄ちゃん! 可愛い弟を助けておくれよ!」
ある日の王宮の、厨房。
そこに、ランチシェフのローマンの声が響き渡ります。
彼は、自分の目の前で料理の下ごしらえをしている男性に、哀れっぽい様子で頼み事をしているところでした。
「あの日……忌々しいメイドに負けたあの日から、わしには立つ瀬がないんだよ! どこに行っても『あれがメイドに負けたシェフか』って笑われて、生きた心地がせんのだ! ランチの依頼も減って、わしの威厳は丸つぶれだ! たのむ、弟の仇を討っておくれよ!」
どうかどうかと、必死に拝み倒すローマン。
ですが、彼の前に立つ男性……でっぷりと太って、見事な髭を蓄えたコック服の彼は、ふんと鼻を鳴らして言ったのでした。
「馬鹿め、メイドたちを舐めたお前が悪いのだ。あれらも王宮の中でずっと生き延びてきている、立派な料理人。簡単に蹴散らせるわけがなかろうに。自分の愚かさのツケは、自分で払わんか」
そうつれなく言う彼の名前は、マルセル。
この王宮の総料理長にして、ディナーを取り仕切るディナーシェフでもありました。
そして、そんな彼は、なんとローマンの兄でもあるのです。
そう、彼らは天才料理人兄弟として名を馳せる、実の兄弟なのでした。
「そう言うなよぉ、兄ちゃん! これはコック全体の威信に関わる話だぜ! あのメイド、ランチも出すようになって、しかも滅茶苦茶珍しくて美味しいって大評判なんだ! このままじゃ、わしらの地位も怪しくなるぞ!」
「馬鹿な、今だけだろうそんなこと。貴族の皆様は、飽きっぽい。おやつはともかく、ランチはすぐにお前に戻ってくるわい」
手を止めずに言うマルセルのそれは、正確な読みでした。
ハンバーガーが物珍しいとはいえ、王宮に来たならやはり豪勢な宮廷料理を、と流れはやがて戻ってくるでしょう。
……もっとも、シャーリィはノーマルハンバーガー以外も出そうと画策していたので、それはだいぶ先になりそうですが。
そして、それにローマンはぶすっとした顔で言ったのでした。
「兄ちゃんは、あいつの料理を食べてないからそう思うんだ。あのソースは、考えれば考えるほど異常だ。この国の常識から逸脱しすぎている。本当に、まるで違う世界から飛んできたかのような発想……あの小娘、とてつもない天才か、完全なる異常者かのどちらかだぞ!」
そう、あの時食べたソースの味を、ローマンはいまだに忘れられずにいたのでした。
あの、いくつもの味が重なり合い、とてつもない味わいを発揮するソース。
悔しくて、悔しくて、ローマンは何度も何度も再現しようと努力しましたが、まるでたどり着けずにいたのです。
「それに、あの時のおぼっちゃまの、楽しそうな笑顔……! わしは、ずっと仕えているのにあんなお顔見たことがない! 悔しくて悔しくて、わしはもうどうにかなりそうだ!」
「……なに?」
ローマンがやけくそ気味にそう言った瞬間、ほぼ話を聞き流していたマルセルがピクリと反応しました。
そして、仕込みをする手を止め、ゆっくりと振り返ると、低い声で言います。
「おぼっちゃまが、お食事の時間に、楽しそうに笑っていた……だと? 本当か」
「へっ? あ、ああ、そうだよお兄ちゃん。本当に、子供っぽく楽しそうに笑ってらっしゃった。いつも大人びてらっしゃるのに、こんなお顔もするんだなって……」
戸惑いながらもローマンがそう説明すると、マルセルは深く考えこみ。
そして、やがて弟の顔を見ながらこう言ったのでした。
「なるほどな。興味が湧いた。……いいだろう、弟よ。お前と私で、やってみようじゃないか」




