おぼっちゃまの真実
明日も同じパンを出してくれ。
おぼっちゃまのその一言で、私は完全に固まってしまいました。
なにしろ、今日お出しした三食パンは渾身の作。
チョコはひと晩かけて作ったもので、持ち込んだ特製ジャムも使い切ってしまいました。
明日も出すとなると、今からまた一睡もせず作業に移ることになるでしょう。
ですが、私はなけなしの勇気を振り絞って、おぼっちゃまにお答えします。
「はい、もちろんでございます! ありがとうございます!」
すると、おぼっちゃまはふわりと笑って、こうおっしゃってくださったのでした。
「ありがとう、シャーリィ。楽しみにしてる」
……ああ。ああ。
その笑顔の、なんと愛らしいこと。
まさに、天使の笑顔。その瞬間、私の心は完全に射抜かれてしまったのです。
……この方に、喜んでもらえるのなら。
苦労なんて、どれほどのことでしょう。
それが忠誠心なのか、母性本能なのか、はたまたショタっ気なのかはわかりません。
それでもそれは、私が生まれて初めて、自分以外に喜んでもらえる料理を目指すには十分すぎるものでした。
そして、おぼっちゃまがお仕事に向かわれ、そのお姿が消えた瞬間。
お姉さま方がわっと集まってきて、私とアンを取り囲みました。
「ねえ、ちょっとなによあれ!? どういうおやつを出したの、あんたたち!」
「中身がどうとかって、どういうこと!? 何を詰めたの! おぼっちゃまのあんなに楽しそうな顔、初めて見たわよ!」
「あんた、なんでサクルを出さないのよ! 卑怯者、信じられない!」
もみくちゃにされながら、質問攻めにされる私達。
ちなみに、最後の発言はジャクリーンのものです。
ですが皆様のそんな様子も致し方ないことでしょう。
なにしろメイド長は、暗に明日からサクル以外のおやつを出せとおっしゃったのです。
なら、おぼっちゃまが何に喜んだのかを知らないことには始まらないですから。
さてどう答えようかと悩んでいると、そこでメイド長が中庭を出ていくところが見えました。
「あっ、ちょっとごめんなさい、通してください! アン、後は任せたわ!」
「えっ、ちょっ!? 任せるって、ちょっとあんたっ……!」
それを追って、慌てて駆け出しながら私は言います。
アンが捨てられた子犬のような声で叫んでいますが、構っている時間はありません。
廊下を小走りで進み、妙に足の早いメイド長にようやく追いつくと、その背中に私は声をかけました。
「メイド長! お聞きしたいことがあります!」
するとメイド長はゆっくりと振り返り、いつもの厳しい顔でこちらを見ました。
私は精一杯呼吸を整え、怒られないよう背筋を伸ばしながら尋ねます。
「最初から……最初から、このおつもりだったのですか? 私に変わったおやつを出させて、サクルだけの流れを変えようって」
そう。そういうことだったのだと思います。
メイド長は、サクルばかりを出してそれで競い合う空気を変えたかった。
そのために、私のような変わり種を引っ張ってきたのだと。
メイド長は、すぐには返事をなさいませんでした。
私の顔をじっと見つめ、たっぷりと十呼吸ほどの後に、メイド長はゆっくりと口を開きます。
「ここだけの話ですよ、シャーリィ。誰にも秘密にしなさい」
「……はい」
「おぼっちゃまは……サクルは、あまりお好きではありません」
……は?
私の頭の中を、無数の疑問符が埋め尽くします。
嘘でしょ? だって……だって、おぼっちゃまはあんなに毎日毎日サクルを大量に召し上がっていたじゃないですか!
「おぼっちゃまは、王妃様と一緒におやつを食べる時間を愛しておられました。ですが、味の好みまで一緒だったわけではありません。おぼっちゃまは、ケーキならもっとしっとりとした生地のほうがお好みです」
「……じゃあ……じゃあ、なんでそう言わなかったんですか!? 自分のおやつタイムなのに!」
「メイドの者たちの好意を、無下にしたくなかったからです」
「……あっ……」
それで、納得がいきました。
そう、メイドの皆様は、お母様が亡くなって悲しんでいるであろうおぼっちゃまのために、思い出の味を出し続けていました。
一緒に楽しそうに食べていた、お母様との思い出の味を。
おぼっちゃまは、その気持ちに気づいていて、ありがたく思っていた。
だから、何も言わず、サクルを毎日我慢して食べていたのでしょう。好きでもない、サクルを。……なんて、お優しい。
同時に、私の作った物を食べてくださらなかった気持ちもわかりました。
新しい班が来て、違う物が出てくるかと思ったらまたサクル。
しかも、味は他より劣る。食べたいわけがありません。
「もうサクルはいい。そうおっしゃることは、王妃様との思い出を否定することにも繋がります。おぼっちゃまの方からそう告げるのは、難しいことでした。メイドたちの頑張りを知っている私からもね」
「そう……だから、メイド長はメイドのほうから違うものを出すことを期待したのですね」
「ええ。ですがまさか、おまえまでサクルを出し始めるとは思いませんでした」
そう言って、メイド長は私の目をじっと見つめながら続けます。
「おまえならば、無神経に他の都合なんて無視して自分の好きなものを出すと踏んでいたのですが……見込み違いだったようです。そこは私の失策ですね」
……はー。ふーん。へー。
なるほど、この鬼婆は私のことをそう見ていたわけですか。
私なら、放っておいても図太くあつかましくサクル以外を出すだろうと。
なるほどね……覚えてろっ。
「しかし、先程のパンには驚きました。中に三種類もの柔らかく甘い物を詰めるというのは、他のメイドたちには出てこない発想でしょう。パンの表面に顔を描く、という発想もね。おまえは、やはり変わっている」
「変わっている、だと変人みたいですね」
「……変人でしょう、おまえは。でも、いいでしょう。それで良いのです、シャーリィ。おまえは変わったものを出しなさい。そして」
そのまま私に背を向けて、立ち去りながらメイド長は言いました。
「おぼっちゃまに、楽しいひと時を。あの方を、これからも笑顔にしてさしあげるのですよ」
「……はい!」
もちろんです、クレア様。いいえ、メイド長。
やってみせますよ、ええ。
お言葉通り……私は、おぼっちゃまに変な物を出し続けますとも!
そう覚悟を決めて、両手をぐっと握ります。
おぼっちゃまの笑顔のためならば、いくらでも。そう、今から二徹をすると決まっていても、やってみせますとも!
こうして私の、王宮でのメイド生活は本当の意味で始まったのでした。
そしてそれは、まさしく戦いの日々だったのでございます。
さらに、それから大して間も置かず、王宮を揺るがす大事件が私を待ち受けていたのですが……それは、次のお話で。
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