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甘い甘い三つのモコモコ

 ──そして、翌日。

おやつタイムの中庭。そこには、ズタボロの状態で立っている私とアンの姿がありました。


「……ちょっと、あなたたち。なんだかひどい状態だけど、大丈夫?」


 心配してくれたお姉さまの一人がそう声を掛けてくださるほどです。

ですが私は一睡もしていないハイテンションでニッコリと笑って答えました。


「大丈夫です! もうすごく元気で、今すぐ王宮の周りを百周ぐらい走れるぐらいですから! アハハハハ!」

「そ、そう……。ならいいんだけど……無理そうなら、我慢せず医務室に行きなさいね」


 優しいお姉さまはそう言ってくださいますが、そういうわけにはいきません。

何しろ今日は勝負の日。

私達の運命がかかっているのですから。


「……シャーリィ。私達、頑張ったわよね」

「ええ、もちろんよアン。きっと、大丈夫よ。きっと」


 目の下にクマをつけている二人でそう励ましあいます。

今日が駄目なら、もう後はないでしょう。

勇気を振り絞って、前に進むしかありません。


 そして、そんな私達の前でいつもの光景が繰り広げられます。

サクルを次々と並べるお姉さまたちと、どんどん食べていくおぼっちゃま。

そして、やがて私達の番になりました。


「シャーリィ、おまえの班の番です。お出ししなさい」

「はいっ!」


 メイド長の声がかかり、皿を持って進み出ます。

心臓がドキドキ震え、足元はおぼつきません。

それでもどうにかおぼっちゃまの前まで来て、私は意を決し、清水の舞台から飛び降りる覚悟でお皿を出したのでした。


「どうぞ、おぼっちゃま!」


 私がそれを差し出した瞬間、お姉さまたちがざわつきます。


「……なにあれ。サクルじゃない……?」


 そう。皿に一つだけ載っているそれは、サクルではありませんでした。

それは、ふんわりしっとりとした生地が3つ合わさったパン。

そして、その表面にはとあるキャラクターの顔が描かれています。


「ちょっと、どういうこと!? サクル以外を出すなんて、あいつどういうつもりよ……!」


 後ろでジャクリーンがそう言っているのが聞こえます。

ですが、気にしません。だって……おぼっちゃまの視線が、私が出したそれにまっすぐに注がれているのですから。


「これは……なんだ?」


 パンを手に取り、おぼっちゃまが不思議そうに尋ねます。

ですので、私は思いっきり元気よく、自分の作ったそれの名前を告げたのでした。


「三色パンでございます、おぼっちゃま!」

「三色……パン?」


 私の出したそれをじっと見つめながら、おぼっちゃまが呟きます。

おそらく見たのは初めてでございましょう。いえ、そもそもこの世界で三色パンを作ったのは、私が初めての可能性が高いです。


「この、表面のこれは?」


 パンの表面に黒いなにかで描かれた顔を見ながら、不思議そうにおっしゃられるおぼっちゃま。

その疑問に、私は簡潔に答えました。


「ミッ○ーにございます」


 ミッ○ー。皆さんご存知、世界的に有名なアレです。

3食パンの一番大きな部分を顔、残りの2つを耳になぞらえてみました。

頼むぞ、僕らの世界のヒーロー。おめえの出番だ。


「ミッ○ー……って、なに?」

「ミッ○ーはミッ○ーにございます」

「ミッ○ー……」

「はい、ミッ○ー」


 世界の神秘に触れるようにその名前を唱えるおぼっちゃまに、合いの手気味にミッ○ーを差し込みます。

さすが世界を牛耳るデザイン。異世界でも、その吸引力は抜群のようでございます。


 やがてひとしきりミッ○ーを楽しんだ後、おぼっちゃまがおっしゃいました。


「これは、どう食べるものなのだ?」

「はい、おぼっちゃま、お好きなところから齧ってお召し上がりください。ただ、このパンには秘密がありまして」


 そして、私はニヤリと微笑んで、おぼっちゃまに囁きました。


「三つそれぞれで、味が違うのです。どうぞ、その違いをお楽しみください」


 するとおぼっちゃまはもう一度三食パンをしげしげと見つめ、やがておもむろに一番大きい部分にかぶりつきました。

そしてしっかりと噛み締めた後、目を丸くしてパンの中身を見つめながらこうおっしゃってくださったのです。


「甘い! なんだこれは……味わったことのない味だが、すごく甘くて美味しいぞ!」


 よしっ! よしよしよしっ!

思わず心のなかで喝采をあげてしまいます!

美味しいって……美味しいって、言ってくれたっ!

おぼっちゃまが……美味しいって!


 そして、甘いのも当然でございます!

なにしろ、おぼっちゃまが齧った部分──その中身は、チョコクリームなのですから!

そう、私はサクル以外のおやつをおぼっちゃまに出すことを決め、命運を分ける品として、自分が心から大好きなチョコを選択したのでした。


 チョコクリームとはその名の通り、チョコに生クリームを合わせてクリーム状にしたものでございます。

ただ、一口にチョコクリームと申しましても、それを一から手作りするには凄まじい苦労が伴うのでした。


 チョコがカカオからできていることは皆様御存知のことでございましょう。

カカオの木に成るカカオは栄養価がとても高く、(前世の世界の)昔は偉い人がサラダなどに入れて食されていたそうでございます。


 この世界でも扱いは同様なようで、そこからまだチョコへは発展していない様子。

なので、私達はカカオからチョコの自作に挑戦することにしたのですが……そこには、想像を絶する苦労が待っていたのでした。


 まず下ごしらえとして、見た目は大きな種のようなカカオ豆を殻ごと焙煎し、簡単に割れるようになったら殻を剥いて取り出していきます。

中身は黒くてまさにチョコのよう。まあこれがチョコの本体なわけですから当たり前なんですけども。


 そしてそれをすり鉢に入れて、サラサラになるまで何度も何度も何度も何度もすりおろしていきます。ええ、それはもう、何度も何度も!

この作業こそがまさに問題で、カカオ豆というものは簡単にサラサラにはなってくれないのでございました。


 かといって塊を残してしまうと食感が悪くなってしまいますし、それをチョコクリームに使おうというならなおさらの話。

アンと二人がかりですり鉢を何時間も何時間も夜通しすり続けて、気分はもう、ムチで打たれながら何かをぐるぐる回す奴隷でした。そう、まさしくチョコ奴隷。


 そしてどうにかさらさらにできたら、それを湯煎し、トロトロにしながら大量の砂糖を投入していきます。

えっ、チョコってこんなに砂糖入ってるの!?と恐ろしくなるぐらいの量を入れると、やがてカカオと砂糖の混じり合ったいかにもチョコっぽい匂いに。


 そこまできたら、あとは容器に入れて冷蔵庫で冷やしてチョコの完成です。

しかし、それが終わった頃には、世界はすでに朝を迎えておりました。

その時の私とアンには完成の喜びなどどこにもなく、ただ死んだ魚のような目をしていたのでした。


 前世の世界で、一度だけカカオから手作りで作ったことがあって良かったですが、その時の感想は「二度とカカオからチョコなんて作らないぞ」というものでした。

それが、生まれ変わって異世界で再び作ることになるとは……。人生とはわからないものでございます。


 そしてそのチョコを刻んで湯煎し、とろとろになったものを牛乳とバターから作った代用生クリームと合わせたものが今回のチョコクリーム。

ですがもちろん、そこからパンと合わせて味の調整もせねばならず、まだまだ作業は終わりません。


 時間は計っていませんでいたが、昨日のおやつタイムから今までほぼぶっ通しの作業でございました。

そんな私達の努力の結晶であるチョコクリームパンを、おぼっちゃまは嬉しそうに二口三口と食べてくださっています。ああ、感無量!


 ちなみに、表面のミッ○ーはそのチョコで描いたものでございます。

もうすでにおぼっちゃまに齧られて顔の殆どはなくなってしまいましたが。


「このしっとりとしたパンが中身とよく合っておる。実に美味しい……さて、他の部分は中身が違うと言ったか?」


 3色パンの耳の部分を見ながら、おぼっちゃまがおっしゃいます。

それに私はニッコリと微笑んで答えました。


「はい、おぼっちゃま。それぞれで違う味が楽しめますわ。中身は食べてのお楽しみです、どうぞ食べてみてください!」

 

 この物言い、自分で言っておいてなんですが不敬なのでは、と思いましたが、メイド長はなにもおっしゃいませんでした。

おぼっちゃまはパンの右耳をしげしげと見つめた後、がぶりとかぶりつきました。

そして、よく咀嚼したあとまた驚いた顔をなされます。


「こっちも、美味しい!」


 YES! 右耳に入っているのは、カスタードクリームでございます。

牛乳や卵黄で作れる、チョコよりずっとずっと作るのが楽チンでかつ美味しい、にくいあんちくしょう。

とはいえ美味しく作るにはコツもいりますが、こちらは私の得意分野。慣れたものでございます。


 そしておぼっちゃまはその勢いで左耳に。するとその中には、私特製のいちごジャムが入っているのでした。


「これも、おいしいぞ!」


 おぼっちゃまが目を輝かせておっしゃいます。

こちらのジャムは、私が自宅で作ったのを持ち込んだ品。

特別に良く出来た、自慢の瓶を思い切って空けたものです。


 そう、私は大きなカバンに、私特製の調味料が入った瓶をたくさん詰めて王宮にやってきていたのでした。それこそ嫁入りでもする気分で。

そしてその中身を、今日ようやく披露することが出来たのでございます。


 三食パンは、それそれチョコパン、クリームパン、ジャムパン。

前の世界で、私が大好きだった甘いパンたち。そんな三種類が一つになった夢のパン、それが三食パンなのでございます。


 そのままおぼっちゃまは楽しそうに、3食パンをぐるぐる回しながら食べ進めていきます。

正直、マナー的には良くないのかもしれませんが、メイド長も誰も口は挟みません。

おやつタイムは、おぼっちゃまの時間。おぼっちゃまが楽しんでくださればそれが正解なのでございます。


 やがて、三食パンを綺麗に食べきったおぼっちゃまが名残惜しそうな顔で私のほうを見ながらおっしゃいました。


「もう食べてしまった。一つしかないのか?」

「っ……まだまだございますとも! アン、おかわりをお持ちして!」

「はい、ただいま!」


 喜色満面。おそらくそういう表現が似合う顔をしているであろう私が声をかけると、同じように笑みを顔面に貼り付けたアンが、小走りで皿を運んできます。

最初のと合わせて、全部で十皿。十個の三食パン。

これが、私達の全力でございました。


「どうぞ、おぼっちゃま!」


 二人並んで深々と頭を下げると、おぼっちゃまはもう我慢できないという様子ですぐに次の三食パンに手を伸ばしてくれました。


「うむ、やはり美味しい。この一番大きい部分の中身が、特に余の好みだ!」


 そう言いながら、笑顔で三色パンを頬張(ほおば)るおぼっちゃま。

いつもの淡々と食べ進める様子とのあまりの違いに、お姉さま方はぽかんと見つめるばかり。

そして私は、その見事な食べっぷりに、思わず胸が熱くなってしまいました。


(私が、頑張って作ったパンをあんなに嬉しそうに食べてくださっているっ……。ああっ、なんて……なんて、可愛らしい……!)


 それは、私の中に初めて生まれた感動でした。

私にとって、食とは自分のためのもの。人に食べさせることはあっても、それが主目的ではありませんでした。


 それが、おぼっちゃまに作っても作っても食べていただけない日が続き、落ち込んで、だけど今日、こうして……。

涙が出そうになって、私はぐっと堪えるしかありませんでした。


 そして、美味しそうにパンへとかじりつくおぼっちゃまの様子。

それは、王族とか神童とかではなく、ただの食いしん坊な子供の姿です。


 そう、周囲はおぼっちゃまをそういう目で見ますが、それでも年若い少年なのです、おぼっちゃまは。

なら……甘くてふかふかのパンが、美味しくないわけがないのでした。


 そして、またたく間に十個の三食パンを平らげたおぼっちゃまは、ふっと椅子にもたれかかり、満足そうにおっしゃったのです。


「ああ、美味しかった」


 その瞬間、恐ろしいほどの達成感が私の体をかけめぐりました。

隣に立つアンの肩が僅かに震えているのを感じます。

きっと、同じ気持ちなのでしょう。


「おぼっちゃま。まだ、なにかお召し上がりになりますか」

「いや。今日はこれでいい」


 メイド長が尋ねると、おぼっちゃまがはっきりと答えます。

メイド長は小さく頷くと、私の方を見ておっしゃいました。


「シャーリィ。おまえ、今日は随分と奇妙なおやつを作りましたね。どうしてそれを出そうと思ったのですか」

「えっ!? え、えっと、それは……」


 まさかそのようなことを聞かれるとは思っておらず、一瞬戸惑いました。

けれども少し考えた後、私ははっきりと答えを口にします。


「今お出ししたパンは、私にとって特別なものなのです。その味を、ぜひおぼっちゃまにも味わっていただきたかった。それで……」

「それで?」

「それで……おぼっちゃまに、楽しいおやつの時間を過ごしていただきたい。できれば、いろんな味わいとともに。そのために、アンと二人で心を込めて作らさせていただきました」


 そして、私はすっと頭を下げます。

するとメイド長は小さくうなずき、全メイドを見回しながら言いました。


「良き考えだと思います。多忙なおぼっちゃまのために、素敵な、色とりどりなおやつの時間を。皆の者も、見習うように」


 それは、おそらく号令でありました。

サクルは、もういい。これからはいろんなおやつを出すように、と。


 それによって、一斉にざわつくメイドたち。

そんな中、おぼっちゃまは私の方を見ておっしゃいました。


「君。君は、ええと……」

「はい。五班のメイド頭、シャーリィにございます。おぼっちゃま!」


 私の名前を思い出せないご様子のおぼっちゃまに、はっきりと伝えます。

私のことをあまり認識してくださっていないことは、なんとなく察しがついておりました。


 だから、今こそはっきりとご挨拶を。

私は、シャーリィ。シャーリィにございます、おぼっちゃま。


 胸を張り、誇らしげに名乗る私。

しかし、次の瞬間。


「そうか。ではシャーリィ。今のパン、明日も出してくれるか?」


 そのおぼっちゃまの一言で、びしり、と固まることになったのでした。



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