挑戦と失敗
「さて……じゃあ、調理をしていきましょう。あなたの実力を見せてもらうわよ、シャーリィ」
おやつタイムの後片付けが終わり、メイドとしての清掃業務などを終わらせると時間はもう夜。
人のいないキッチンで、アンが私にそう言いました。
「あなた、サクルを作った経験はある? 私は前の班で下ごしらえを担当していたから、そのあたりは詳しいつもりよ。でも、焼き加減とか窯の温度とかは……」
「凄い、街ではなかなか見れない立派な食材ばかりだわ! メロンに、トリュフに、うそ、これもしかしてカカオ!? それにそれにっ……」
「ちょっと、話聞いてる!?」
アンがいろいろ言っているのは聞こえていましたが、私の方はそれどころではありません。
なにしろ、ようやくキッチンの中を自由に動けるのです。
冷蔵庫と貯蔵庫を片っ端から開いていき、その中に置かれている食材を見て回りながら私は歓喜の声をあげました。
城の外には冷蔵設備がないので、痛みやすい食材は滅多にお目にかかれません。
たとえ売っていても、庶民には手が出ない高級品ばかり。
それがこのキッチンには山ほど並んでいるのです。
ああ、それと、野暮であり今更でもありますが少々注釈を。
私はこの世界の物を取り上げて、やれ砂糖だやれジャガイモだやれトリュフだと前世の世界の名前で呼んでおります。
ですがもちろんこの世界にはそれぞれ違う名前があり、また味や見た目なども元の世界と全く同じものではありません。
けどそこはそれ、いちいちそんな事を言っていたら面倒な事この上ないです。
そもそも言葉も私が翻訳しているわけですし。なにか疑問に思われた時は「ああ、なにか元の世界での近い名前を出してるんだな」とご認識ください。
「わー、凄い凄い、食の宝物庫やー!」
「……あなた、なに言ってるの……? あっ、ちょっと、あれこれ引っ張り出さないでよ! ねえ!」
はしゃぎまくる私と、静止するアン。
それを振り切り、私はどんどん食材を取り出します。
果実なんかパンパンに実が張っていて、思わず齧ってみると、甘くて実に美味しい!
「凄い、なんて美味しいの! これ、どこで採れた物かしら」
「ああ、それは多分王宮の農園で採れたものよ。各地から流れてくる珍しい食材の種なんかを、王宮の裏で畑の魔女様が育ててるの」
「……畑の、魔女……?」
聞き慣れない言葉に私が反応すると、質問するより先にアンが教えてくれました。
「畑の魔女様っていうのは、果物や野菜を育てる魔法を使う魔女様のことよ。この城には二人の宮廷魔女様がいて、その一人がそういう人なの」
はえー。宮廷魔女ときましたか。そんな存在、初めて聞きました。
魔女が実在し、お金持ちに囲われるという話は知っていましたが、まさか王宮に仕えている方までいたとは。
食物を育てる魔法というのもとても興味深い。
魔法の言葉を唱えて、自在ににょきにょきと育てる感じでしょうか?
うーん、ぜひ会ってみたい。
それに、王宮に農園があるというのも初耳です。
どんな素敵な場所なのでしょう、いますぐでも行ってみたい!
「そのうち案内してあげるわよ。でも、今はそれより問題があるでしょ。あんた、サクルは作れるの?」
「あー、ええと……。実は、作ったこともないの……」
私が素直に打ち明けると、アンはすっと天を仰ぎました。
「……そう。サクルを作ったことのない新人メイド頭に、メイドの中で一番パッとしない私で、これから百戦錬磨のお姉さまたちと競い合うってわけね。……終わった……ああ、終わったわ!」
「あ、諦めるのはまだ早いわよ。何事も挑戦よ、挑戦! ねっ、二人で頑張りましょう!」
そのままわっと泣き出したアンと、必死で励ます私。
ですが……もちろん、事はそんな簡単には行かなかったのでございます。
◆ ◆ ◆
「それでは、おぼっちゃまのおやつタイムを始めます」
中庭に、メイド長の声が響きます。
そしてメイド長は端に立つ私に目を向け、続いておぼっちゃまに言いました。
「おぼっちゃま。今日から、新しい班が参加いたします。第五班、シャーリィ班です。シャーリィ、おぼっちゃまにご挨拶を」
「は、はい!」
私は上ずった声で返事をして、おぼっちゃまの前に進み出ました。
私がメイド頭になってから一週間。ついに、デビューの時です。
「第五班メイド頭の、シャーリィでございます。力いっぱい頑張りますので、よろしくお願いいたします!」
「うん。よろしく」
スカートの裾をつまんで私が頭を下げると、おぼっちゃまはいつものぼんやりしたお顔のまま答えてくださいました。
そして私が引っ込むと、いつものようにおやつタイムが始まります。
「いよいよね、シャーリィ! おぼっちゃまが、食べてくださるといいんだけど……!」
お姉さま方のサクルがどんどんお坊ちゃまの胃袋に消えていくのを見ながら、アンが、引きつった顔でささやきます。
「だ、大丈夫よアン。私達も頑張って今日まで練習してきたもの。まずいことはないはずよ、まずいことは……!」
この一週間、私達は寝る間も惜しんでサクルを作り続けてきました。
私とて今日まで料理を研究し続けてきた身。それなりの形には整ったと思います。
ただ、自分がこういうタイプのケーキを好んで食べてこなかったせいか、どうにも不安はありますが……ええい、ままよ。
「おぼっちゃま、サクルにございます……!」
順番がやってきて、山盛りサクルが載った皿をおぼっちゃまの前にお出しします。
普通よりしっとりめに、フルーツを多めにしたサクル。
私なりに工夫して、お姉さまたちのものとは差別化が図られているはずです。
ですが……。
「…………」
楽しくもなさそうにサクルの山を見つめ、やがて一つを手にとって口にした後、おぼっちゃまの動きが止まります。
私はドキドキと見守りましたが……そのまま、おぼっちゃまは次へと手を伸ばしてはくださいませんでした。
(ああっ、そんなっ!)
心の中で悲鳴をあげますが、どうにもなりません。
そこで、ふとおぼっちゃまの隣に立つメイド長と目が合います。
私を見つめるメイド長の目には……ありありと、失望が浮かんでおりました。
「おぼっちゃま。おかわりは、いかがいたしますか」
メイド長が尋ねると、おぼっちゃまは「最初のを一皿」と答え、クリスティーナおねえさまがサクルをまたお出しします。
それで、おしまい。私の出した最初のおやつは、たった一つ食べていただけただけでした。
(う、うわあああっ、きついっ……!)
それは、心が抉られるような痛みでございました。
たしかに、私は自分が料理を研究したいがために王宮に来た女にございます。
ですが、出したものがまるで相手にされず、連れてきた当人には失望の目を向けられ……。
あまりといえば、あまりな結果。
こうして、私の中にあった料理に対する自信のようなものは、ぐちゃぐちゃのけちょんけちょんに砕かれてしまったのでした。
「げ、元気出しなさいよ、シャーリィ。まだ初日じゃない! これからよ、これから! ねっ!」
おやつタイムが終わり、真っ白に燃え尽きている私をアンが励ましてくれます。
「そ、そうよね、まだ初日……。お姉様方はずっとサクルを出し続けてるんだもの、すぐに同じレベルにはなれるわけないよね……」
自分でも励ますように言いますが、しかし、私達の苦難はまだ始まったばかりなのでした。
二日目。前よりドライフルーツを減らし、生地に力を入れました。
おぼっちゃまに一つだけ召し上がっていただき、それで終わりました。
三日目。ドライフルーツを一種類だけに抑え、生地に果汁を加えました。
また一個だけ召し上がっていただきました。
四日目。ドライフルーツを複数に戻し、生地のしっとり感を大事にしました。
また一個だけ。
そして、五日目。
おぼっちゃまは……ついに、私達のお皿には手を付けてくださいませんでした。
「……終わった……」
「ええ、終わったわ……」
アンと二人して、キッチンの角でがっくりとへたり込みます。
いくら工夫しても、食べてもらえなければどうにもなりません。
おぼっちゃまにとって、私達の作るものはもう試してみる価値すらないということでしょう。
遠くから私達を見ているお姉さまたちの口元に、わずかな笑みが浮かんでいます。
笑っているのでしょう、私達を。
それはそうでしょう、鳴り物入りしておいてこの様なのですから。
「ふん、馬鹿なやつ。だから言ったのに。邪魔だから、とっとと荷物をまとめて帰って欲しいわ」
ジャクリーンが、にたにたと笑いながら言っているのが聞こえてきます。
いえ、聞こえるように言っているのでしょう。
わたしはいたたまれなくなって、少し頭を冷やしてきますとアンに告げて、逃げるようにキッチンを後にしました。
「ああああっ……。辛い……。王宮での生活が、こんなに辛いなんて……」
廊下をとぼとぼと歩きながら、暗い気持ちでつぶやきます。
こんなはずではありませんでした。
私は、王宮で好きに料理の研究をして楽しく過ごすはずだったのです。
ですが、現実はこれ。毎日毎日、自分が美味しいと思わないケーキを作り、食べてもらえず、罪悪感で一杯になりながら廃棄する。
一日の殆どはメイドとしての業務とサクル作りに追われ、自分のための料理もろくに作れず、あまつさえ同僚には煙たがられる始末。
こうじゃなかった。こうじゃなかったはずです。私の思い描いた生活は。
(もう、本当に荷物をまとめて帰ろうかしら……)
きっと両親は許してくれるでしょう。私にそれほど期待していたとは思えませんし。
そう、そしてなによりおぼっちゃまが私を必要とはしていないのです。
なら、もういいではないですか。メイド長に言って、もう、終わりにしよう。
そう思った瞬間。
「あっ」
廊下の向こうから、メイド長が歩いてくるのが見えました。
これはつまり、そうしろという誰かのお告げなのでしょうか。
メイド長も、私に気づいた様子。
そうだ、辞めたいと言ってしまおう。そう思って、私はメイド長に歩み寄ります。
けれども、私がなにか言うよりも早く、メイド長が口を開きました。
「シャーリィ」
「あっ……はっ、はい、なんでしょう!」
指導によって叩き込まれた習性で、私は慌てて背筋を伸ばし、はっきりとした声で返事をします。
これは、もしかして私が言うより先にクビなのでは。そう思っていると、メイド長は私の顔をじっと見つめながら言いました。
「あなたは、なぜ私があなたを連れてきたのかを理解していないようですね」
「えっ……」
それは、意外なお言葉でした。
理解、していない……?
どういう意味だろうと私が必死に考えていると、メイド長はすっと私の横を通り過ぎながら言いました。
「あなたの価値はどこにあるのか。それを、考えなさい」
そのまま、メイド長は行ってしまいます。
取り残された私は、ぽかんと口を開けたまま棒立ち状態。
メイド長は、私に何を言いたかったのか。
そして、何を求めているのか。
おぼっちゃまにおやつを楽しんでいただくために、私はなにをすればいいのか。
「……そうか……。そうよね。なにやってたんだろう、私」
小さくつぶやいて、ぐっと両手を握ります。
どの道、このままでは私に未来はありません。
なら、やらないと。
「アンッ! ねえ、アン!」
廊下を駆け抜けてキッチンに戻ると、私は相棒の名前を呼びます。
アンは急に大声で名前を呼ばれてびっくりしていましたが、気にせずつかつかと歩み寄ると、私はその肩に手をおいて真剣な表情で言ったのでした。
「おねがい、手伝って。試したいことがあるの」