初めてのおやつタイム
「おぼっちゃま、いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ!」
王宮の中庭に、お姉さまたちの元気のいい声が響きます。
空からは日差しが差し込み、ポカポカ陽気。
綺麗に整えられた草木が並ぶ中庭にいくつも机が並べられ、そこに王子様がゆっくりと姿を現します。
なんでも、天気の良い日はおやつを中庭で出すのだとか。
「おぼっちゃま……? 王子様でなくて?」
皆に習って深々と頭を下げつつも私が呟くと、アンがヒソヒソ声で教えてくれました。
「メイドは、王子様のことをおぼっちゃまと呼ぶのが習わしなのよ……。ほら、静かにしてないと怒られるわよ」
おぼっちゃまの後には、メイド長のクレア様が続いています。
そしてメイド長が椅子を引くと、おぼっちゃまがそこにちょこんとお座りになりました。
(か、かわいい……)
神童とはいえ、まだまだ背が伸び切っていないおぼっちゃまの足は椅子から浮いてしまっています。
なんて可愛い。
しかしその表情は、さきほど謁見室で見たキリリとしたものとは変わって、どこかぼんやりしてらっしゃるような。
疲れてらっしゃるのかしら、と思っていると、一班メイド頭のクリスティーナ様が進み出て、おぼっちゃまの前にお菓子が載ったお皿を置きました。
「サクルでございます」
サクル。小麦粉に砂糖や牛乳、卵にバターなどを混ぜて生地を作り、ドライフルーツなどを混ぜて焼き上げた、この国のケーキの一種です。
日本のカップケーキと似ていて、茶色で手のひらサイズの形をしており、そして上にはたっぷりの粉砂糖がまぶされています。
ちなみに、サクルとはこの世界での呼び名です。
残念ながら、私は前世での、この形のお菓子の名前を知りませんでした。
多分、似たようなものはあるんでしょうけども。なので、この世界での名前で呼ばせていただきます。
そしてこのサクル、かなりパサッとした食感のケーキでして、飲み物なしでは食べるのが困難なほどでございます。
そして驚くことに、そのサクルがなんとお皿の上にこんもりと大量に盛られているのでした。
(えっ……。あれ、一人に出す量じゃなくない?)
サクルが、おそらく二十個以上は盛られているでしょう。
手のひらサイズとはいえ、普通は何個か食べればお腹いっぱいです。
あれでしょうか。高貴な方には食べ切れない量を出すのがマナーみたいな。
などと考えている私の前で、おぼっちゃまがサクルに手を伸ばします。
そしてむしゃりと一つを頬張り、よく噛み、そして次へ。
さらに手を伸ばし、もう一つ。むしゃり、むしゃり、とかなりのペースで平らげていきます。
そして呆気にとられる私の前で、おぼっちゃまは合間に紅茶を飲みながらも、ついには一皿すべてぺろりと平らげてしまったのでした。
「んまっ。王子様……もとい、おぼっちゃまったらよくお食べになるのね……!」
私が感心した様子で言うと、アンが小さく頭を振って言いました。
「なに言ってるの、シャーリィ。これからよ……おぼっちゃまのおやつタイムは」
えっ、と私が声を上げているうちに他の班も次から次へとお皿を出していきます。
しかも、それが全部、ことごとく山盛りのサクル!
それをおぼっちゃまは次から次へとお口に運んでいきました。
ただし、その全てを食べたわけではありません。
二班のものは三分の二ほどを、三班と四班のものは半分ほど。
そしてそれが終わると、メイド長がお伺いを立てました。
「おぼっちゃま。どれか、まだお召し上がりになりますか」
するとおぼっちゃまはしばし考えた後、こうお答えになりました。
「最初のをもう二皿」
二皿! 二皿ですか!
すでにかなりの量を食べていると思いますが、ここから山盛りのサクルをもう二皿!?
「おぼっちゃまは、健啖家でいらっしゃるの。とても忙しい一日を過ごされているから、エネルギーがたくさん必要なのね。おやつでも、十人か二十人分ぐらいはぺろりとお召し上がりになるわ」
健啖家。つまり、大食いということです。
お忙しいのはわかります。ですが……あの大量のサクルが、あの小さな体のどこに消えているのと疑問に思わずにはいられません。
私が驚嘆している中、どこか誇らしげなクリスティーナお姉さまが、またサクルの載った皿を手に進み出て、おぼっちゃまの前にお出しします。
そしておぼっちゃまは、それに手を付けるとまたあっという間にすべて平らげてしまいました。
「おぼっちゃま、いかがでしたか」
メイド長が尋ねると、おぼっちゃまはお口の周りをハンカチで綺麗になさった後、抑揚のない声でおっしゃいました。
「おいしかった」
「ありがとうございます、おぼっちゃま!」
おぼっちゃまのお言葉と同時に、お姉さまたちがばっと同時に頭を下げます。
私も慌ててそれに習い、そしておぼっちゃまは席を立って行ってしまわれました。
「はー、凄い……。これが、おぼっちゃまのおやつタイムなのね」
思わず声を漏らしてしまいます。
お姉さま方が一生懸命つくったサクルを吸い込むように平らげていったおぼっちゃま。
なんというか、嵐がやってきてすべてを薙ぎ払ってしまったようなインパクトです。
ですが、私達にとっては、まだおやつタイムは終わりではありませんでした。
その後全員が小走りで集合しはじめたので、私達も慌てて続きます。
すると、その輪の中でクリスティーナお姉さまが深刻そうな顔でおっしゃったのです。
「おぼっちゃま、今日もあまりお召し上がりにならなかったわ……」
あれで!?
頭の中がビックリマークで埋め尽くされる私をよそに、お姉さま方は話し合いを続けます。
「おぼっちゃまの大好物のサクルなのに、不甲斐ないわ。昔は、もう五皿ほどお召し上がりになっても不思議じゃなかったのに」
「うちの班は、また半分ほどしか食べていただけなかったわ。情けない」
「フルーツの配合が良くなかったかしら。もっと良いものだけを選別すべきかも」
などと、ぽかんと見つめる私の前で反省点を上げ合い、そして最後にクリスティーナお姉さまがこう締めました。
「明日のサクルも頑張りましょう。では、解散」
明日!? 明日も同じものを出すの!?
驚く私をよそにお姉さまたちはそれぞれの日常業務に戻っていき、事態がよく飲み込めない私の班だけが取り残されてしまいました。
「ねえ、アン、これって……」
わからないことは聞けばいい。
そう思いアンに声をかけたところ、予想外のところから声がかかりました。
「新入り。あんたの疑問に、私が答えてあげようか?」
馬鹿にしたような、とっても厭味ったらしいその声。
それは、さきほど食って掛かってきた赤毛ツインテールの、ジャクリーンお姉さまでした。
「あんた、どうして私達がサクルばっかり出すのか疑問に思ったんでしょ。四班のメイド頭である私が特別に教えてあげてもいいわよ」
そう、見ていて気づいたのですが、この方、私と年齢も近いのにメイド頭のようなのです。
四班、さきほどおぼっちゃまに半分ほどサクルを食べていただいていた班のリーダー。
「それは、ご丁寧に……。お願いいたします、お姉さま」
「ふん、お姉さまなんて呼ばないで頂戴。あんたが妹なんて、気持ち悪いわ」
嫌悪感を隠そうともせず、ジャクリーンお姉さまがおっしゃいます。
では、今後はジャクリーンと呼ばせていただきましょう。
そしてジャクリーンは自分の班のサクルを一つ手に取ると続けました。
「サクルはね。おぼっちゃまのお母様、つまり王妃様のお好きなお菓子だったの」
「王妃様……。たしか、王妃様は」
「そう、半年前に病でお亡くなりになったわ。王妃様を深く愛してらっしゃった王様はとても力を落とされて、ご自身も病に倒れられた。それで、おぼっちゃまが国を任されることになったのよ」
それは私も聞いております。
なにしろその際には、国民全員が喪に服したのですから。
王様が若い王妃様を溺愛していたのは、誰しもが知るお話でございます。
「おぼっちゃまも、それからは大層元気がおなくなりになって……。だから私達は、おぼっちゃまが楽しかった頃を思い出せるよう、王妃様とよく楽しそうに食べておられたサクルをお出ししているのよ」
なるほど、そういうことでしたか。
サクルは、おぼっちゃまにとって思い出の味にして好物。
おやつ時にそれを出して元気を出してもらおう……そういう、お姉さまたちの心配りが籠もっているのでしょう。
「なるほど、お話はよくわかりました。では、私達の班もサクルをお出しする必要があるわけですね」
そう答えつつも、私は困ってしまいました。
だって、私はサクルをまともに作ったことがありません。
なぜならば、パサついたケーキは私の好みではないからです。
ついでに言えば、ドライフルーツが入ってるタイプもあまり好きではありません。
私が好きなのは、ショートケーキやチーズケーキ、そういうしっとりとしたケーキたち。
サクルはまさに私の好きではないタイプ、得意ではないジャンルなのです。
などと考えていると、にやりと笑ったジャクリーンが残ったサクルを差し出して言いました。
「うちのよ、食べてみなさい」
「ありがとうございます」
苦手とはいえ、食べろと言われれば食べるのが私です。
差し出されたそれを躊躇なく口に入れて、じっくり噛み締めた後、思わず声を上げてしまいました。
「美味しい……!」
そう、それはびっくりするぐらい美味しかったのです。
以前街で食べたサクルとは大違いで、驚くほど深い味わい。
生地もドライフルーツもどちらも上等で、またそれらがいい塩梅で口の中で混ざり合って美味しさを発揮しています。
口の中がパサつくのは同じですが、さすが王宮、出てくるものが違う……!
「ふん。言っておくけど、クリスティーナお姉さまの一班が作るものはこんなものじゃないわよ。私達がどれほど研鑽を積んでも、まるで追いつけないぐらいなんだから」
そう、これはお坊ちゃまに半分しか食べてもらえなかった四班のもの。
おかわりまでされていた一班の物は、どれほどの出来なのか想像すらつきません!
うわー、想像しただけでよだれが出てきます! そっちも食べたい!
「うわー、凄い! うわー、凄い!」
「……ちょっとあんた。誰がそんなに食べていいって言った!?」
調子に乗って、残っていた分を次から次へと口に運ぶ私にジャクリーンが言います。
そんな彼女に、私は尋ねました。
「あの、お紅茶はまだですか?」
「出すわけないでしょ!?」
口の中の水分を持っていかれた私が言うと、ジャクリーンが目を吊り上げて叫びます。
「けど、こういうお菓子は飲み物と一緒に味わってみないと真価がわかりません。味を試せというのならば、そこまでするのが礼儀なのでは?」
「このっ……! わかったわよ、ほら!」
顔を歪ませたジャクリーンが、お紅茶の残りを入れてくれました。
案外、律儀な方です。
「うーん、少し冷めていますがお紅茶も悪くない味……。やりますね!」
「あんた、ほんとにぶん殴るわよ!? ……ふん、それで、どう? あんたにこの味が出せるかしら?」
「うっ」
思わずうめき声が。
おそらくお姉さま達は、こうして日々サクルの腕を競い合っているのでしょう。
そこに、ろくに作ったこともない私が飛び込んで勝負できるでしょうか。
「お坊ちゃまは、大層な美食家。半端な味じゃ、召し上がってくださらないわよ。ま、あんたもしばらくしたら出すことになるでしょうし、結果を楽しみにしてるわ五班の班長さん! せいぜい頑張りなさい、アハハハハ!」
そう高笑いを残して、ジャクリーンは去っていきました。
うーん、個性的な人だ。嫌いではありません。
(でも……気になるわね。おぼっちゃまの、楽しくなさそうな様子)
食いしん坊の少年が、おやつタイムにあんな顔をするものでしょうか。
美食が過ぎて、普通の味では満足できなくなっている、とかそういうのなんですかね?
だとしたら、私も相当頑張ってサクルを作らねばなりません。
ですが、この味は簡単には真似できないかも。
などと私が考えていると、ジャクリーンがつかつかと戻ってきて、少し気恥ずかしそうに言いました。
「……伝え忘れてたわ。ここの後片付けは、新人のあんたたちがやるのよ」
面白い人だなあ。