王宮へのいざない2
おかしい、こんなはずではありませんでした。
なにしろ、王宮に入った日から始まったのは、クレア様……いいえ、鬼のメイド長による行儀指導という名の拷問だったのですから。
連日連夜、私はメイドとしての正しいふるまいや王宮の習わし、さらに掃除洗濯などの家事を叩き込まれたのでございます。
そして、それから少しでもはみ出そうものなら勢いよく飛んでくる、メイド長の文字通りの教鞭。
過酷な生活に、私の精神はもうボロボロです!
「話が違います! お菓子を作ればいいって話だったでしょ!? これ、いりますか!?」
「いるにきまっているでしょう。料理をするとはいえ、メイドなのですから。行儀のなってない者を王子様のお側におけるわけがない。……しかしまあ、おまえの基礎のなってない事といったら」
そう言いつつ、私が部下になったとたん態度が急変した、クレアとかいう名前の鬼がこれみよがしにため息を吐いてみせました。
「よほど家で自堕落に過ごしていたのですね。これほど教育に手こずったのは、おまえが初めてです。……ほら、姿勢がわずかに崩れている!」
「うわーん、鬼、悪魔、メイド長ー!」
ぐいっと強引に姿勢を正され、私が思わず泣き声をあげます。
立つ時も正しい姿勢というものを強制され、わずかでもズレようものならこの調子。
さらに歩き方からなにから、私を改造人間にでもするつもりかというレベルで叩き込まれてしまいました。
「うわああん、いつになったらお料理できるんですかあ! これじゃ、ただの拷問ですよぉ!」
そう、それよりなにより辛いのは、この修行期間に一切お料理をさせてもらえなかったことです。
そんな暇があったら作法を身に着けろと、起きてはしごかれ、夜にはへとへとになって自室のベッドに倒れ込み、朝にはまた同じことを。
これではまるで日本の社畜です。ブラック!
王宮勤め、とてつもないブラック!
「お願いします、少しでいいんです、料理をっ……料理を、させてくださいっ……」
私が涙ながらに懇願すると、鬼婆はやれやれと呟きながら言いました。
「……欲を言えば、もう少し仕込みたかったのですが……まあ、いいでしょう。作法の教育はとりあえずここまでとします」
「ほっ、ほんとですかぁ!?」
ぱあっと顔を輝かせる私。しかしそんな私を睨みつけて、悪魔は言います。
「ただし。もし人様の前でみっともない真似をしたら、いつでも再教育に移りますからね。覚悟しておきなさい」
「はっ、はぁい……」
ああ、おっかない。
ですが、これはかなりの朗報ですよ。なにしろ、やっとお料理ができるのですから!
なんでも、お話では王宮の中にメイド専用のキッチンがあるのだとか。
私の部屋の周りはメイドの皆様の部屋が並んでいますので、彼女たちが元気にそちらへ向かっていくのを何度も見かけました。
今まではその背中を羨ましく見つめていましたが、ここで、ついに人のお金で料理の研究ができる……!
この一ヶ月、何度も夜逃げしようかと思いましたが、ここまで耐えて本当に良かった!
「さっ、さっ、メイド長、早くキッチンに参りましょう! 私、我慢ができません!」
ウキウキ気分で催促する私。
ですがメイド長はぴしゃりとおっしゃいました。
「待ちなさい。その前に、お前がおやつをお出しする相手、ウィリアム王子のお姿を見に参りましょう」
「えっ、いいんですか? 私のような平民が、直に拝見させていただいても?」
「もちろんです。私達メイドは、王子様のお側に仕えることを許されていますから。さあ、こちらに」
先導するメイド長についていきながら、私はドキドキしてしまいました。
王子様。女の子なら、一度は憧れる存在です。
その上これから私がお使えするお相手。どんな方なのでしょう。
そして、やがて大きなお部屋の前につきました。
ここは確か、謁見室。王族の皆さまがどなたかと面会する時に使用する部屋です。
メイド長の後に続いて、その厳かな雰囲気が漂う謁見室に入る私。
すると、その奥、高くなっている所に置かれた豪華な玉座。そこから、声が響いてまいりました。
「マイルズ卿よ、増税の許可を求める貴公の考えはわかった。だが、駄目だ。これでは、民の生活を圧迫してしまう」
利発そうなその声は、玉座に小さく座っている少年のものでした。
金色のさらさらな髪に、とても綺麗な形をした顔の輪郭。美しいお鼻に、愛らしい唇。
そして、宝石のような青色の瞳には、キラキラと知性が輝いています。
そう、そこには、神様が大事に大事に作り上げたかのような、輝くばかりの美少年がいらっしゃったのでした。
「ふああ……」
思わず、私の口から声が漏れ出してしまいます。
え、嘘でしょ、なんて可愛いの?
王子様に生まれて、神童で、見た目まで美しいなんてズルくないですか?
「あちらがウィリアム王子です。粗相のないように」
「ふああ……」
どこか自慢気におっしゃるメイド長に、私は呆けた音しか返すことが出来ません。
すると、王子様の前で平伏していたハゲのおじさんが困った顔でおっしゃいました。
「で、ですがウィリアム殿下、民にあまり甘い顔をするとつけあがりますぞ! それに我が国は、今でこそ平和ですがいつ侵略を受けるとも知れぬ立地。富を蓄え、他国の動きに備えるのは……」
「今でも十分に富は積もっておる。民をいたずらに疲弊させれば、国そのものが疲弊するのだ。マイルズ卿よ」
なんとか王子様を説得しようとしているらしき、ハゲのおじさん。
ですが王子様は毅然と返されます。
「民とは、国そのものだ。必要以上に苦しめることはまかりならぬ。以上である、マイルズ卿」
「はっ……ははー!」
一方的に王子様が締めくくると、ハゲのおじさんは深々と頭を下げて引き下がりました。
なんという、威厳あるお言葉とお姿!
とても十歳とは思えません。
「あの御方に仕えられること、光栄に思いなさい、シャーリィ。さ、次はキッチンに案内しましょう」
メイド長に言われ、私は呆けたまま後に続きます。
いやあ、本当に驚きました。世の中には、あんな凄い方がいらっしゃるもんなんですねえ……。
などと考えつつも王宮の廊下を歩いていきますと、奥の方から喧騒と共になにやらいい匂いがしてまいります。
これは……おそらくケーキを焼く匂い。
その予想は正しく、メイド長に続いて扉をくぐると、そこは夢の国……もとい、夢のようなキッチンが広がっていたのでした。
「うわああっ……!」
思わず歓声を上げてしまいます。
そこは前世の学校にあった家庭科室の、その何倍もの広さを持ったキッチンでございました。
あちこちにピカピカに磨かれた調理器具が並び、その中を私と同じメイド服を着た大勢の方々が忙しそうに動き回っています。
焼いているのは、やはりケーキ。
部屋に充満する、その甘く美味しい匂いときたら!
「すっ、すごい、これが王宮のキッチン!」
驚きの声を上げ、キッチンの中を飛び跳ねて回る私。
置いてある調理器具はどれも美しく、いずれも質の良いもののようです。
よく手入れがされており、街では見かけないものもちらほら。
そして何より驚いたのが、ここでは薪で調理するかまどでだけではなく、まるで日本のコンロのようなものが置かれていたのです!
「うっ、嘘、まさか本当にコンロ!? つまみがついてる……!」
金属でできた台の上に五徳(フライパンとかを乗せるアレです)が置かれ、その中央には穴が空いてます。
覗いてみると、中にはなにやら丸い玉が。
どうなるのか気になって我慢できず、つまみを回してみると……驚くべきことに、その穴からは勢いよく炎が吹き出したのでした!
「うわぁ、本当にコンロだ……! 凄い、凄い!」
つまみを回すと、ちゃんと火力調整までできちゃいます。
覗いてみると、丸い玉から炎が出ていて、それが大きくなったり小さくなったりしている様子。
薪での調理は火力の調整が非常に難しく、慣れないうちはよく料理を焦がしたものですが、これならその心配はなさそうです。
どういう仕組みかはさっぱりですが、とにかく凄い!
そしてふと横に目を向けると、部屋の隅にはなにやら四角くて大きな何かが。
「えっ、うそうそっ、まさか……!?」
金属でできた、私よりずっと大きな四角いなにか。
それについた取っ手を引っ張ると、かぱりと扉が開き、中にはたくさんの食材が並んでおり、そして驚くべきことに内部からは冷気が漂ってきたのでした。
つまり、これは。
「冷蔵庫まであるの!? なんでぇ!?」
素晴らしく設備の整ったキッチンとは聞いていましたが、これは予想以上です。
というかこの世界の技術でこんな道具を作れるわけがありません。
私が不思議に思っていると、驚いた顔のメイド長がおっしゃいました。
「シャーリィ、あなた、これらの道具の使い方がわかるのですか? ひと目で使い方を理解した者など、私は初めて見ましたよ」
「あ゛っ!」
しまった、またやってしまった……!
この世界の人間に、コンロも冷蔵庫もわかるわけがないのです。
なのに私ときたら、思わずはしゃいでこの始末。
慌てて言い訳を考え、そしてひねり出てきたものがこれでした。
「こっ……こういう道具があるといいなー、って私が常々妄想していたものとあまりに似ていたので、こ、こうかなーってひらめきまして……!」
苦しい。めちゃくちゃ苦しい言い訳です。
ですが言ってしまった以上、押し通すしかありません。
「い、いやあそれにしても凄いですねえ……! わ、私の夢が叶っているなんて! こちらは、どなたが作られたものなのですか!?」
「……これらは、王宮に仕える宮廷魔女が作ったものです」
宮廷魔女!
なるほど、宮廷魔女ときましたか。
前にも言いましたが、その存在は、私も耳にしたことがあります。
なんでも国に数人というレベルで、神秘の力を持った魔女が生まれるのだとか。
魔女たちは不思議な力を操り、魔法の道具を作るとのこと。
ただ、彼女たちは前世の世界にあったロールプレイングゲームに出てくるような、派手な攻撃魔法とかを使えるわけではないらしいです。
だから戦士と組んで冒険の旅に出たり、戦争で暴れたりはしません。
基本的にはたいしたことはできず、権力者に囲われていろいろと占ってみせたり、珍品を献上したりしている程度らしいです。
正直自分でその存在を目にしたことがないので、眉唾ものだったのですが。
「実在するんですねえ……。では、これらは魔法によって火が出たり冷えていたりするのですか?」
「そうらしいですね。私にはまるで理解できませんが。……そのような道具をすぐ理解できるということは、自覚がないだけでおまえも魔女なのかも知れませんね」
そう言うメイド長の顔には、「どうりで変な女だと思ったんだ」といった表情が浮かんでおります。
なるほど、たしかに私は魔女呼ばわりもされていました。今後、言い訳が必要になった時はその設定を使うのもありかもしれません。
「まあいいわ。とりあえず、おまえを他のメイドたちに紹介しましょう。……皆、手を止めて集まって頂戴!」
メイド長が声をかけると、メイドさんたちが一斉に作業の手を止めてこちらを振り返ります。
そしてコンロの火などをちゃんと止めた後、素早い動きで動き、クレア様の前にずらっと並びました。
「おまえたち、今日から新人が入ります。シャーリィ、挨拶を」
「あっ、え、えと、シャーリィ・アルブレラです! 先輩方、よろしくおねがいします!」
メイド長に促され、慌てて自己紹介し頭を下げる私。
とはいえ、彼女たちが私の存在を完全に知らなかったということはないはずです。
なぜならば、すでに私は一ヶ月の間メイド用の部屋で生活していたのですから。
彼女たちとも、廊下で何度かすれ違っています。
そもそも新人が来たら自ずと気になるもの。私のことは、把握されていたと思います。ですが、私に突き刺さってくる彼女たちの視線は、完全に珍獣を見るものでした。
「……メイド長がどなたかを指導しているのは存じておりましたが、メイドの新人でしたのね」
と口を開いたのは、メイドさんたちの中央に立っておられる、すらりとした美人様。
長く美しい髪に少し垂れ目気味の、麗しい顔立ちの彼女は、ですが顔に嫌そうな表情を浮かべてらっしゃいました。
……あれ、私、もしかして歓迎されてません?
「ええ、そうですよクリスティーナ。仲良くするように」
「……お言葉ですが、メイド長」
クレア様がそう言うと、クリスティーナと呼ばれた美人メイドさんは周りを見回しておっしゃいました。
「今でも、私達の手は十分足りております。どの班も人数的には十分。これ以上は、邪魔にしかならないと存じますが」
班。班ですか。
言われてみれば、メイドさんたちはいくつかの班に分かれて立っているようです。
ひい、ふう、みい……おそらく四班。それぞれ三、四人の小さな集団が出来上がっているようでした。
多分ですが、彼女たちはその班単位で料理を作ってらっしゃるのでしょう。
で……どうやら、私の存在は邪魔なようです。
(まあ、すでにお仲間が出来ている状態でよくわからない新人が入ってきたらそうでしょうねえ)
などと私が他人事のように考えていると、そこでメイド長が爆弾発言をぶっこんでくださいました。
「安心なさい。この者には、自分の班を持たせます」
……はい?