ラーメン皇帝のラーメン奴隷5
脱獄ると決めると、私はサッと立ち上がり、自分の首にかかっている首輪に手をかけました。
するとそれはあっさり外れ、長い間重苦しかったそれを、私はポイっとベッドに投げ捨てます。
そして、次に目を向けるのは、鉄格子のはまっている窓。
窓を開け、真ん中の鉄格子を握ると、それはあっさりとはずれてしまいました。
そう、眼鏡皇帝が私を逃がすまいと用意した品々。
それを、私はここに囚われた一ヶ月で、すべて攻略済みなのでございました。
厨房で手に入る品で首輪の鍵を外し、密かに隠して持ち込んだやすりで鉄格子を削り。
さらに、二階にあるこの部屋から逃げるため、服に隠して持ち込んだ布を編んで、すでにロープも作ってあります。
さらにさらに、下の見張りの巡回時間も、どこの出入り口の警備が緩いかもすでに調査済み。
このフォクスレイのお城は、難攻不落と名高いらしいですが、中から外に出るのならばそう難しくないことはすでにわかっています。
そう。すべては一ヶ月かけて眼鏡皇帝を油断させ、脱出計画を組み立てるという、私による壮大な作戦だったのでございます!
「ふっふっふ。この私が、大人しく捕まっているとでも思いましたかっ!? だーれが、一生こんなお城でラーメンを作るもんですかっ」
ロープをベッドの足に括りつけながら、にやにやと笑う私。
ああ、ついにこの時が来たのです。
我が愛しのエルドリアに帰る、この時がっ!
「よしっ、やるぞ! まずは、これを置いて、っと」
そうつぶやくと、私はテーブルの上に一枚の紙を置きました。
そこに書いてあるのは、こんな内容。
『拝啓皇帝陛下、私シャーリィは新しいラーメンの研究のために、一時帰国させていただきます。ラーメンの作り方はすでに他の方に伝授済なので、まったく同じ味が出ますからご心配なきよう。新作が完成した際にはすぐにお知らせいたしますので、どうか心安らかにお待ちください。では、お世話になりました。敬具』
よしっ、完璧!
これを見れば、ラーメン皇帝もきっと納得することでしょう!
さらに、怒って我がエルドリアに攻め込もうと考えたとしても、もしかしたら新作ラーメンが駄目になるかも、と考えればうかつにはできないはず。
そう、これはラーメンを盾にとって、私と国の安全を守るための交渉術。
その名も、ラーメン外交なのでございます!
「じゃあそういうことで、皇帝陛下。評価してくださったのはありがたいですが、私、実家に帰らせていただきます。アデュー」
そう言って、皇帝陛下の寝室の方にぺこりと頭を下げる私。
万が一にも感づかれないよう、奴には安眠効果があるというコーンスープを飲ませておきました。
なんでもコーンには寝付きを良くする成分があるとか、確か前世で聞いたのでございます。
牛乳も混ざっておりますし、そうでなくとも温かいスープを飲むと眠くなるもの。
今ごろ奴はきっとぐっすり夢の中。
そのまま朝まで起きないでいて欲しいものです。
少なくとも、私がまんまと逃げおおせるまでは!
てなわけで準備万端、後は実行に移すだけ!
「うっ……でも、やっぱり二階でも結構高いな……」
窓から下を見下ろして、少しひるむ私。
ロープが途中で切れたり、手が滑ったりしたらどうしよう。
それに、そこが上手くいっても、馴れない夜の城下町で迷わず目的地に行って、さらに一人でエルドリアまで旅することなんて本当にできるでしょうか。
色々不安だらけで、よく考えればずさんな計画で、もしかしたら後悔することになるかも。
そう思ったけど。私はぎゅっと手を握り、小さくつぶやきました。
「ううん、それでもやるわ。だって……みんなといない私なんて、私じゃないもの!」
そう、私は帰らなければいけません。
だって、エルドリアの王宮は、おぼっちゃまやみんながいる王宮は、世界で唯一の私が居たい場所なんだもの!
このフォクスレイのお城だって、見張られてはいるけども、ラーメンを出していれば料理の研究は自由にさせてもらえるし、可愛がられてもいます。
以前の私ならば、料理の研究ができればどこでもいいって、きっとそう思ったでしょう。
でも、今は違う。
私には、もう居場所があるのです。
何を犠牲にしてでも、一緒に居たい人々のいる、居場所が!
覚悟を決め、メイド服の上から黒い上着を被り、顔もフードで隠します。
これなら、夜はかなり目立ちにくいはず。
これでお城を出て、城下町に向かい、そこで馬を手に入れます。
馬の方は、出入りの業者さんにすでに話を通し済み。
その対価には、以前ウルリックに貰った首飾りを使う予定です。
ついでに旅の食料や水も貰い、あとはそのまままっすぐエルドリアへ!
ああ、おぼっちゃま、それにみんな!
待っていて、今シャーリィが帰ります!
「いよっと……。あ、いけるいける、全然いける……!」
ロープにぶらさがり、慎重に降りていく私。
これが予想外に簡単で、私はあっという間に地面に降り立つことができました。
しゅたっと地面に着地を決め、そのまま影のようにずさっと小走りで動く私。
ここから少し行った扉、そこは警備が手薄で、そのまま目立たず外に出ることができるのです。
行ける行ける、楽勝楽勝、と思った、その瞬間。
……突然、私の周囲を、いくつもの光が取り囲んだのでした。
「うえっ!?」
思わず情けない声を上げる私。
それは、ランタンの光。
なんと、周囲には多数の兵士さんたちが潜んでいて、それを私にむけているのでございます。
そして、その中心にいたのは……眼鏡皇帝!?
「おやおや。これはこれは、我が奴隷ではないか。こんな夜更けに、どこに行くつもりかな?」
ニッコリとほほ笑んで、そんなことを言う眼鏡。
しまった……バレてたあああああああ!
「えっ、えと、そのぉ。ちょ、ちょっと小腹が空いたので、お夜食でも食べに行こうかなーなんて……」
「ほう。お前は、夜食を食べに行くのにいちいち窓から出るのか。変わっているな」
そう言うと、眼鏡はこちらに歩み寄ってきて、じっと私を見下ろしてきます。
そして、怯えている私を見て、フンと鼻を鳴らしました。
「この俺も見くびられたものだ。お前の下手な芝居に、本当に騙されるとでも思ったか? しかし……なぜだ。なぜ逃げようとする。これ以上ないぐらい、厚遇しているではないか。何が不満だ?」
本当にわからない、といった様子で言う眼鏡皇帝。
ああ……そうでしょうね。
この方は、頭は良いのでしょうが、根本的に人の気持ちというやつが理解できないのでしょう。
この方は、鳥を鳥かごに押し込めて、美味しい餌を与えればそれで幸せだと思っている。
その鳥が……どれほど故郷の森に戻りたがっているかなんて、きっと考えもしないのです。
「……皇帝陛下。ラーメンは、他の者でも作れます。むしろ、私より美味しく作れるかも。私には、帰りを待ってくれている人たちがいるんです。きっと。だから……お願いです。私を、帰してはくれませんか?」
そう、最後の希望をかけて言いますが、それに皇帝陛下は目を吊り上げて怒ってしまいました。
「駄目だ! 他の者など信用できるか。お前だけ……お前だけだ、この俺の舌を満足させたのは。他の誰にも渡さん。お前は、俺のものだ!」
そう言うと、皇帝陛下は私の両肩をつかみ、グイッと引き寄せてきました。
そして、怯える私をじっと見つめ、わずかに狂気を感じる瞳で言います。
「いいだろう、お前に対する配慮が足りなかったことは認めよう。奴隷などと、低い身分にしたことも詫びよう。だから、こうしよう。シャーリィ……我が、妃となれ」
「…………はい?」
一瞬、いえ、もっと長い時間言っている意味がわからなくて、私はポカンとしてしまいました。
黙って事態を見守っていた兵士の皆さんも、眼鏡皇帝がそう言ったとたん、ざわっとざわつきました。
きさき……?
え、妃って……あの、皇帝の奥さんの妃!?
「えええええっ!? なんでそうなるんですか!? 私、平民のメイドですよ!?」
「だからなんだ。俺は本気だ。一生お前の作るラーメンを食えるなら、それぐらいのこと、なんということもない」
と、目が本当に本気の眼鏡皇帝。
いやいや、いくらなんでもラーメンの価値を高くしすぎでしょ!
食べれます、私がいなくても食べれますって!
「とはいえ、俺は皇帝であるから、正妻の地位は自分の意志では決められん。どこかの大国の姫と結婚することは、個人の意思が立ち入らない責務だからな。だが、それに次ぐ地位にお前を据えよう。それでいいだろう?」
「よくないです! 私、結婚する気もこの国に残る気もないですって!? じょっ、冗談はやめてください!」
「冗談ではない! 俺は本気だ!」
バタバタ暴れる私をがっしりと掴みながら、血走った眼をしている眼鏡皇帝。
そして、ニッコリ微笑むと、こんなことを言いだしたのでした。
「婚礼は早いほうがいい。すぐに衣装や、お前のための部屋を用意させよう。とびきり豪華なやつをな。もちろん、料理も好きなだけさせてやる! きっと、故郷のことなど忘れるほど幸せにしてやる。だから……俺のものになれ、シャーリィ」
……ああ、おぼっちゃま。
アンにアガタ、ジョシュアに、お父様にお母様、それにみんな。
もしかしたら……シャーリィは、もう、戻れないかもしれません。




