野蛮王子と傭兵団ととびきりの家庭料理9
「……おい。そろそろいいだろ。取ってやれ」
近くから、ウルリックのそんな声が聞こえてきて。
ずぼっ、と、私にかぶせられていた、布かなにかが取り払われました。
「んー! んー!」
しかし、それでも目隠しされている私の視界は、闇に覆われたまま。
しかも、口にはさるぐつわ。
さらに手足も縛られていて、私はイモムシのように床に転がり、必死に声を上げます。
すると、ようやく誰かが目隠しとさるぐつわを取ってくれて、そこで私は大声を上げました。
「誰かー! 誰か、助けてください! 人さらいです! 私、さらわれてますー!!」
そう。そうなのです。
ウルリックとその部下たちに、料理をふるまった直後。
私は背後から、凄まじい手際で目隠しされ、縛られ、さるぐつわをされた後、袋を被せられて、まんまと誘拐されてしまったのです!
その後、私はおそらく馬車に積み込まれ、結構長い時間移動させられていたようです。
ずっとガタゴトと揺れていたので、おそらくそのはず。
しかも、途中から揺れが激しくなったので、道路が舗装されている街の中から、外へと出てしまったのではないでしょうか……なんということ!
「おい馬鹿、やめろ。もう街の外で、俺たち以外に人なんていねえ。叫んだって誰にも聞こえねえよ」
と、人をさらっておいて、平然ととんでもないことを言うウルリック。
ああ、やっぱりだ!
やっぱり、街の外に連れ出されてる……!
「なんのつもりなんですか! 私なんかさらったって、身代金は取れませんよ!?」
「馬鹿、王子の俺が金に困ってるわけねえだろ。身代金誘拐なんてしねえよ。とにかく、落ち着けって。なっ」
「この状況で落ち着けって、無理があるでしょう!? それに、縛られてる縄が食い込んで痛いし、ずっとガタガタ揺られて体は痛むし、なんなんですか! この、人さらい!」
「おうおう、元気いっぱいじゃねえか。説明してやるから機嫌直せって。ほら、今ほどいてやる」
そう言って、私を縛っている縄を順番にほどいていくウルリック。
その間に、私は縄がほどけたら逃げ出せないかと周囲を見回しますが、やはりここは馬車の中のようです。
二頭立ての大きな荷馬車で、立派な幌(荷台についてる覆いのことです)がついていて、同時に十人は乗れそうなサイズ。
そこには、私とウルリック、それに御者の傭兵さん、後は結構な量の荷物が積み込まれていました。
馬車の外に見えるのは、すっかり暗くなった空。
目隠しをされ時間の感覚がなくなっていましたが、やはりかなりの時間、私は運ばれていたようです。
ああ、エルドリアの王都から、どれぐらい離れてしまったのでしょう……!
(馬車は、結構な速さで走ってる……。飛び降りる、のは……怖いなあ、やだなあ)
それに、馬車を取り囲むようにして、たくさんの馬が駆ける音や、人の話し声も聞こえてきます。
たぶん他の傭兵さんたちが、馬でついてきているのでしょう。
無事に飛び降りることができたとしても、私の足で馬から逃げ切れるわけがありません。
仕方ないので、逃げるプランは早々に諦めました。
「わっ、私をどうするつもりですかっ……!? わ、私はおぼっちゃま……ウィリアム王のお気に入りですよっ! こ、こんなことして、外交問題になりますよっ……!」
縄がほどかれるやいなや、馬車の隅っこに飛びずさり、少しでもウルリックから距離を取ろうとする私。
ああ、こんなやつを信用した私が馬鹿でした。
獣……こいつは、最低最悪のケダモノです!
「へっ、なんだそりゃ。お前、庶民なんだろ? 王子である俺が、庶民のメイド一人連れてったぐらいで、問題になんかなるわきゃねえだろ」
ですが、私の精一杯の虚勢は、ウルリックに鼻で笑われてしまいました。
ああ、何という畜生発言……!
それどころか、こいつは続けて、こんなことを言いやがったのでございます。
「安心しろ、ちゃんと置き手紙でお前を借り受けると伝え、相応の金も置いてきた。メイド一人の代金としちゃ、破格ってぐらいな。お前の時間にそれだけの値段をつけたんだぜ、ありがたく思ってくれよな」
そう言って、ケラケラと笑うウルリック。
ああ……クズだ。
この人は、王族としての悪い部分を、平気で見せつけてくる。
庶民は、お金で買えると思っている、権力者。
他人は自分に従って当たり前だと思ってる。
おぼっちゃまなら……こんなことは、絶対に言わない!
「そ、そのわりには、ずいぶんと厳重に私を縛って隠してましたねっ! 追っ手を警戒してたんでしょう!?」
「ああ、まあな。けどそれは、自分の身を心配したからじゃねえぞ。お前のためだ。お前を助けるために、国の誰かが死んだらお前が悲しむだろ? たとえば、そう。あの、俺をにらみつけていた騎士団長とかな」
「えっ……」
「これでも、気を使ったんだぜ。お前の料理の腕に、俺は敬意を払ってるからな。だから、荒事はなしにしたんだ。少しはそのあたりをわかってくれよな」
なんて、得意そうに言うウルリック。
それを聞いて、私はゾッとしてしまいました。
そうか、この人は、自分の目的のためなら他人を傷つけても平気なんだ……。
まあ、でもよく考えれば、それはそうでしょう。
だってフォクスレイ帝国は、バリバリの軍国なんですもの。
他人から何かを奪うのは、この人からしたら、普通の行為でしかないんだ!
「それにな。安心しろ、永久に俺のもんにしちまおうってんじゃねえ。言ったろ、お前はみやげだって。うちの帝都まで来て、おまえに料理を作ってもらいてえだけだ。俺の兄貴のために、な」
「ど、どうしてそこまで……。そちらにだって、腕のいいシェフはいくらでもいるでしょうに」
「ああ、そりゃあな。腕の良いのを山ほど抱えてる。だけどよ、兄貴はどうにも偏食でなあ。料理が口に合わねえってんで、あんまり食わねえんだよ」
と、困った様子で言うウルリック。
なんと。帝国の皇帝ともなれば、豪華な食事をし放題でしょうに。
勿体ない……私なら、毎日満漢全席です。
「それは……なんとも、困った話ですね」
「だろ? 兄貴はとにかく仕事好きでな。一日中、ほとんど寝ないで仕事してるんだが、その上であんまり食わねえもんだから、みんな体を心配してんだ。いつか倒れるんじゃねえかってな」
そして、ウルリックはニカッと笑うと、続けます。
「そこで、孝行者の弟である俺は、兄貴が気に入りそうな料理人を、他国の調査ついでに探してたってわけさ。お前の料理なら、兄貴も気に入るかもしれねえ。つまり、そういうこった」
「……はあ……。でも、その。こんなこと言うとアレかもしれませんけど……お兄さんがもしそうなったら、帝位はあなたに転がりこんでくるのでは?」
下種な考えですが、そのほうがウルリックには都合が良いのでは。
そう考えていると、ウルリックは顔を歪ませて言いました。
「馬鹿言え、俺は皇帝なんざしたくねえんだよ! 馬鹿みたいに城にこもって、よくわかんねえ政治なんかやりたくもねえ! 兄貴には長生きして、俺が好き勝手に生きれる国を守ってもらわなきゃいけねえんだ!」
……うわあ……。
本当に、自分勝手なやつ……。
最低ですね、うん、最低。いや、最低の、さらに下ぐらいかも。
お兄さんのためと言いつつ、結局私をさらったのは自分の都合じゃない!
「で、でも私は、一生そちらで料理を作るなんて嫌です! 私は、エルドリアの王宮で生きていくと決めてるんです!」
そう、私はあくまでおぼっちゃまのメイド。
それだけでなく、王宮には大勢の仲間たちだっているのです。
……ああ、そうだ。
私がいなくなったことは、きっともう伝わっていることでしょう。
どうしよう、みんなに心配をかけちゃった……!
アン、アガタ、ジョシュア、それにメイドのみんな、ごめんなさい!
なんて、私がぎゅっと両手を握り締めて思っていると、ウルリックは私の顔を覗き込んで言いました。
「だぁから、安心しろって言ってんだろ? 行って、料理を作って、それで兄貴が気に入ったら、それの作り方を城の料理人に指導してくれりゃいいんだって。そうすりゃ、十分な報酬をやって、その後にちゃんとエルドリアに帰してやるって。なっ?」
「ほ、本当に……? ……で、でも、もし駄目だった時は?」
「そん時も、ちゃんと帰してやる。俺、ウルリックの名にかけてな。俺を信用しろって」
「し、信用できない……。だって、それなら無理やりさらう必要はないじゃない! おぼっちゃまにそう言えば……!」
「いやあ、俺も最初はウィリアム王に貸してくれって頼もうかと思ったんだ。けど、なんか、あいつは手放してくれねえんじゃねえかって俺の勘が言うもんでよ。ま、おまえにとっても大金を得るチャンスで、そう悪い話でもねえんだ。いいだろ?」
よくない。
ぜんっぜん、よくない!
けど、立場的に、私はとてもじゃないがこいつに逆らえません。
権力的にも、状況的にも。
……ああ。でも、今、手元に一振りのフライパンがあったなら。
私は、こいつの顔面目掛けて、全力で振り下ろしていたことでしょう!
「それによ。これは、お前の国にとってもいいチャンスだ。そうは思わねえか?」
「えっ……」
「考えてみろよ。お前の料理を兄貴が気に入れば、エルドリアへの覚えもよくなるだろ? そうすりゃ、戦争になるなんてことはまずなくなる。こいつは、ご機嫌取りをする絶好のチャンスってやつだろ。その機会を、俺は与えてやってるんだぜ。ただのメイドのお前によ」
……むう。
いちいち恩を売ってくる言い回しが気にいりませんが、たしかに。
我が国エルドリアと、こいつの国、フォクスレイ帝国の今後の関係を考えると、そういう繋がりはあったほうがいいでしょう。
事が終われば、帰してくれるというのだし。
どうにも信用できませんが、他に選択肢もなし。
なら……嫌だけど……本当に嫌だけど……受けるしか、ないです。
「……わかり、ました。私の腕を買ってくださったというのなら、やらせていただきます……」
「おおっ、そうこなくっちゃな! 安心しろ、旅の最中の安全は約束する。なにしろ、泣く子も黙るウルリック傭兵団の料理係なんだからな! これより安全なことなんかねえ!」
「……傭兵団の、料理係? なんの話を……」
ですがそこで、ウルリックが変なことを言いだして、きょとんとしてしまう私。
すると、馬に乗った傭兵さんがひょっこりと顔をのぞかせて、嬉しそうな顔で言いました。
「ボス! 話はつきましたかい? シャーリィの姉御に、料理係やってもらえるんでしょうねえ!?」
……姉御?
えっ、私が、姉御!? なんですか、その呼び方!
なんだか嫌な予感がしていると、次々と傭兵さんたちが顔を見せ、一斉に騒ぎ出しました。
「俺、明日の飯は唐揚げがいい! どうしてもあれが食いてえ! なあ姉御、頼む!」
「俺はシチューだ! 肉マシマシの、ジャガイモ多めで頼む! あの味が忘れられねえんだ!」
「プ、プリン以外の甘い物を頼む! 甘いものにドはまりしちまったんだ、あんな衝撃初めてだ! なあ、他にもあんだろ!? ああ、甘いものが食いてえよぉ!」
なんて、食べ盛りのお子様よろしく、好き勝手に注文をつけてくる傭兵さんたち。
私が呆気に取られていると、ウルリックがニカッと笑って言いました。
「そういうこった。どうせしばらく一緒に旅するんだ、料理係をやってけよ。こいつらも、お前の料理に夢中なようだし。もちろん給料も出してやるし、欲しい食材や道具はなんでも買ってやる! それに、ちゃーんと気を利かせて、店にあったお前の食材や道具は、この馬車に積み込んでおいたぞ。感謝しろ!」
「えっ!?」
驚き、慌てて詰まれていた木箱を覗き込む私。
すると、そこにはたしかに、私の作った調味料や道具が、ぎっしり詰め込まれているじゃないですか!
どっ……泥棒!
この人たち、非の打ち所がないぐらい、かんっぜんに、泥棒!!
ですが、いまさらそれを言ってもどうにもならないので、私はため息をつくと、嫌々ながらもこう応えたのでした。
「……わかりました。そちらも、やらせていただきます」
「うおお、やったぜ! こりゃ、楽しい旅になりそうだぜぇ!」
わっ、と歓声を上げる傭兵さんたち。
はあ。
そこまで楽しみにしてくれるなら、やってやりますよちくしょう。
そして、私は馬車の後方から、真っ暗な向こうへと目を向けます。
そこには林と街道がずっと続いていて、我が愛しのエルドリアの街はどこにも見えません。
ごめんなさい、みんな。
私が不甲斐ないばかりに、こんなことになってしまいました。
メイド頭の私がいなくなって、みんなは大丈夫でしょうか。
おぼっちゃまも、ローレンス様も、どれぐらい心配なさっているか。
お父様も、お母様だって。
ああ、でも、もう私にはどうすることもできないのです。
だけど、きっと私はおぼっちゃまのメイドとして務めを果たし、エルドリアに戻ります。
だから、その時まで。どうか、みんな元気でいて──。
そう願う私を乗せて、馬車は、まっすぐに北へと向かって行くのでした。




