シャーリィと恋と決戦の舞踏会6
「ヒッ……!?」
押さえられたままの私の口から、小さな悲鳴が上がりました。
暗がりの中で、ギラリと光るナイフの刃。
それを私の、のど元に押し当てる力には確かな殺意がこもっていて、恐怖に体がひきつります。
「そうだ、じっとしていろ。抵抗しなければ、殺しはしない」
私を押さえつける男が、ぞっとするような声でささやきました。
どこか馬鹿にするようなその声には、どこか聞き覚えがあります。
刺激しないように、そっと視線を後ろに回すと……そこにいたのは、たしかに見覚えのある相手でした。
(うそっ、この人……前、クロエにぶつかって、いちゃもんをつけてきた貴族だわ!)
そう、それは、妹分のメイドであるクロエとサラが来たばかりのころ。
クロエの押すカートにぶつかり、その侘びをさせると言って私を連れ去ろうとした、三人組のチンピラ貴族たちがいました。
そして今、私を押さえつけている相手。
それこそが、その三人だったのでございます!
「いいか、大声を出すなよ。出せば、その場でのどを掻き切るからな」
そう言って、三人がかりで私を壁に押さえつけながら、私の口を押さえていた手を放すチンピラ貴族。
私は恐怖にあえぎながら、どうにか声を絞り出します。
「どっ、どうして、このようなことをっ……。わ、私になにか、粗相がございましたか……!?」
「どうしてだと? そんなこと、決まっている。お前が邪魔だからだよ、シャーリィ・アルブレラ。まったく、メイドの分際でさんざんくだらん真似をして、オーギュステ様の邪魔をしおって。万死に値するぞ、端女め」
怒りのこもった声で言う、チンピラ貴族。
やだ、この人たち、私だとわかってて狙ってきてる!?
そうか、この人たち、最初からオーギュステ派だったんだ……!
あの時の行動は、最初から、邪魔になりそうな私を排除するのが狙いだったのね!
「で、でも状況はそちらの有利のはずです。どうして、今更こんなっ……」
「だからこそさ。ようやく勝負がつくのだ、だからこそ、万が一の可能性を排除しなくてはならん。勝ちは、確定して初めて勝ちなのだからな」
そう言って、くっくっと暗い笑いを発するチンピラ貴族たち。
ですが、すぐに渋い顔をして言いました。
「もっと早くこうしておけば、苦労することもなかったのだ。それを、オーギュステ様が『手荒な真似はするな。俺の物になる王宮で、血なまぐさい真似は許さん』などと」
「血など、いくらでも片づければ済む話。あの方の小胆ぶりは、本当に困ったものだ」
そうか、この人たち、オーギュステに黙ってこんなことをしてるんだ!
今日の勝負を、私を消して完全な勝利にするつもりなんだ……なんて卑劣な……!
でも、どうして私が今ここに来るとわかったんでしょう。
私も警戒して、普段はこんな風に一人になったりはしません。
今日は、本当にたまたま、わずかな時間、一人になっただけです。
どうしてこんなタイミングで……そこまで考えて、ハッ、と私の中に一つの答えが浮かび上がってきました。
「ま、まさかローマンさん……!?」
そう、私にここに行くよう言ったのは、ローマンさんです。
まさか。疑いたくはないけど、まさか……そう考えていると、チンピラ貴族が薄い笑みを浮かべ、嬉しそうに言いました。
「そうさ。あの下郎の仕業だ。こちらに協力するならば、オーギュステ様の部下としてやっていけるよう取りなしてやる。そう言ったら、あいつは二つ返事でこちらについたぞ」
「うっ、嘘よ、ローマンさんがそんなっ……!」
確かにローマンさんは困った人ですが、おぼっちゃまへの忠誠心は確かなものです。
それが、裏切って敵につくなんて、そんな……と、思いましたが。
さて、ローマンさんの忠誠心が、個人ではなく権力に対して向いたものだったとしたらどうでしょう。
その相手が、おぼっちゃまである必要はないとしたら?
それに、あの方は今でもどこか私のことを恨んでいるのでは。
私を始末できるのなら、一石二鳥だと考えたなら?
そんな暗い考えが浮かんできて、どうにも離れてくれません。
(うそ、ローマンさん……私のことを、こいつらに、売ったの?)
そもそも、確かな事実として私はこうしてはめられたのです。
じゃあ、本当なの?
ローマンさん……私たち、性格は合わなくても、仲間だと思っていたのに。
「安心しろ、殺したりはせん。大人しくしているならな。お前には、これから我らとともに王宮を出て、しばらく隠れていてもらう。全てが済んだら、解放してやるさ。いいな?」
グリグリと私に刃物を押し当てながら、チンピラ貴族がそう言います。
ですが、私もそれを信じるほどおめでたくはありません。
今、この場で殺さないのは、それでは証拠が残ってしまうからというだけの話。
この人たちは、私が殺されたのを知られたくないだけなのでしょう。
それでは、オーギュステ派の不利になる可能性がありますから。
「お前は、重責に負けて、自分の意志で王宮を逃げ出すんだ。そうすれば、全員困らない。いいな?」
「なんなら、全てが終わったらオーギュステ様にとりなしてやってもよい。あの台所の魔女めも、お前を欲しがっていたからな」
「自分を高く売れると考えろ。我ら貴族が、貴様一人にここまでやってやっているのだ。光栄だろう、なあ、メイド」
口々に、おためごかしを口にするチンピラ貴族たち。
ですが、ここまでいろいろ知っている私を、こいつらが解放するわけがありません。
王宮から出たが最後、私は始末されてしまうでしょう。
なにもなかったことにするために。
それがわかっていても……私には、どうすることもできません。
「いいか。これから、ここを出て馬車まで行く。途中で誰かに会っても、普通通りにしろ。こっちは、いつでもお前を殺せることを忘れるな」
そう言うと、私の背中にピタリとナイフを当てて、私を取り囲むチンピラ貴族たち。
二人が前に立ち、一人が私の後ろに立って、いつでも刺せるようにしているのがわかります。
(まずい……これじゃ、逃げられない……!)
どうにかしなきゃ、と思っているうちに、チンピラ貴族たちは副食糧庫から出ていきます。
押されるようにそれに続き、廊下に出ますが、そこにはほとんど人もおりません。
そのまま、ひきつった表情で廊下を進むと、そこで正面から一人の衛兵さんが歩いてきました。
「余計なことはするなよ。あの衛兵も死ぬことになるぞ」
後ろのチンピラ貴族がささやいてきます。
そう言われては、何をすることもできません。
小さくうつむいて、黙ってついていくと、衛兵さんは通路の隅に下がって頭を垂れ、チンピラ貴族たちに道を空けていました。
(ああっ、お願い、気づいて誰かにこのことを伝えてっ……!)
そう願いますが、衛兵さんはふんぞりかえるチンピラ貴族たちが通り過ぎるまで顔を上げたりはせず。
そして、通過後には何事もなかったかのように歩いて行かれました。
ああ、と私の心に絶望が広がったころ、庭の通路に止まっている馬車が見えてきます。
「あれだ。ふん、思ったより簡単だったな」
前を歩くチンピラ貴族の一人が、満足そうにつぶやくのが聞こえました。
彼らにしてみれば、それは成功を保証するゴールテープでしょうが、私にとっては棺おけ同然です。
ああ、なんということでしょう。
私は、このまま、誰にもお別れを言えずにこの王宮を出て、二度と戻ってくることはできないのです。
さっと寒気が走り、血も凍るような恐怖が心を支配します。
二度でも、ううん、二度目だからこそ死ぬのは怖い。
そして、そんなとき私が思い出すのは。
両親でも、仲間でも、料理でも、そしてローレンス様でもなく。
おぼっちゃまの、ことでした。
(私がいなくなったら、おぼっちゃまはどうなってしまうの……)
幼いうちに両親を失い、王としての振る舞いを求められ、たった一人で戦い続けているおぼっちゃま。
そんな私に、おぼっちゃまは、きっと母や姉としての面影を見ているのでしょう。
そんな私までいなくなってしまったら、おぼっちゃまはどうなってしまうの。
誰が、あの人の本当の心に触れられるというの。
(嫌だ……死にたくない!)
もっと、もっとお側にいたい。
もっと、あの笑顔が見たい。
ぎゅっと、手を握って願います。
私は……私は、もっとあの人の側にいるんだ!
そう念じ、私は最後の賭けに出ることにしました。
(このまま馬車に乗ったら、おしまいだ。なら、刺される前に走って逃げてやる!)
難しいかもしれませんが、一度距離を取れれば逃げ切る自信はあります。
この王宮は、私の庭。
それに、毎日の労働で鍛えられているので、足の速さでこのボンクラ貴族どもに負ける気はしません!
やってやる、やってやるぞ。
そう覚悟を決め、動き出そうとした、その瞬間。
背後で、ドン、という音が響きました。
「うおっ……」
「きゃっ!?」
後ろにいたチンピラ貴族が、うめき声とともに倒れ込み、私は驚いて声を上げてしまいました。
何が起こったのかわからず、慌てて振り返る私。
すると、そこには……。
チンピラ貴族に組み付いている、ローマンさんの姿が!?
ローマンさんは、チンピラ貴族の腕を押さえながら、必死の表情で叫びました。
「何をボケっとしておる、小娘! 逃げんかあ!」




