赤くて美味しい素敵なあいつ8
酸っぱいならいらぬとあっさりと言って、フランクフルトを食べる作業に戻るおぼっちゃま。
まあ今はこれでいいです。いつか、そのままのトマトの美味しさをお伝えすればいいでしょう。
そして私は頃合いを見計らって、アンに合図を送ります。
するとアンは頷いて、軽く火で炙った細長いパンにフランクフルトを挟んだものを運んできてくれました。
「おぼっちゃま、こちらはホットドッグにございます!」
「……ホットドッグ……?」
ケチャップもそうですが、この世界にホットドッグという言葉はありません。
ですので、私はそのままホットドッグとお伝えしました。
それはもう、奇妙な名前に聞こえることでしょう。
こちらも、本当はモ○バーガー風にしたかったのです。
が、これみよがしに玉ねぎを刻んだものなどを入れると、おぼっちゃまが嫌がると判断しました。
よって、今回はフランクフルトとチーズを挟んだものにケチャップをかけた、シンプルホットドッグにしてあります。
おぼっちゃまはしばらく見慣れない形のそれを見つめていましたが、やがてまたあむっと食いついて、そしてまた目を丸くしました。
「おお……これも、好きだ! 美味しいぞ!!」
どうやらお気に召してくださった様子。
まあ、それはそうでしょう。子供というものは、ケチャップが大好きなもの。
それをたっぷりとかけたフランクフルトやホットドッグなんて出されたら、もうたまりません。
しかも、炭火で炙っているとなればもう最高。
美味しくないわけがないのです。
こういうものは、口元を真っ赤にしながら思いっきり頬張るのが子供の礼儀。
逐一、汚れたおぼっちゃまの口元を拭いながら、私はニコニコ笑顔でそれを見ていたのでした。
◆ ◆ ◆
「ふう……食べすぎてしまった。美味しかった」
そうおぼっちゃまがおっしゃったのは、私達が用意した何十個というフランクフルトとホットドッグをすべて平らげた後のことでございました。
その前にはお姉さまたちのおやつを食べているわけで。私の前世の世界なら、おぼっちゃまは大食いチャンピオンとして名を馳せたことでございましょう。
なにはともあれ、今日のおやつタイムは大成功。
無事、私はおぼっちゃまにケチャップを布教できたのでした。
「シャーリィ。余は本当に気に入ったぞ。このケチャップを使ったおやつを、これからも出してくれ」
「はい、おぼっちゃま。こちらを使った料理はまだまだございます。どうぞ、ご期待くださいませ!」
私がそう言うと、おぼっちゃまは私の顔をじっと見つめ、そして満面の笑みを浮かべたのでした。
ああ……可愛い。
ですが、そんな私に、おぼっちゃまはぐさりと釘を刺しました。
「だが、野菜そのものはいらぬぞ」
「心得てございます」
ええ、無理やり食べさせる気はございませんとも。
ですが……いつか、あなたは野菜が好きでしょうがなくなることでしょう。
私が保証しますわ、おぼっちゃま。
だって、食の楽しみを知るあなたが野菜の美味しさをいつまでも理解できないわけがないですもの。
そして、その時には。私が、とびきり腕を振るってみせましょう。
◆ ◆ ◆
などという私の決心とともに、今日のおやつタイムは終わったのでした。
……の、ですが。問題は、おぼっちゃまがお仕事に行かれた後でした。
「ちょっとジャクリーン、何なのよさっきのは! あんな露骨に嫌がらせしてきて、どういうつもり!?」
アンです。アンが、キレちらかしてジャクリーンに食ってかかっているのでした。
それにジャクリーンは冷笑を浮かべながら答えます。
「あら、アン。先輩でメイド頭の私に、随分な言いようじゃない」
「だから何よ、関係ないわよ! 調子に乗るのも、いい加減にしなさいよね!」
感情を爆発させるアン。
メイドの皆さまが、遠巻きに、心配そうに見つめています。
穏やかなメイドの園でこんな喧嘩が起きるなど、そうはないことなのでしょう。
「アン、もういいじゃない。うまくいったんだし、怒らなくても……」
「駄目よ、シャーリィ! あなたはいつもいつも甘すぎるわ、ちゃんと言わないと駄目よ! こんなこと、許されないわ!」
なんとか止めようとしますが、熱くなったアンは聞いてくれません。
誰か助けて、と周囲に視線を巡らせますが、一番偉いはずのクリスティーナお姉さまは動揺してオロオロしているだけでした。
うーん、お姉さま、頼りにならない!
「ふん、許されないって何よ。あんたらがしたことを正直に言っただけでしょ。何が悪いっていうのよ」
「言い方よ! あんな悪意のある言い方して、おぼっちゃまが本当に嫌がったらどうしてくれたのよ! 私達、一生懸命作ったのに……!」
「ふん、なによあんな気持ち悪い調味料。ゲテモノでおぼっちゃまの興味を引いて自分たちだけ目立とうなんて、あんたたちって本当に最悪ね!」
半泣きのアンが叫ぶように言うと、目を吊り上げたジャクリーンが悪意のある言葉で反撃します。
あああ、こういうのホント苦手……!
「あんたら、いい加減にしな! おぼっちゃまに尽くすのが仕事のメイドが、なんだいその様は!」
そこで、ついに見かねた二班のメイド頭のクラーラお姉さまが口を挟んでくださいました。
ああ、クラーラお姉様、神! 神すぎます!
そのお胸と同じぐらい度胸のある御方!
「ジャクリーン、あんたの言い分もわからないでもないけど、今のはあんたが悪い。謝りな」
「っ……」
格上であるクラーラお姉さまに叱られて、ジャクリーンは一瞬しゅんとしました。
ですが次の瞬間、驚くべきことに、なんとクラーラお姉さま相手にも噛みつき始めたのでございます。
「嫌です。クラーラお姉様は、こいつらのこと、認めるんですね……。さすが、恥ずかしげもなくこいつらの考えたドーナツを出すだけありますね」
「……なんだって?」
うわあ……。
クラーラお姉さまの声が低くなり、目がすっと細まります。
ジャクリーンは完全に暴走機関車状態。許されぬ垣根をぶち破り、憎しみの言葉を放ち続けました。
「最初は、みなさんこの女のことを認めてませんでしたよね。なのに、どうして普通に受け入れてるんですか。こんな……こんな、降って湧いたような平民女が、変なおやつでおぼっちゃまのご機嫌を取ってることを、おかしいとは思わないんですか!」
「じゃ、ジャクリーン、あなた……」
「クリスティーナお姉様は、黙っていてください!」
ようやく動いたクリスティーナお姉さま。
ですが狂犬ジャクリーンに噛みつかれて、ひっと小さく悲鳴をあげます。
お姉さま……弱い!
「私達、ずっと頑張ってきたじゃないですか! 格式と名誉あるメイドとして、おぼっちゃまに最高のおやつを出し続けてきた! それを……それを、こんなゲテモノ女に好き勝手荒らされて、悔しくはないんですか!」
ジャクリーンがそう言って周囲を見回すと、お姉さま方はそっと視線を逸します。
それは、巻き込まれたくないという思いと……そして、静かな肯定なのかもしれません。
ジャクリーンの言うことは、何も間違っていません。
チョコやドーナツでおぼっちゃまに気に入られて、私達五班が出すものは毎日のようにたくさん食べていただいています。
ですが、その分、他の班は用意したものを食べてもらえなくなっているわけです。
今までずっとサクルばかり出していた環境を、私達が変えてしまいました。
そして、好調な新人である私達と比べられる、他班のお姉様方のお気持ちを考えると……たしかに、辛いものがあります。
そして、それはジャクリーンもそうなのでしょう。
ですが、これだけは言っておかなければなりません。
「ジャクリーン、あなたの言い分はわかったわ。でもね……おぼっちゃまの前ではやめて。おぼっちゃまには、穏やかなおやつの時間が必要なの。私達の争いなんて、見せちゃ駄目なのよ」
「っ……」
私がそう言うと、ジャクリーンは悔しそうに黙り込みました。
忙しいおぼっちゃま。少年なのに、国なんていう重いものを背負わされているおぼっちゃま。
そんな御方に、どうしてメイド同士の醜い争いなんて見せられましょう。
「私が嫌いなのはしょうがないわ。でも、」
「……うるさい」
話を続けようとした私。
ですが、ジャクリーンがそう呟き、憎しみの籠もった目を向けてきて思わず黙ってしまいます。
そしてそんな私を、ジャクリーンはどんと突き飛ばしたのでした。
「きゃっ……」
「なによ、良い子みたいなこと言って! 私、知ってるんだから! あんたが……こそこそ、ローレンス様にプレゼントしてるのをね!」
えっ。
寝耳に水とは、このことです。
嘘……見られてた?
いえ、ですが、それがなんで今出てくるのでしょう。
そんなこと、おぼっちゃまとのことには関係ないじゃないですか。
「私は興味ないです、みたいな顔してよくもまあ……! あんたみたいなやつが、一番信じられないのよ! この、卑怯者! あんたは悪魔だわ、出ていきなさいよ、私達の場所から! 出ていけ……出ていけ!」
「いいかげんにしろ、ジャクリーン!」
私に掴みかかろうとしたジャクリーンを、クラーラお姉様が止めてくれます。
一方の私は、倒れ込んだまま呆然と見ているしかできません。
慣れていません……ここまでの、憎しみをぶつけられるのは。
やがてジャクリーンは取り押さえられ、涙を流しながら言いました。
「絶対、あんたなんか許さないから……。叩き潰してやる。絶対に」
……怖い。
私は、そんな彼女が、とても怖くて。
ただ、黙っていることしか出来なかったのです。
◆ ◆ ◆
「……ふーん。穏やかに見えるあんたらメイドさんにも、そういうことがあるのねえ」
そんな大騒動があった、その日の夜。
一緒にパチパチと爆ぜる薪を囲みながら、アガタが言いました。
「私も、びっくりしたわ。そこまで嫌われているとは思わなかったもの」
薪の上でぐつぐつと煮えている鍋をかき混ぜながら、私が答えます。
ここは、農園にあるアガタの小屋。
農具をしまったり、採れたものを一時保存するのに使ってるそうです。
穏やかな夜でした。
静けさの中に虫の音色が響いてきて、農園は優しい空気に包まれています。
そんな中、私とアガタ、そしてアンの三人で囲んでいるのは、真っ赤なトマト鍋。
ケチャップの成功の報告と、アガタの協力に対するお礼として今日は夕食を振る舞うことにしたのでした。




