シャーリィと恋と決戦の舞踏会4
「ええっ!? 年末までの食事会の予定が、全部キャンセル!?」
秋から冬に移り変わり、すっかり寒くなってきたエルドリア王宮。
そんな王宮の厨房で、総料理長のマルセルさんにそう告げられた私は、思わず叫び声を上げてしまいました。
王宮に貴族様が集まって、お食事をしながらあれこれお話をする食事会。
その食事は基本的に、マルセルさんや、その弟のローマンさんが率いる王宮のシェフ軍団が出させていただいていて、私もよくお手伝いをしているのです。
それは貴族の皆様の結束を深め、またおぼっちゃまへの忠誠心を高めるための大事な催し。
そして、冬に差し掛かった今から、大事な舞踏会がある年末までのそれは特に大事なもの。
主要な貴族様がよく出席してくださり、舞踏会での予定を話し合う、貴重な場となっているのでございます。
今までだって諸事情で中止になることはありましたが、まさかそれが全部キャンセルなんて……!
「そうなのだ。こんなことは、前代未聞だ」
昼過ぎの厨房で、肩を落とし、うめくように言うマルセルさん。
その脇には、彼の弟でありランチシェフであるローマンさんも、両腕を組んで、複雑な表情で立っています。
「ど、どうしてですか!? 理由は何なんですか!」
わたわたとせわしなく手を動かしつつ、問い詰める私。
こちらに不手際があったとは思えません。
むしろ、噂になった中華料理を食べたがっている人が、大勢いると聞いていたのに!
すると、マルセルさんは暗い表情で、あまりにも予想外なことを言ったのでした。
「それがな……。理由を尋ねると、皆様、口をそろえてこう言うのだ。『台所の魔女の料理が食べたいから』と」
「なっ……!」
聞いた瞬間、さっと目の前が暗くなりました。
馬鹿な。馬鹿な……!
たしかに、台所の魔女ことエレミア女史の料理は、いまだに貴族様の間で根強い人気を集めていました。
ですが、いくつもの勝負で私たちが勝ち、おぼっちゃまが盤石な体制を築いたと認知されてからは、こちらを支持してくれるようになったはずなのです。
実際、年末までの予定も、我が陣営が全部一度は取ったのですし。
なのに……ここにきて、エレミア女史の料理がそんなに人気になるなんて……!?
「そんな馬鹿な! 彼女、何か新しい料理でも出し始めたんですか!?」
「いいや、メニューはさして変わっておらんらしい。相変わらず、香辛料をふんだんに使った、派手な料理を出しておる。だが、皆様、とにかく同じものを何度でも食べたいと夢中なのだそうだ」
馬鹿な……。
たしかに、彼女の料理には謎の中毒性がありました。
私も、もう一度食べたいなという欲求はあります。
ですが、今後のことを考えるなら、オーギュステ派である彼女とは手を切ったほうが得策のはず。
流れに敏感な貴族の皆様が、それを理解できないわけがありません。
つまり……それをさしおいても、なお食べたいぐらい夢中ってこと!?
「やはりあの女の料理は、なにかがおかしい。いろんな理屈を無視させてしまうほど美味しい料理など、ありうるのか。これが、魔女の力というわけか……?」
私と同じく腑に落ちないらしいマルセルさんが、うさんくさそうにつぶやきます。
ですが、そこで私はあることに気づきました。
こういう時、いつもうるさいローマンさん。
そんな彼が、なぜか話を聞いても一言も発さず、腕を組みうつむいたまま、押し黙っているのです。
「ローマンさん? どうかしましたか?」
「むっ……」
気になった私が尋ねると、彼は驚いたように顔を上げました。
その顔には、どことなく覇気がありません。
「いや、すまん。少し、考え事をしておった。……台所の魔女めのことか。そう、ここにきて、あやつの人気はとどまることを知らん。それどころか、皆様、その食いっぷりが尋常ではないのだ」
「そ、そんなにですか?」
「うむ。とりつかれたように、とはまさにあのこと。今ちょうど、庭で食事会が行われておるところだが……見るにたえんぞ。百聞は一見にしかずだ、お前も見てくるといい」
「たしかに、それは見ておいたほうが良さそうですね……。わかりました、ちょっと行ってきます!」
いてもたってもいられなくなり、庭へと駆け出す私。
しかし、そこでなにかがひっかかり、立ち止まると、ちらりとローマンさんを振り返ります。
すると、彼は相変わらず腕を組み、深く考え込んでいる様子でした。
(なんだろう……? なにかあったのかな)
気になるところですし、ローマンさんともボチボチ長い付き合いですし。
なにか悩みがあるなら、力になりたいところですが……今は、それどころではありません。
後で時間があれば、聞き出すことにしよう。
そう決めて、私はもう一度駆けだしたのでした。
◆ ◆ ◆
「うわっ……。なにこれっ……」
庭に設置された、食事会の会場。
そこに広がる光景を見たとたん、全身に寒気が走り、私は思わずつぶやいてしまいました。
なにしろ、そこでは何十人という貴族様たちが、マナーもなにもなく、テーブルに並べられた食事をひたすらむさぼっていたのですから!
「ああっ、うまい、うまい! たまらん!」
「なんという御馳走だ! こんな美味いもの、食べたことがない!」
「食べれば食べるほど美味い! まるで、天上の食事だ! ああ、これが食べられるなら、もうどうなってもいい!」
香辛料のまぶされたお肉を手づかみで食べる人や、犬のようにスープに顔を近づけて食べる人。
テーブルマナーも何もない様子で、とにかく少しでも胃袋に料理を詰め込もうとする貴族様たち。
そう、普段の上品な様子とはかけ離れたそんな光景が、そこには広がっていたのです!
「そ、そんな……。なにこれ……。異常、なんてもんじゃないわっ!」
思わずドン引きし、後ずさりする私。
それは人の食事風景ではなく、ほとんど家畜のそれでございました。
まるで皆様、動物に戻ってしまったかのような有様です。
「ひいっ……」
その中には、私の料理を何度も褒めてくださった、舌の肥えた皆様も交じっていました。
そんな方々が、口の周りをベトベトにして、咀嚼音も気にせず食事にかじりついているのです。
気分はまるで、ゾンビ映画。
私は思わず悲鳴を上げ、耐えきれず、その場から逃げ去ろうとしました。
ですが。
そこで、背後から、今一番聞きたくない声が聞こえてきたのです!
「あら、シャーリィじゃない。来てくれたの? 嬉しいわ」
「ひっ!?」
それは、エレミア女史のものでした。
恐怖の声とともに振り返る私。
すると、彼女はいつも通りの不敵な美人スマイルを浮かべていて、余裕ある態度で言ったのでした。
「うふふ、どう、凄いでしょう? 皆様、もう私の料理に夢中なんだから。美味しい物の前では、人間なんてみんな動物ね。……やだ。そんな、怖いものを見るような目を向けないでくれる?」
「っ……」
そして、にたり、と妖しく笑う彼女。
それに、私は一言も返せず、ひきつった顔で後ずさりすることしかできません。
(ぶ、不気味すぎる……。なんなの、この人……!)
私にとって、魔女とは恐ろしい存在ではありませんでした。
アガタも、ヨシュアも、森の大魔女様も、みんな良い人で、親しみやすくて、そしてお友達でした。
でも、この人は違う。
エレミア女史は、妖しくて、恐ろしくて、とても怖い……そう、前世における魔女のイメージそのものです!
前世の世界の神話に、キルケーという名前の魔女がいました。
島に住む彼女は、訪れた人々に豪華な食事をふるまうのですが、それを食べた人々はみんな家畜に変えられてしまうのです。
「おお、台所の魔女よ、まだ食べたりん! もっと、もっとくれ!」
「ええ、もちろん。次をお持ちしましたわ、好きなだけお召し上がりください!」
今目の前に広がる光景は、まさにそれ。
彼女の並べた料理に群がり、夢中になって胃袋に流し込み、もっとくれと彼女に懇願する人々。
それは、人を喜ばせるのではなく、人を支配する食事風景。
まるで飼われているように、彼女の僕と化した皆様。
どうあっても受け入れられない、それは食の暗黒面のような光景でございました。
(こんなの……。こんなの、ちっとも楽しい食事じゃない!)
心の中で、叫び声を上げる私。
ですが、同時に、こう考えてしまったのです。
……みんなを、こんなに虜にする料理。
それは、どんな味なんだろう……って。
「うふふ。シャーリィ。あなたの考えることはわかるわ。あなたも、私の料理を試してみたいのよね?」
「うっ……」
「遠慮することはないわ。食いしん坊だっていうあなたが、我慢できるわけないもの。前は、気の抜けたお菓子を出してしまったものね。でも、今日のは手加減なしよ。さあ、試してみて」
そう甘くささやくと、彼女はお皿に乗った、丸い焼き菓子を差し出してきました。
綺麗な焼き目の茶色い生地に、白い粉砂糖が降りかかった、それだけの単純なお菓子。
なのにすごく良い匂いがして、思わず、ごくりとのどが鳴ってしまいます。
前のお菓子の美味しさを、私の舌はよく覚えている。
あれが、気の抜けたお菓子ですって?
だとしたら、この目の前のお菓子は、どれぐらい美味しいの──。
「さあ、遠慮することはないわ。スパイに来たんでしょう? なら、私の出している味を知らなきゃどうにもならないでしょ。さあ」
そう言って、私の鼻先までお菓子を差し出すエレミア女史。
駄目だ、食べちゃ。私の中の理性が、全力でそう叫びますが。
悲しいかな、私は、理性より食欲の女。
目の前のお菓子を、我慢できるはずもなく。
気が付くと、私はそのお菓子を手に取り、口へと運んでしまったのでした。
「あっ……」
カリッ、と、それを噛み砕いた瞬間。
私は、意識を手放しそうになってしまいました。
口の中に広がる、あまりにも、あまりにも甘い衝撃。
幸福感が体内を駆け巡り、脳天まで突き抜ける。
“美味しい”だけが私のすべてを支配し、かき乱し、急きたてる。
食べろ、食べるんだ、もっとこれを!
「うううっ……!」
気が付くと、私は獣のような唸り声をあげて、そのお菓子を必死にほおばり始めてしまいました。
ですが、同時に、私の中の冷静な部分が、こう叫ぶのです。『やめろ。これは、そんなに美味しくない』と。
その焼き菓子は、焼きがイマイチでした。
オーブンの温度調整が下手で、出来にムラがありました。
生地の練りも少し足りなくて、粉砂糖もあんまりで、さんざんお菓子を作ってきた私には、未熟な点がたくさん思いつきます。
なのに。
なのに……私は、どうしてもそれを食べるのをやめることができなかったのです。
「ううう~……!」
気が付くと、私は、ボロボロと涙をこぼしながらそれを食べていました。
悔しい。悔しい。
……こんなの、認められないのに。
私の舌は、体は、どうしても、どうしても。
これを、美味しいと言ってきかないのです。
そして、どうしようもなく認めてしまったのでした。
私には……この味は、作れない。
「アハハ、気にいったみたいね、シャーリィ! どう、これが美味しいの究極の形なのよ! あなたがいくら頑張ったって、本気を出した私の力にはかなわないの!」
勝ち誇ったように笑う、魔女エレミア。
そして、彼女は私の背後に回ると、そっと耳元にささやきかけてきたのでした。
「もっと食べたいのなら、私に頭を垂れなさい。そうすれば、一生それが食べられるわよ。いいわね、シャーリィ。フフ、アハハ……アハハハハハハ!」
そう言って、笑い声とともに去っていくエレミア。
それを見送りながら、私は地面に崩れ落ち、悔し涙を流し続けることしかできなかったのでした。
……負けた。
私の、料理に捧げてきた……その、すべてが。
◆ ◆ ◆
「……それで? アンタは、そんな奴にまんまとしてやられて、一言も言い返せずここに逃げ込んできたってわけ」
王宮の敷地内にある、アガタの農園。
そこに建っている小屋の中で、シュンと肩を落として座っている私に、少し怒った顔のアガタが言いました。




