赤くて美味しい素敵なあいつ7
ジャクリーンのその叫びを聞いて、皆様がにわかに騒がしくなりました。
「トマト……? トマトって、あの赤くてパンパンに張った、毒があるとか言われてるやつ?」
「え、あれの赤さなの、あれって。そんなもの、おぼっちゃまにお出しして大丈夫なの?」
それはケチャップを不安視する声でありました。
どうやらメイドの皆様にも、ばっちり偏見があるご様子。
あれ……これって、もしかしてやばい状況?などと思いましたが、なによりまずいのは、それに対するおぼっちゃまの反応でございました。
「……トマト、とはなんだ?」
その顔には、隠しようのない猜疑心が溢れております。
お前、まさか余に変なものを食べさせようとしてないよな?
特に、野菜を。だとしたら、許さんぞ。
と、そのお顔が告げています。
「ええっと、その……ええと。トマト、とは、そのぉ……こちらに、ございます」
すっとぼけても、どうにもならない。
そう判断し、私はトマトを一つ持ってきて、そっとおぼっちゃまの前に置きました。
「うえっ……!」
そんな赤いトマトを見た瞬間、おぼっちゃまが心底嫌そうな声を上げます。
よく知らないけど、これは、野菜だ。敵だ。
その一言には、そういう気持ちが込められていました。
そこで、我が意を得たりとばかりにジャクリーンが攻勢を仕掛けてきます。
「おぼっちゃまが嫌いな野菜を騙して食べさせようなんて、酷いわ! しかも、毒があるって噂のやつなんて! あなた、これはどういうつもりなのかしら、シャーリィ!」
悪い笑みを浮かべて言ってのけるジャクリーン。
そうか、これが狙いだったのね……!
参りました、このままではおぼっちゃまを毒殺しようとしていたと疑われかねません!
……いえ、もちろん、王宮の庭で栽培されていたものに毒なんてあるわけないのですが。
「トマトに、毒なんてありません! 迷信です! それに、このケチャップは畑の魔女のアガタが頑張って育てた、栄養満点の素敵なトマトから作ったもの。苦味もなにもない、とても美味しいソースですっ!」
どうにか言い返しますが、完全に劣勢です。
いえ、劣勢どころか、私が野菜と認めてしまったせいで、おぼっちゃまの顔は見事にひきつっておりました。
このままでは、おぼっちゃまが私のことを「嫌いなものを騙して食べさせようとした敵」と思ってしまいかねません。
子供とは、そういう大人が大嫌いなのです。
おぼっちゃまに嫌われるのは、さすがに辛い……。
ですが、雰囲気は完全に私を悪者にしています。
メイドの皆様は不審そうに私の顔を見ているし、王子様はトマトを見たくもないと目をそらしている始末。
さらには、メイド長までもが白い目を向けてくる超アウェーの状況。
このままでは、まずい……!
なにか手を打たねば……なにか……!
そこで、私の脳細胞はフル回転し……そして、ある一つのとんでもない答えを導き出してしまったのでした。
「そうだわ、ではこうしましょう。今から私が毒味してみせますわ!」
「えっ」
驚いた声をあげるおぼっちゃま。
その目の前で、私はケチャップのたっぷりかかったフランクフルトを手に取ると、大きく口を開けておもむろに頬張ったのでした。
「それでは、失礼して、あむっ。……うーんっ、おいっしい! フランクフルトと甘いケチャップがマッチしてて、最高だわ!」
自分の作ったものなのに、思わず感動してしまいます。
王宮に上げられた極上の豚肉で作ったフランクフルトは、皮はパリッと歯ごたえ良く、噛み切ると中からじゅわっと美味しい肉汁が溢れてきます。
そんなフランクフルトと、甘みの強いケチャップが口の中でドッキングして、噛めば噛むほど味わい深い。
もう口の中が幸せでいっぱいです!
(ケチャップを作るのに、特製のリンゴ酢を使ったのはやっぱり正解だったわね!)
そう、このケチャップには、私が瓶に詰めて王宮に持ち込んだものの一つ。
特製のリンゴ酢が混ぜてあるのでした。
リンゴ酢とは、その名の通りりんごで作る、ほのかな甘みと爽やかな酸味を持つお酢。
ケチャップに使用すれば、甘みを増強してくれることうけあいなのです。
フランクフルトを焼くのに炭を使ったのも、とてもよろしい。
味わい深く、キャンプで食べるような楽しみを思い起こさせてくれます。
そのまま私はもぐもぐと、一本まるごと平らげてしまいました。
なんだか皆がそんな私を呆れ返って見つめているような気がしますが、きっと気のせいでしょう。
そういうことにしておきます。
「うーん、これは止まりませんね! 一本では毒味として足りないかもしれませんので、もう一本!」
試食でもさんざん食べましたが、やはりたまりません。
もう一本に伸びた私の手。
ですが、そんな私の手は、ぱしっと誰かに阻まれてしまったのでした。
その手の主は……おぼっちゃま。
そしておぼっちゃまは、恨みがましい目で私を見ながら、こうおっしゃったのです。
「よくも、余のおやつを目の前で美味しそうに食べおって……。毒味は、もういい」
そう言うと、おぼっちゃまはケチャップのたっぷりかかったフランクフルトを手に取り、不安そうにじっと見つめた後、どうとでもなれ!とばかりに、あむっと食いついたのでした。
「あっ、おぼっちゃま!?」
ジャクリーンの驚いた声が飛びましたが、おぼっちゃまはそのままあむあむとフランクフルトを咀嚼し……そして、次の瞬間。
「……おいしい!」
と、歓声を上げたのでした。
「えっ、嘘っ!?」
ジャクリーンがまたもや驚きの声を上げています。
おぼっちゃまの野菜嫌いは、やはり皆が知っていたのでしょう。
その野菜を使った調味料がたっぷりかかったものを、おぼっちゃまが喜ぶなんて。
一同が驚く中、おぼっちゃまはあっという間にフランクフルトを一本食べきってしまいました。
「凄いぞ、甘くて実に美味しい! シャーリィ、本当にその野菜から作ったのか、これは!」
言いつつ、赤いケチャップをキラキラした目で見つめるおぼっちゃま。
してやったりとばかりに、私はにっこり微笑んで答えます。
「もちろんでございます、おぼっちゃま! 野菜からできているから、全部苦いとか酸っぱいなんてことはございません。工夫次第で、こんなに美味しいものになるのでございます!」
「そういうものか。余は、このケチャップとやらがとても気に入ったぞ、シャーリィ!」
言いつつ、次から次へとフランクフルトを口に運ぶおぼっちゃま。
そこにトマトどころか玉ねぎも入っていることは、この際、黙っておいたほうがいいでしょう。
「本当に、甘い……。元となったそのトマトとやらも、果実のように甘いのか?」
「あー……えっと……」
おぼっちゃまがトマトをじっと見つめておっしゃり、答えに困る私。
トマトは、お子様が嫌いな野菜の中でもトップクラスに位置することでしょう。
今この場で生のトマトを齧らせたりしようものなら、おぼっちゃまがトマト嫌いになるのは明白。
とはいえ、子供にはおいしくないです、なんて子供扱いするのも大変失礼。
ですので、素直に事実だけをお伝えします。
「トマトは、生のままだとすっぱくて人を選ぶかも知れません」
「そうか。じゃあ、いらない」




