シャーリィと魔法の豆8
背後からかけられた声に驚き、振り返ると、そこにいたのはエレミア女史でした。
そう、たった今まで激闘を繰り広げた彼女が、相棒のウォーレンシェフを連れて、そこに立っていたのでございます!
「ど、どうも……。な、なんのご用でしょう……?」
ひるみ、後ずさりながら、蚊の鳴くような声で言う私。
しまった。今は危険だからと、いつもは必ず人といるようにしていたのですが、勝利に浮かれて単独行動してしまいました。
とはいえ、声を上げればすぐに兵士の方が来てくださるでしょうし、荒っぽいことをしてくるような人には思えませんけども。
彼女の後ろでは、ウォーレンさんがむっつりとした顔で、腕を組んでこちらを睨んでいますし。
それに、エレミア女史の笑顔はどこかひきつっているしで、正直、怖いです!
「あら。そう警戒しないでよ。私はただ、互いの健闘を称えたいだけよ」
そう言いつつも、ちっとも目が笑っていないエレミア女史。
絶対負けたことを恨んでます、この人!
どうしよう、走って逃げようか、と考えていると、彼女は続けてこう言いました。
「それにしても、ほんとあなたの料理には驚いたわ。あまりにも常識外れなんだもの。あなた、この国の人じゃないの? 私もずいぶんとあちこち旅をしたのだけれど、あんな料理、見たことも聞いたこともないわ」
「えっ」
その言葉に、私は驚いてしまいました。
今のご時世、女の身で旅をするのはあまりに危険です。
私だって本当は、他の国にグルメツアーにいきたいのに我慢しているぐらい。
なのに、彼女は旅人だったようでございます。
だとしたら、レパートリーが豊富なのも納得と言いますか。
どことなくミステリアスな彼女とその料理の秘密は、そこにあるのかもしれません。
しかしそうなると、私お得意の「父が商人なので、旅商人の話に着想を得ました」という言い訳が使えません。
しかたなく私が黙っていると、エレミア女史は妖しく笑って言いました。
「秘密ってわけ? まあいいわ。あなた、王宮魔女と仲がいいらしいし、そのあたりから発想をもらってるとか、そういうことでしょ?」
あ、そう思ってくれるなら助かります。
なんて私が安堵していると、そこで彼女がすっと近づいてきて、声をひそめて言ったのでした。
「まあ、それはそれでいいけれども。──ねえ。あなた、こっちにつくつもりはない?」
「えっ?」
予想外の言葉に、きょとんとしてしまう私。
すると彼女は、真面目な顔でこう続けたのでございます。
「そっちの陣営は、きっと負けるわよ。ウィリアムは若すぎるし、貴族たちは結局お金が一番大事だもの。必ずお金で転ぶし、必ず裏切るわ。私たちの料理がどうこうじゃない、これはもう決まったことなの」
そして、彼女はニコリとほほ笑むと、踵を返して言ったのでした。
「あなたも、自分の立場が大事でしょ? お仲間のメイドさんたちもね。わざわざ危ない橋を渡ることはないわ。こっちにつけば、立場は保証する。気が変わったら言ってちょうだい。いつでも歓迎するわよ」
そして、そのまま廊下を行ってしまう彼女。
いやあ……負けたのに、好き勝手言ってくれますね。
あのメンタルは、見習うべきかもしれません。
ですが、そこでふと、残ったままだったウォーレンシェフと目が合ってしまう私。
え、なんで……?
どうしよう、と困っていると、すっと彼が動き出し、ビクっとする私。
ですが、彼はむっつり顔のまま、予想外にも、こんなことを言ったのでした。
「──良い料理だった。うまそうだった」
えっ。
またもや予想外の言葉に、びっくりしてしまう私。
いや、褒めてくれているのはわかるんだけど……実に淡白なお言葉ですね!
と、小学生並みの感想を伝えてくださったウォーレンシェフ。
そのまま行ってしまいそうなので、私はその背中に慌てて声を掛けました。
「あ、あなたの料理も凄かったですよ。特に、スープが」
そう、あのコンソメスープ、本当に美味しそうでした。
きんきらりんの料理の中、あれを飲んでいる時の皆様のお顔は、本当に満たされていた。
きっと、心に響く優しい味だったのでございましょう。
そう、私が小学生並みの感想を返すと、なぜかウォーレンシェフはこちらをにらみつけ、低い声でこう言ったのでした。
「ありがとう。あれは、俺の数少ない得意料理だ」
……うわあ、真面目!
この人……真面目だ!
いやあ、なんてつかみどころのないコンビでしょう!
ウォーレンシェフの背中を見送り、そんな感想を抱いてしまう私。
もしかしたら…もしかしたら、じっくり話し合えば良い人たちなのかもしれません。
ですが、彼女たちの目的がおぼっちゃまの打倒である以上、やはり敵です。
そして、今日のところは成果を出せましたが、すぐに次の勝負が待ち構えています。
次は彼女たちも、もっと本気で挑んでくるでしょう。
今は理解しあえたように感じる聖職者様たちも、この後次第で手のひらを返してきても不思議ではありません。
苦しい戦いはまだまだ続く。
……でも、今日のところは。
「勝利を祝って、美味しいごはんでも食べよっと!」
そう、私は今日勝ったのです。
間違いなく。
なら、祝わなくてどうしますか!
それに、長時間に及ぶ退屈な話し合いに耐え、皆様が美味しそうに食事する風景に耐え、いまや私のお腹は限界寸前。
今すぐ美味しいものをよこせと、力の限り叫んでいます。
ならば、食べねばならぬでしょう、ハンバーグを。
それも……肉の、ハンバーグを!
……いえ、自分でも悪趣味なのはわかっているのです。
ですが、聖職者様たちがけっして食べられない、肉汁たっぷり、香ばしく焼きあがって、じゅわじゅわと音を立てるハンバーグを今、ライスと一緒に思いっきり頬張ったら。
それは、きっと最高の味であることでしょう!
誰かが食べられないものを食べちゃう、という悪徳のスパイスがかかったお肉。
これほど素敵な食材があるでしょうか。
特に、マルセルさんの作るそれは本当に本当に一級品。
あれだけのシェフに、私のためだけのお肉を焼いてもらう。
そんな素晴らしい贅沢が、厨房で私を待っている!
なんて、カートを押して、陽気に廊下を行く私。
長期的に頭を悩ませる問題があったとしても、その時その時の時間は楽しむべきだ。
そのことを、私は長い王宮勤めでしっかりと学んでいたのでした。
◆ ◆ ◆
とある日。
王宮の片隅にある、兵士用の休憩所。
昼下がりのそこに、陽気な声が上がりました。
「さすが、ギリガン殿! 話が分かる!」
「ああ、さすが次代の騎士団長殿。懐が、今のあいつとは比べ物にならないほど深い!」
それは、王宮に勤める騎士たちの声でした。
そして、彼らの手に握られているのは、ワイングラス。
そう、彼らは真昼間から、ワインを浴びるように呑んでいたのでした。
そして、その輪の中心にいるのは、顔に大きな斬り傷のついた、いかつい顔の大男。
その男は、ボトルから直接、ワインを豪快に飲み干し、にやけ顔で言いました。
「ふん、今の騎士団長であるローレンスが、部下に酒も呑ませんクズなのはよく聞いておる。騎士たるもの品行方正であるべしだとか、説教ばかりらしいな。馬鹿め、酒も呑まずに働けるか!」
彼の名は、ギリガン。
オーギュステが連れてきた兵士の、指揮官に当たる男でした。
元は傭兵だとかで、王宮にそぐわない獣臭のする男でしたが、腕っぷしが強くオーギュステからは信用を得ています。
「じきに、オーギュステの大将がここの主になる。そうすれば、毎日いつでも酒を呑めるし、女もはべらせられるぞ。良い思いをさせてやる、俺についてこい!」
「さすが、ギリガン殿! 一生ついていきます!」
それに浮かれた騎士たちが、赤ら顔をだらしなく歪ませて同調します。
彼らは騎士でしたが、出世コースからは外れ、そして真面目な現騎士団長ローレンスをうとましく思っていました。
そんな彼らを、ギリガンは酒と金で切り崩しにかかっていたのでした。
ですが、外では笑顔で接しながらも、内心ギリガンは彼らのことを軽蔑しています。
(ふん、腑抜けた騎士どもめ。こんなに簡単に転ぶとはな。馬鹿め、俺が騎士団長になったら、お前らなどお払い箱よ)
ギリガンは、疑り深い人物。
一度裏切った人間はけっして信用しません。
そうやって彼は、厳しい戦場を生き延びてきたのでした。
(だが、この平和ボケした国で富を築くのは悪くない。あの馬鹿な王族から搾り取るだけ搾り取って、最後には国を乗っ取るのも悪くないかもな。そうすれば、この俺が王だ!)
と、雇い主であるオーギュステの間抜け面を思い出しながら、ギリガンは考えます。
あの程度の器で王になれるのならば、自分が王になっても構うまい。
ギリガンは、そういう野心を持つ男でした。
オーギュステは、それに気づかず、まんまとオオカミを王宮に招き込んでしまったのです。
そんな内情をよそに、我が世の春とばかりに、王宮で酒盛りを楽しむ一同。
ですが、その時、休憩所の扉が開き、鎧を着こんだ美丈夫が入ってきて、厳しい声を上げました。
「貴様ら、なにをやっている! だれが飲酒など許した!」
「ろ、ローレンス団長!?」
そう、それは騎士団長のローレンスでした。
ローレンスは国一番と謳われる美麗な顔を歪ませ、騎士たちをにらみつけています。
「王宮を守るべき騎士が、勤務中に酒とはな。貴様ら、それで自分が恥ずかしくないのか!」
「ろ、ローレンス団長、で、ですが……」
慌てて酒を置き、言い訳をしようとする騎士たち。
ですが、ギリガンがそれを制止しました。
「待て。なにを言い訳する必要がある? この酒盛りは、俺の主催だ。これは、互いの仲を深めるためにやっていること。戦士とは、こうやって仲を深めるものなのだ」
「……なに?」
ギリガンの勝手な物言いに、露骨に不快感を示すローレンス。
すると、ギリガンは立ち上がり、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべて言ったのでした。
「良いところの生まれの騎士様にはわからんか。まあ、大した腕もないのに家柄だけで騎士団長をやっているのだから、当然かもしれんなあ」
「……」
それは明らかに挑発だったので、ローレンスは一瞬対応に悩んだようでした。
ですが、それをいいことに、ギリガンはなおも罵倒を浴びせます。
「だが悪いが、あんたの時代はもう終わりだ。これからは我が主のオーギュステ様と、この俺が王宮を取り仕切る。ああ、それと」
そして、ギリガンは鼻を鳴らし、とどめとばかりにこう言ったのでした。
「あんた、なんでもメイドと随分仲が良いらしいな。……安心しろ。今後は、この俺様があんたの分までたっぷり可愛がってやるさ」
「っ……!」
その瞬間。
ローレンスは怒りに顔を歪ませ、手袋を外すと、それをギリガンに投げつけたのでした。
この国において、手袋を相手にぶつけるのは決闘の合図です。
「いいだろう、お前の魂胆はわかった。望み通り、勝負してやる」
「ほお。一応、怒るだけの度量はあったか。怯えて隅で震えるものと思ったが」
怒りをあらわにするローレンスと、してやったりとばかりにほくそ笑むギリガン。
そう、全てはギリガンの目論見通り。
ローレンスを追い落とすには、勝負で負かすのが手っ取り早いと彼は考えたのでした。
「いいだろう、騎乗戦で勝負といこうじゃないか。貴族様の戦い方ってやつを是非見せてもらいたいものだ」
「よかろう」
煽るギリガンと、言葉少なに受け入れるローレンス。
こうして、料理以外でも王宮での争いはヒートアップし、ローレンスはやり手の傭兵と勝負することになったのですが──。
この続きは、次のお話で。




