台所の魔女と、魔法の香草パイ1
「うっ、美味い……。嘘だろ、美味すぎる! も、もう一つ……」
熱病にでもうなされるように言い、ふらふらと次のレア・チーズケーキに手を伸ばすオーギュステ。
ですが、その手を、おぼっちゃまががっしりと掴みました。
「……なんのつもりだ、オーギュステ。これは、余の物である。これ以上手を付けたら、許さぬぞ!」
「うっ……」
自分のおやつを先に食べられて、激怒するおぼっちゃま。
あまりの剣幕に、さしものオーギュステもひるんで後ずさりました。
「お、落ち着けウィリアム……。そ、そこまで怒ることはないであろう。な、なあ?」
おぼっちゃまのご機嫌をうかがうように、ビビり声で言うオーギュステ。
メッキがはがれるのが、早すぎるのではないでしょうか。
ですが、すぐに気を取り直した様子で、彼はにやりと笑って言いました。
「それに、別に俺はおやつを横取りするために来たのではないのだ。おまえのお菓子好きはよく知っている。なので、特別に俺の自慢の料理人を紹介してやろうと思うてな。……さあ、来い、『台所の魔女』よ!」
……魔女!?
今、この人、魔女って言いました!?
しかも……台所の魔女ですって!?
予想外の言葉に、驚き戸惑う私。
「はい、オーギュステ様。ただいま参りますわ」
そう言って、中庭にコック服の女性がそうやってまいりました。
赤い髪を、三つ編みにした若い女性。
若い、と言っても明らかに私より年上で、たぶん二十歳ぐらいでしょうか。
猫を思わせる勝ち気そうな瞳、自信に満ち溢れた表情。
ほっそりとしつつも女性的で、健康そうな体。
それは、どこか神秘的な雰囲気をまとった、とびきりの美女でございました。
(あれが……台所の魔女? 本当にアガタやジョシュアと同じ、魔女様なの……?)
魔女は国に数人といったレベルで生まれてくるので、ここにいても不思議ではありません。
ですが、なんとなく、私は彼女に違和感を感じてしまったのでした。
「台所の魔女、エレミア。ここに控えてございます」
「うむ、ご苦労。……どうだ、ウィリアム。これなるは、あらゆる料理を奇跡の味に変える、台所の魔女よ。先ほど食べたおまえのおやつ、確かに美味しかったが。ふふん、こいつの作る品には、遠く及ばぬぞ」
「なにを……」
それに、むっとした顔をするおぼっちゃま。
私のおやつを馬鹿にされて、怒ってくださっているのです。
ですが、ああ。嫌でもわかってしまいます。だって、私も同じなんですもの。
「えっ、そんなに美味しいの? じゃあ、一度食べてみたいなあ」って。
私もおぼっちゃまも、どうしようもなく考えてしまっている……!
「侘びと言っては何だが、代わりにこやつの作った菓子を差し出そうではないか。さあ、魔女よ」
「はい。では、どうぞ、こちらを」
妖艶にほほ笑むと、エレミアなる女性は、手にしていた皿をテーブルの上に載せました。
その上には、しっかりと美味しそうな焼き目のついた、パイのようなものが。
「ナッツとシロップの香草パイにございます」
どうやら、数種類のナッツをシロップでまとめ、薄い生地で挟んだお菓子のようです。
その見た目は、前世の世界で言うならば、中東あたりで食べられているお菓子にこういうのがあった気がします。
この世界ではまだ見たことのなかったお菓子ですが、印象的なのが、その匂い!
とびきり甘い、焼きたてのお菓子の匂い。
ですが、その中にどこか、異国を思わせる不思議な匂いが混ざっているような。
(これは……香草の匂い、なのかしら)
エキゾチックで、何度も嗅ぎたくなる匂い。
それだけでよだれが出そうになるほどです。
なんだか目が離せなくて、じっとそのお菓子を見つめる私とおぼっちゃま。
すると、それに気を良くしたオーギュステが、パイを一切れ手に取ると、パクリとかじりながら言いました。
「安心せい、毒など入っておらぬわ。……うーん、美味い。最高に美味いぞ。さあ、食ってみよ」
「……むう」
悔しそうにつぶやくと、たまらずパイに手を伸ばすおぼっちゃま。
そして、そっとそれを齧ったとたん。
……その表情が、ゆるゆるとゆるんで。
たまらないとばかりに、おぼっちゃまはこうつぶやいたのでした。
「お、美味しい……!」
「っ……」
それを、聞いたとたん。
私の心の中に、カッと熱い何かが走りました。
そう、それは、嫉妬。
……おぼっちゃまの“美味しい”を、たった今やって来たばかりの人に、取られたっ……!




