クリスティーナお姉さまの結婚1
「なあ……いいだろう、クリスティーナ。そろそろメイドを辞めて、僕と結婚してくれ」
夜、王宮の中庭。
そこで、クリスティーナお姉さまの隣に座る男性がそう言った瞬間、どくん、と私の心臓が跳ねました。
(──はい? えっ、待って、どういうこと……。おっ……お姉さまが、結婚して、メイドを辞める!?)
意味がわからず、いえ、わかりたくなくて、木の陰で動揺してしまう私。
嘘でしょ、そんな。
お姉さまが、メイドを辞めるっ……!?
「君が、もう少し、もう少しと言うから僕は何年も待った。王宮での仕事に敬意を持っていたし、いつか君が満足して、僕と結婚してくれると信じていたからだ。だから、遠く離れていてもずっと君のことだけを思ってきた。けど、そろそろいいじゃないか」
お姉さまを説得するように、いくつも言葉を重ねる男性の方。
どうやら聞く限り、この方とクリスティーナお姉さまは許嫁で、ずっと遠距離恋愛の関係にあったようです。
この国の結婚適齢期は、十五歳から二十歳の間とされています。
お姉さまも本来はそれぐらいに結婚すべきところを、無理を言って引き延ばしてもらっていたご様子。
だけど、久しぶりに会えた今日、もうそろそろ頃合いだと、彼がお姉さまに決断を迫っている、と。
こういうことのようです。
「メイドとして、王宮に長く務めた。パン作りの名人として名を知られ、王宮のシェフと勝負して勝つという、素晴らしい実績も収めた。もう十分じゃないか。そうだろう、クリスティーナ」
「で、でもね、エドガー。私……」
真面目な顔で迫る、エドガーというらしい許嫁の方と、困った様子のクリスティーナお姉さま。
どうやら、お姉さまはまだまだメイドに未練があるようです。
やがて、お姉さまは意を決した様子で顔を上げ、こうおっしゃいました。
「エドガー。今、王宮はとても難しい時期なの。おぼっちゃま……お若い王様のためにって、みんな一生懸命に頑張ってる。そんな時に、私だけ辞めるなんて……やっぱり、できない」
「……クリスティーナ……」
「それにね。メイドに、すごく無茶をする子がいるの。いつも心配ばかりかけて、でも、すごい才能を持っていて。あの子は、今、必死に王様をお守りしようとしている。私、あの子の力になりたいのよ」
「っ……」
また心臓が跳ねて、私は慌てて胸に手を当てました。
“あの子”が誰の事かわからないほど、私も馬鹿ではありません。
お姉さま……そんな風に、私のことを思っていてくれたんだ。
「その子だけじゃない、今後、メイド全員が辛い思いをするかもしれない。だから、私は皆のそばにいてあげたいの。いざとなれば、私が盾になってあげられるかもしれない。だから……」
思いつめた様子で、語り続けるお姉さま。
ですが、そこでエドガーさんが言葉を挟みました。
「クリスティーナ。それなら、ますますだよ。僕と君が結婚すれば、ウィリアム王からの覚えが良い君と、うちの家系との結びつきが強くなる。僕の家だって、それなりに力を持っている。それは、王のお力となる一番の方法のはずだよ」
「……」
「クリスティーナ。本当は、こんなこと言いたくなかったけど……これは、最後のチャンスなんだ。うちの両親は、僕がいつまでも結婚しないことを気に病んでいてね。これ以上は待てない、君が無理なら他の相手を用意するとまで言っているんだ」
えっ、そんな!
それはあんまりです、クリスティーナお姉さまを捨てて他の人と結婚しようというんですか!?
馬鹿な、お姉さまより素敵な花嫁なんて、他にいません!
私が断言します!
「王の座に関する揺さぶりは、当然うちにも来ている。でも、僕は君が信じるものを一緒に信じたい。そして君と一緒に、君の大事なものを守る力になりたいんだ。頼む、クリスティーナ。……君を、愛しているんだ」
「エドガー……」
強くお姉さまを抱き寄せるエドガー氏と、まだ迷っている様子のお姉さま。
やがて、エドガーさんは時間を気にしだし、すっと立ち上がって言いました。
「急かすようなことばっかり言って、ごめん。でも、とにかく答えが欲しい。……君が、どうしてもメイドを辞めたくないのならそれでもいい。君の決断を尊重する。でも、同時に、周りはそれを許してくれないことも覚えていて欲しい」
そして、エドガーさんはクリスティーナお姉さまの手を取り、そっと口づけをし。
そのまま、背を向けて行ってしまいました。
後に残されたのは、濃く夜の闇が広がる中庭と、ベンチでうなだれるお姉さま。
そして、それを陰から盗み聞きして、絶望の表情を浮かべる間抜けなスパイ……つまり、私。
(嘘でしょ……。そんな二者択一、残酷すぎるわ……。好きな人と、仕事、どっちかを選べなんて!)
お姉さまが、メイドの仕事を愛していることはよく知っています。
辛く大変だけど、やりがいを感じるといつも笑顔でおっしゃってらした。
それが、今はベンチで一人、背を丸めてらっしゃる。
私は、なんだかたまらない気持ちになって、そっとその場を離れようかと思いました。
お姉さまは、気高い方。
落ち込んでいるところなんて、私に見られたくないと思ったから。
でも、そんな私の足が、ある思いで止まりました。
(このまま、お姉さまを一人にしていいのかしら……)
お姉さまには、ずっとずっと、本当にお世話になりました。
私が大ポカした時も、無茶ぶりした時も、どんな時だって「困った子ね」と、笑いながら助けてくださったのです。
そんなお姉さまの大変な時を、黙って見過ごす。
それが、本当にいい事なのでしょうか。
(……そんなわけないわ。私にだって、できることがあるはず)
どうしようもなく、そう考えてしまって。
気が付くと、私は木の陰から出て、お姉さまの前に立っていたのでした。
「……シャーリィ?」
私に気づいたお姉さまが、驚いた様子でつぶやく。
それを見ながら、私は、ぎこちない笑顔でこう言ったのでした。
「──お姉さま。わらひでよ、わ、わたっ……」
噛みました。
ああ、これだから私ってやつは!!




