春とおぼっちゃまとピクニックランチ6
「準備の方、全て整いました」
その日の、深夜。
王宮の、王族用のフロア。
そこに、侍女の方の声が響きました。
エルドリア王宮における侍女とは、主に王族の皆様の生活に寄り添う立場。
身の回りのお世話や、浴室、寝室などの管理を担っており、私たちメイドとは管轄が違います。
そんな彼女たちの前で、ピカピカに磨き上げられ、白い衣装を着させられて立っているのは、そう、私。
引きつった笑顔の、シャーリィにございます。
「……まさか、こんな日が来てしまうとは……」
そう重苦しく呟いたのは、私の前に立つメイド長。
その顔には、どこか泣きそうな、苦渋の色が見て取れます。
やめてください、泣きたいのはこっちです!
お昼。
おぼっちゃまに、夜、部屋に来てほしいと言われた私は、お仕事に行くおぼっちゃまをお見送りした後、盛大にパニックを起こしてしまいました。
(えっ、うそっ。夜に部屋に来てくれって……そういうこと!?)
思い出すのは、前世のテレビ。
スーツ姿の男が、すっとホテルの鍵を差し出し、ヒロインに「今夜、僕の部屋に来てくれないか」なんて言うのです。
それはもちろん、そういう意味なわけで。
えっ、これって……それと同じで……そういう意味!?
つまり……夜伽に呼ばれた、ということ……!?
馬鹿な、馬鹿な。おぼっちゃまにはまだ早すぎます!
いや、早いとかそういう問題じゃなくて……なくて!
わっ、私、ど庶民ですよ!? いえ、庶民がどうとかじゃなくてですねえ……!
「ああああっ、どうすればいいのっ……!」
私はとんでもない混乱に陥り、あれこれ考えても答えは出ず。
仕方なしに、そのままメイド長に報告することにいたしました。
すると。
「…………」
メイド長は、この世の終わりのような顔をして、ふらっと椅子ごと後ろに倒れ込んだのでした。
「メイド長!? しっかり!」
「なんということ……なんということ……」
慌てて助け起こすと、メイド長はうわ言のように何度もそうつぶやき。
やがて、青い顔のまま私に言ったのでした。
「今日の業務は、全て停止しなさい。これより、あなたに夜伽の作法を教え、徹底的に身を清めてもらいます」
その後は、炎のような激しい半日でした。
アンに事情を伝えると、アンは泡を吹きながら倒れ。
そのまま、滅多に顔を合わさない侍女の皆様に連れられて、夜用のドレスを仕立てられ。
寝室での作法、注意することなどを徹底的に教え込まれ、そしてお風呂場に連れて行かれたと思ったら、数人がかりで徹底的に洗われ。
さらに、凄く良い匂いのオイルなんかも塗りたくられ、化粧も徹底的に施され。
別人のように仕立て上げられて、そして今、おぼっちゃまの寝室前でこうして震えているのでした。
(うっ、嘘でしょ、本当にこれからおぼっちゃまの寝室に入るの!? 私が!?)
ありえない。
こういう展開は、二回の人生で、一度も考えたことがありませんでした。
自分が、王様の寝室に呼ばれるなんて!
嫌か、嫌じゃないかというと……わかりません。
おぼっちゃまのことは、その……いえ、やっぱりわかりません。
嘘でしょ、私、何の覚悟もできてないんですけども!?
「いいですか、シャーリィ。おぼっちゃまのなさることを、絶対に否定したり、断ったりしてはいけません。なにしろ、おぼっちゃまが女性を寝室に招くのは初めてのこと。もし、その自信を傷つけることがあったら……」
この国の将来に不安を残すこととなる。
そうなったら、私がお前を八つ裂きにしてやる。
そう、その顔に書いてあって、私はますます震え上がってしまいました。
「うええええん、そんな事言われても、私だってこんな事態、経験がないですよぉ……!」
「泣くんじゃありません、化粧が落ちます。……はあ……。私はあの日、お前をスカウトしたことを、今、心から後悔しています」
私だってOKしたことを後悔してますよっ!
いや、嘘、後悔はしてないです。
でも……でも!
「王様が、お召しです」
侍女の方がそうおっしゃり、私はビクリと震えてしまいました。
ああ、おぼっちゃまが呼んでらっしゃる。
いよいよ、時が来てしまいました……!
「いいですか、あなたのほうが年上なので、いざというときはリードするのですよ。いいですねっ……!」
私の両肩に手を置き、言い聞かせてくるメイド長。
そんな事言われたって!
お願いです、もうちょっと覚悟を決める時間をください!
ですがそんな私を、侍女の皆さまは扉の前までぐいぐい押していき。
そしてぱかっ、と両開きの豪華な扉が開かれ、ついに観念するしかなくなってしまいました。
「しっ、失礼いたします……!」
私はぐるぐる目を回しながら、ヨタヨタと寝室内へ。
すると背後で静かに扉が閉じられ、退路を断たれてしまいます。
寝室は、見事な装飾品で彩られ、床はふかふかのじゅうたんが敷き詰められていて、それはもう素晴らしい場所でしたが、今はそれどころではありません。
慌てておぼっちゃまのお姿を探すと、ベッドの上に座ってらっしゃいました。
夜食の時に何度か見たことがある、可愛らしい寝間着姿で。
「来たか、シャーリィ」
「はっ、はい、おぼっちゃま! いっ、いえ、王様! こっ、こっ、この度は、わっ、私のようなものをお招きいただき、きょっ、きょうえっ……えとっ……!」
しまった、最初の挨拶として教えられていた言葉を全部忘れてしまいました!
どうしようどうしよう、その後の作法も全部飛んでしまっています!
えっ、えと、たしかお言葉を貰うまでは頭を下げてじっと待つんでしたっけ、えっ、でもリードしなくちゃいけなくて、えっ、でもでもっ……!
なにもわからなくなってしまい、私がまた目をグルグル回していると、そこでおぼっちゃまがくすりとお笑いになられました。
「なんだ、お主らしくもない。そうかしこまるな。王ではなく、おぼっちゃまでよい。そら、そんなところに立ってないでこちらに来てくれ」
「はっ、はいいいっ!」
側に来いと言われたらすぐに行くことだけは、覚えておりました。
ロボットみたいにガッチガチで、手足を同時に出しながら、ベッドに向かう私。
ああっ、遠い! ベッドが恐ろしく遠く感じます!
そうしてどうにか、五、六人は同時に寝れそうな豪華なベッドの端にたどり着き、ガタガタ震えながら上がる私。
ええと、たしか、この後は姿勢を正して深々と頭を下げて、お言葉をいただいてっ……。
なんて、また必死に指示を思い出そうとします。
ですが、それを遮るように、おぼっちゃまがこう切り出されました。
「呼びつけてすまなかったな、シャーリィ。どうしても、二人きりでじっくりと話をしたくてな。ここならば、誰にも聞かれぬ」
えっ。
……ああ、なるほど。そういうアレでしたか。
別に夜伽がどうこうじゃなくて、ただ、お話をしたかっただけ……。
なんだ、私の空回りでした。
と、ホッとしてしまうと同時に、どこかガッカリしている自分に気づいて、慌ててかき消します。
バカバカ、これで良かったでしょ!
「なっ、なるほど、そういうことでしたのね。なら、もっと簡単な格好をしてくるべきだったでしょうか」
動揺しながらもそう言うと、おぼっちゃまは少し驚いた顔をして、そしてニコリと微笑んでおっしゃいました。
「そんなことはない。よく似合っておる。可愛いぞ、シャーリィ」
「うっ……」
そういうことを、まっすぐ言ってくるのは反則だと思います。
赤い顔をして、うつむいてしまう私。
ですが、そこでおぼっちゃまはひどく真面目な顔をして、こうおっしゃったのです。
「シャーリィ、お主を呼んだのは他でもない。お主に、このエルドリア王宮と、余の現状を知っておいて欲しかったからだ」
「……」
その声色があまりに真面目なので、私は浮かれている場合ではないと気づき、慌てて姿勢を正しました。
そして、私が見つめる中、おぼっちゃまは。
あまりにも、衝撃的な事実を告げたのでございます。
「シャーリィ。余は──王座を、追われるやもしれぬ」




