赤くて美味しい素敵なあいつ1
その事件が起こったのは、ドーナツの騒動から一週間後のことでした。
「嘘でしょ、カカオが……もう、ないですって!?」
キッチンに、私の驚愕の声が響きます。
馬鹿な。カカオは、大きな袋がまだ三つはあったはずなのに……!
「そうなのよ、全部きれいに無くなってるの! どうして、こんな……!」
とは、保存庫にカカオを取りに行ったアンの言葉。
信じられなくて自分でも見に行きましたが、たしかにそこにあったはずのカカオの袋は全部消えてなくなっていたのでした。
「どうして……」
呆然と呟く私。カカオがなくては、チョコが作れません。
ちょうどおぼっちゃまのために、新しいタイプのチョコをお出ししようとしていた矢先のことです。
呆然と立ち尽くす私たち。そんな私達の背中に、勝ち誇ったような声がかけられました。
「あら、残念ね。カカオなくなっちゃったの。まだ使うつもりだったのに」
その声は、まぎれもないジャクリーンのものでした。
振り返ると、そこには赤毛ツインテのジャクリーンがいやらしい笑みを浮かべて立っていたのです。
「ジャクリーン、あなた、まさか……」
「あら、文句を言われる筋合いはないわよ。食材は皆のものですもの。私達が新しいおやつの開発にカカオを使ったってかまわないでしょ」
「うっ」
思わずうめく私。
たしかにそのとおりです。カカオは私達の専用素材ではありません。
しかし、他の班がチョコを真似しようとカカオを消費しているのは知っていましたが、これは異常です。
「言ってくれれば、チョコの作り方ぐらい教えるのに」
「はあ!? 馬鹿にしないで、なんであんたに上から教えてもらわなきゃいけないのよ! ド新人のくせに!」
私がそう言うと、カッとなったジャクリーンが眉を吊り上げて怒ります。
しかし、すぐににやりと微笑むと、嫌味たっぷりに言ったのでした。
「ふん、でも、チョコが作れなきゃあんたなんてどうってことないわね。ドーナツは全員にバレちゃってるし。あんたの化けの皮もいよいよ剥がれるかしら」
そう、ドーナツは先日の騒動で皆様に作り方を教えました。
それ以後、ドーナツは自由にお作りくださいと伝えたので、他の班の皆様もおぼっちゃまにお出ししたりしています。
ただし、クリスティーナお姉様の一班とジャクリーンの四班はプライドの問題か、決してそのような真似はなさらないですが。
すると、そのお話を聞いていたアンがふるふると震えながら声を上げます。
「ジャクリーンっ……! あんた、まさか私達への嫌がらせのためにこんなことを!」
「あら、呼び捨てなんて偉くなったものねアン。そいつが来るまでは一番の下っ端だったくせに」
「関係ないわ! お姉さまって呼ばれたかったら、それに相応しい態度を取りなさいよ!」
普段はビビりなアンが、今日はえらい剣幕です。
でも、それも仕方ないのかもしれません。だって、チョコは私とアンで毎日のように必死に作り続けてきたものですもの。
大変だけど、おぼっちゃまが喜んでくれるから嬉しい、とアンはいつも笑っていました。
「ふん、なによシャーリィの金魚のフンが偉そうに。どの道、おぼっちゃまだっていつかはチョコに飽きるに決まってるわ。早いか遅いかじゃない」
「そ、それは……」
「ま、馬鹿の一つ覚えがいつまでも通用するなんて思ってたほうが悪いのよ。せいぜい、つまんないおやつでも出しておぼっちゃまに失望されることね!」
そう言って、ジャクリーンは高笑いとともに行ってしまいました。
本当に個性的な人です。まるで、少女漫画の中から飛び出してきたよう。
ここまでわかりやすい嫌がらせ、普通やりますかね?
などと私が思っていると、アンが半べそをかきながら言いました。
「どうしよう、シャーリィ、チョコがないと私達駄目だわっ……。もうおしまいよ!」
うーん、この子はこの子で極端です。そこまで落ち込まなくても。
でも、彼女がそう思うのも仕方ないのかもしれません。
実は私的には他の班の皆様にもチョコの作り方を伝えたかったのですが、アンが頑なにそれを留めていたのでした。
いわく、私達が生き残るためには気軽によそに教えたりしてはいけない。
せっかくおぼっちゃまに楽しんでいただけてるのだから、もう少し、もう少しだけでいいからチョコを私達だけのものにしようと。
ですが、それは失敗だったのかもしれません。
結果として、このようなことになってしまいました。
私は、落ち込んでいるアンの肩に手をおいて言います。
「大丈夫よ、アン。他にもおやつのアイデアはたくさんあるって言ったでしょ? なんとかなるわよきっと」
「シャーリィ……。でも、チョコを出し続けたかったの、私」
どうやら、アンはチョコに対する並々ならぬ思い入れができている様子。
ならしょうがありません。一旦アンを安心させるために、カカオを手に入れるところから始めましょう。
「アン、カカオはどこから仕入れていたかわかる?」
「えっと……カカオは、仕入れていたわけではないと思うわ。王宮農園で畑の魔女様が栽培したものだと思う」
王宮農園。畑の魔女。不思議なワードが出てきました。
そうでしたそうでした、王宮内にそういう場所とそういう方がいるのでした!
ぜひ行ってみたいと思っていたのに、忙しさにかまけてすっかり忘れていました。
と、なれば。やるべきことは、決まりました。
「じゃあ、王宮農園に行ってその畑の魔女様という方に聞きましょう! カカオは、次、いつ採れるかって!」
さあ、楽しそうな場所に出発です。
◆ ◆ ◆
「わああああっ……!」
そこが見えてくると、私は思わず歓声を上げてしまいました。
王宮の周りを取り囲む、広大な庭。それを抜けた先には、畑や果樹園などが広がっていたのです。
「凄い、広い! しかも、すっごく種類が豊富!」
そう、私が予想していたよりずっとずっとそこは広かったのです。
果樹園には何十本という多種多様な木が連なり、畑の種類も何十種類。
畑の魔女様とやらがやっているというから、個人の小さな農園を予想していたのですが。
「凄い、凄い! 街じゃ見かけない種類もいっぱい! 王宮に、こんな場所があったなんて! 冷蔵庫や保管庫に入っていたものは、ここで作られていたのね……!」
「あっ、ちょっとシャーリィ! 勝手に入っちゃ……」
我慢できず農園に飛び込んでいく私。
後ろでアンがなにか言っていますが、それどころではありません。
「うわあ、大きい! 立派なぶどう!」
垂れ下がっているぶどうを見て、思わず感嘆の声を上げてしまいます。
実がぱんぱんに張り、房に大量に生っているそれは、前世日本でも滅多にお目にかかれないほど立派なものでした。
さらには、りんごに梨にさとうきび。
様々な食材たちが元気に生えているその光景は、まるで天国のよう。
これだけの食材にまた巡り会えるなんて、我ながら良い世界、良い国に生まれ変わったものです!
……などと、私が目を輝かせてはしゃいでいますと。
そこで、鋭い怒声が飛んでまいりました。
「ちょっと、あんたたち! 農園に、勝手に入るんじゃないわよ!」
「ひえっ!?」
思わず背筋をピンと伸ばして、ビクリと驚いてしまいます。
何事かと思ってそっと振り返ると……そこには、怒った表情でこちらにやってくる小柄な人が。
「ちょっと、メイド! 誰が農園に入っていいって言った!? 関係者以外立ち入り禁止だって聞いてないの!」
「ご、ごめんなさい、ついはしゃいでしまいましてっ……」
ひええ。おっかない。
目の前までやってきた彼女は、編み込んだ茶色の髪を腰まで伸ばしていて、魔女っ子のような三角帽子を被り、農業服を着ているというなかなか個性的なお人でした。
そして、そのわずかにそばかすの浮かんだ顔を歪ませ、恐ろしい形相でこちらを睨んでいるのです。
服や顔が土で汚れているので、魔女様のお手伝いをしている方かしら、などと思っていると、アンが引きつった表情で言います。
「馬鹿、シャーリィ、その方が畑の魔女様よ……! もっとお詫びして!」
ええっ、この子が!?
嘘でしょ、どう見ても私より年下か、よくて同年代なんですけど!
ですが魔女というのですから、やっぱり怖い人なのでしょう。
どうしよう、魔女の農園を荒らしたなんて思われたら、動物に変えられたり鍋で煮込まれたりしちゃったり……!?
ガクガクと震える私。
そんな怯える私を魔女様はジロジロと見つめ、やがておっしゃいました。
「見ない顔ね。あんた、新人?」
「はっ、はい、最近入りました! それでっ……」
そこで、好機と見た私は手に持っていたバスケットをすっと差し出して、必死の思いで言ったのです。
「いっ、いつも食材を頂いているお礼に、お菓子を焼いてまいりました!」




