幕間・森の大魔女
「やれやれ。あんたも、ずいぶんと老けたね……いや、それはお互い様か」
シャーリィが、夕食にカツカレーを出した日の深夜。
王宮のとある一室に、森の大魔女と呼ばれる彼女の声が響きました。
その目の前には、見事な白いヒゲの男性……この国の王にして、ウィリアムの父親である人が、ベッドで静かに寝息をたてていました。
ここは、王の寝室。
病に倒れ、余命いくばくもない彼が、最後の時を過ごしている場所です。
「この王宮の庭で初めて会った時は、紅顔の美少年だったのにね。本当に、時間というやつは残酷だ」
二人きりの、暗い部屋の中でそう言って、そっと王の頬を撫でる大魔女。
すると、それに反応して、王の目がゆっくりと開きました。
「……誰かと思ったら……あなたか。最後に、会いに来て……くださったのですね」
「イッヒッヒ。寝てるところを、すまないねえ。こういう会い方しかできないもんでね」
「かまいませぬ。しかし、本当に久しい……。起き上がって、抱きしめられなくて、申し訳ない」
「イヒヒ。そういや、初めて会った日にはそうしてくれたね。ああ、まるで昨日のことのようさ。楽しかったねえ、あの頃は」
王と魔女は、旧い知り合いでした。
まだ大魔女が若く美しい姿をしていて、そして王が可愛らしい王子だった頃からの。
二人はその頃に戻ったように、親しく昔の思い出話を交わし合います。
そして、やがて大魔女は少し悲しい顔をして、そっと王に尋ねました。
「……私のことを、恨んでいるかい」
「恨む? なにをですか」
「あんたと、あの子を結んだことを、さ」
あの子、とは、王妃。つまり、ウィリアムの母のことです。
二人を引き合わせたのは彼女でした。
ですが、その後王妃は若くして病気に倒れ、王はそのことでひどく力を落とし、自身も病にかかったのです。
「もし、私が結ばなければ、あんたはもっと長生きできたかもね。それを……」
「魔女様。私は、あなたに感謝こそすれ、恨んだことなど一度もありませんよ」
病気とは思えぬ強い口調でそう遮ると、王は嬉しそうな顔で続けました。
「あなたのおかげで妻に会え、楽しい思い出がたくさんできた。ウィリアムという、愛しい息子も生まれた。最高の、人生だった。あなたのおかげです」
「……そうかい」
「それに、あなたと会えたこともだ。ありがとう、魔女様。ただ……気がかりなのは、幼いウィリアムを、一人残していくことです」
そう言いながらも、王のまぶたは少しずつ下がっていきました。
「あの子には、重荷を背負わせてしまう。それに、我が愛しい民たちのことも、気がかりです。魔女様、どうか……あの子と、民たちの、力に……」
「わかってる。大丈夫だよ。全部、大丈夫。だから、今夜はもうお休み。可愛い王子様」
そう言って、大魔女がしわがれた手で頭を撫でると、王はそっと目を閉じ、眠りにつきました。
それを愛おしそうに見ながら、大魔女は一人つぶやきます。
「大丈夫だよ。あの子の側には、強い光の子がついてくれているから。あの子が、ウィリアムも、この国も守ってくれる。だから安心おし」
そして、大魔女はそっと立ち上がると、未練を感じるように何度か振り返り、やがて王の寝室から静かに去ったのでした。
◆ ◆ ◆
「うーん、いい、これは凄くいいぞ! こうすればもっと効率が上がるな! そうか、後はこれを組み合わせて……」
王宮内にある、古ぼけた塔。
そこに、塔の魔女ことジョシュアの嬉しそうな声が響きました。
その目の前には、びっしりと機械のスケッチが描かれたキャンバス。
ジョシュアは今日も発明に夢中です。
ですが、そこでピタリと筆が止まり、彼女はゆっくりと後ろを振り返りました。
「……これはこれは。誰かと思ったら、大魔女様ではないですか! お懐かしい」
そう、そこに静かに立っていたのは、彼女の恩人である森の大魔女だったのです。
「イッヒッヒ、夢中なくせによく気づいたねえ。あんたにしちゃ、上出来だ」
「それはもう。最近は、部屋にやってくる人に敏感になったもので。愛しいメイドさんが、いつも面白い料理を持ってくるのでね。楽しみで仕方ありません」
本当は、大魔女が王宮に来ていることを聞いて、自分のところにやってくるのを待っていたのです。
ですが、それを素直に言うジョシュアではありません。
「なるほどねえ。どうりで、ガリガリだったあんたが丸くなってるわけだ」
「えっ……そんなに丸くなりましたか? 参ったな、空を飛ぶことを考えると、体重が増えすぎるのは考えものなのですが」
そう言って、十分細い自分の全身を見回すジョシュア。
そのどこかおどけた様子に、大魔女が笑みを浮かべました。
「冗談も言えるようになったのかい。楽しくやってるようだね」
「ええ。発明が気持ちいいほど進んでいますし、何人か友達もできたもので。……あなたの導きのおかげですよ。感謝しています、大魔女様」
「そうかいそうかい。じゃあ、その恩を返してもらおうかね」
大魔女がそう言うと、ジョシュアは「えっ」と声を漏らしました。
お礼の言葉だけで済まそうと思っていたのに、面倒なことになったかな。
そう思っていると、大魔女が続けて言います。
「もうじき、この王宮に大きな変化が起きる。ウィリアム王子や、あんたの大事なメイド、シャーリィの味方になっておやり。なにかあったら、あんたが力を貸すんだよ」
「……なんですって?」
それに、ジョシュアは驚いた声を上げました。
大魔女様は、予言もする。しかも、それは確実に当たる。
そんな話を、聞いたことがあったからです。
「そう言われても、ボクは自分勝手な研究ぐらいしかできませんが。というか、わかっているなら大魔女様がお力になればいいのでは?」
「イッヒッヒ、バカ言うんじゃないよ。私みたいなのが手を出しすぎると、ろくなことにはならないんだ。今でさえやりすぎってもんさ。……ほら」
そう言うと、大魔女が小さな袋を投げてよこしたので、ジョシュアは「わっ」と呟いて、慌てて受け止めました。
そして、なんだろう、と口紐を開いて覗いてみると、そこには真っ黒な、砂のようなものが入っていたのです。
「……? なんですか、これは。大魔女様」
「さあてね。私は運んできただけ。使い方はシャーリィに聞きな。使い道も、あんたたちが決めるんだよ」
そう言うと、大魔女は出口へと向かっていきます。
そして、去り際に、こんな事を言ったのでした。
「私は、しばらく旅に出る。こう見えても忙しいんでね。生きて戻ってこれたら、また顔を出すよ。……その時は、あんたの発明を見させてもらおう。だから、せいぜい頑張りな。じゃあね」
そう言って、大魔女は行ってしまいました。
それを見送ると、ジョシュアは不満そうな顔でつぶやきます。
「なんだい。それなら今、いくつか見ていってくれたらいいのに。これでも、成果を見せる日を楽しみにしてたんですよ。ふん、相変わらずマイペースな人だ」
だけどすぐに機嫌を直すと、ジョシュアは渡された小袋を見ながら、言いました。
「ま……良いだろう。ボクにやれることがあるというなら、言われなくたっていくらでも力になるとも。これでも、今ではこの王宮と仲間たちを愛しているのでね」
◆ ◆ ◆
……こうして、いくつかの出来事が起きては終わり、季節は秋から冬へと移り変わっていきます。
そして、寒さが本格的になってきた頃。
いよいよ王の容態が怪しい、という話が王宮中に広まり。
大きな変革の時期が、訪れようとしていたのでした。




