お米と収穫とジャクリーン4
「う~……ひっく……」
深夜、静まり返った王宮の廊下。
そこを、一人の少女がヨタヨタと歩いていました。
赤い髪をツインテールにした、その少女。
ジャクリーンは、片手にワインの瓶を持ち、赤い顔をしてつぶやきます。
「なによ、これ……。美味しいって聞いてたのに、全然美味しくないし、気持ちよくもならないじゃない……」
ぐいっとワインを呑み、不満そうにつぶやくジャクリーン。
ジャクリーンは、人生で初めてお酒を口にしていましたが、ちっとも美味しいとは思いませんでした。
なお、ジャクリーンは二十歳未満でしたが、この国では飲酒に年齢制限がないので完全に合法です。
「やなこと忘れられるって聞いたのに、気持ち悪くなるだけで全然良くない……。もう、サイアク……」
ふらふらと、時々壁にぶつかりながら、廊下を行くジャクリーン。
目的はありません。
今のこの、最悪な気分をどうにかしたい。
ただそれだけで、ジャクリーンは行くあてもなく、さまよっているのでした。
「……なによ……。そりゃ、私が悪かったわよ。でも、あの時はみんな追い詰められてて、私がやらなきゃって思ったんだもの……」
脳裏によぎるのは、シャーリィが王宮に来たばかりの頃。
おぼっちゃまから笑顔が消え、私たちではお力になれないのか、と、みんなが疲弊していました。
そこにやってきた、間抜け面の新人。
のほほんとしていて、まるで危機感がありません。
けど、人の良いクリスティーナたちは、追い出したりはしなかったことでしょう。
こんなやつがウロウロしていたら、全員の士気にかかわる。
どうせこいつだって、大した覚悟があるとは思えない。クビになったって気にやしないだろう。
そう思い、ジャクリーンはシャーリィを追い出そうと思ったのでした……みんなのために。
もちろんそれは間違った考えですし、まともな人のやることではありません。
ですが、そんな愚かな行為に対するしっぺ返しは、想像以上に重いものでした。
なにしろ、シャーリィはものすごい才能を発揮し、あっという間にジャクリーンの頭の上を飛び越えていってしまったのですから!
「……なによ……。みんなだって、迷惑そうにしてたくせに……!」
それに対する、バツの悪さといったら。
最初はみんなだって毛嫌いしていたくせに、今ではシャーリィ、シャーリィと頼り切り。
なにをするにも中心はシャーリィで、おぼっちゃままでもが溺愛している始末。
その陰で、一番実力で劣る四班の存在感はどんどん薄くなり、今では存在すらしていないかのようです。
必死に考えた新作おやつもあまり手を付けてもらえず、おぼっちゃまの視線は次の五班に向いている。
そしてシャーリィが何かを出すと、わっとおぼっちゃまが喜び、前に食べたおやつの事など忘れてしまうのです。
そして、自分の班に広がる、深い失望……。
自分の部下たちから感じるそれが、何より恐ろしい。
それを、ジャクリーンはもう一年以上も味わっていたのでした。
「……なによ、私だって……私だって、こんなに頑張ってきたのにっ……」
ボロボロと涙をこぼしながら、廊下を行くジャクリーン。
思い出すのは、子供の時のこと。
貴族の娘として生まれたジャクリーン。
ですが、その上には姉が何人もいて、両親はジャクリーンの将来をどうするかで悩んでいました。
貴族といえども、どの家もお金持ちなわけではありません。
広大な土地を与えられた大貴族もいれば、僅かな土地屋敷だけの名ばかり貴族もいるのです。
ジャクリーンの家は後者に近く、生活に困るほどではないですが、子供全員に贅沢をさせられるほどでもありません。
よその貴族と結婚させるため、次女まではかなりのお金を注ぎ込みましたが、それより下は自活させねばならない。
そのためにと、ジャクリーンは子供の頃からダンスや化粧ではなく、料理を仕込まれたのでした。
それは両親の善意でしたが、ジャクリーンにとって、それは。
(私は……嫌だった。料理なんて、大嫌い。手が荒れるし、しんどいし、美しくないし、ちっとも楽しくない。なんで私が、料理なんてしなくちゃいけないの!)
本当は、投げ出したかった。
だけど、ジャクリーンには他の生き方なんてできませんでした。
両親に言われるまま生きる以外のやり方なんて、教えられなかったからです。
綺麗に着飾り、毎夜のようにパーティに出かける二人の姉を、いつも羨ましく見ていました。
どうして、少し遅く生まれただけで、こんなに差をつけられなくちゃいけないの?
自分も、ああなりたい。きらびやかに生きたい。
辛くて、苦しい台所じゃなくて、明るい場所に行きたい!
そう切望し、メイドとして成り上がり、素敵な殿方……そう、大人気な騎士団長のローレンスなんかと恋仲になって、社交界デビューする。
そんな、妄想をした時もありましたが。
それを叶えたのは、自分ではなく、後から来たシャーリィだったのです。
(……憎い……。あいつが、憎い。どうして、あいつだけ……どうして、私じゃないの……!)
自分でもぞっとするほどの憎悪を、ジャクリーンは感じていました。
それは完全に逆恨みであり、シャーリィが悪いわけではないことを、ジャクリーンはわかっています。
それに、何度も仲直りするチャンスはあった。
なのに、その手を振り払ったのは自分だともわかっています。
それでも。
(……それでも……あいつが、凄いやつだって私自身が認めちゃってるのが、何より許せない……!)
シャーリィは、凄いやつです。
才能もあるのでしょうが、それ以上に、料理というものがすごく好きだと、嫌でもわかってしまうのです。
一日中でも料理をしているし、毎日毎日、どうやったら美味しくできるかばかり考えていて。
負けるものか、と同じように挑戦しても、自分が苦心している横で、あいつは幸せそうな顔をしているのです。
自分が、大嫌いな料理。
それが、あいつはあんなに楽しそうで、何よりも愛している。
その事実が、ますますジャクリーンの心を焼くのでした。
──私は、こんなに嫌な思いをして、こんなに頑張っているのに。
どうして?
「……」
気がつくと、ジャクリーンはメイドキッチンにたどり着いていました。
毎日毎日、通い詰めている、大嫌いな場所。
それでも、足は自然とここに向かってしまうのです。
「……なにか、食べ物……」
空きっ腹にワインを流し込んでしまったため、胃が気持ち悪くて仕方ありません。
なにか食べて緩和しないと、と、ジャクリーンの足は貯蔵庫に向かいました。
ゴソゴソと果物の棚を漁る、ジャクリーン。
ですが、その時、ある物に目が行ってしまいます。
「…………」
それは、シャーリィが置いた、お米の袋でした。
大きな、二つの米袋。
口を開いて見ると、そこには白い粒がたくさん詰まっています。
「……なによこれ、ほんと気持ち悪い。こんなもの、美味しいわけないじゃない」
そう言って、少しすくって口に放り込むジャクリーン。
すると、やはりそれは固くて気持ち悪い味がして、すぐに吐き出してしまいました。
「やっぱり、まずい。なによ、こんなの。おぼっちゃまが、喜ぶわけ……」
ない、と言いたかったけれど、それはできませんでした。
シャーリィのことです。これを使ってすごい料理を作り、またおぼっちゃまを驚かせることでしょう。
それを想像すると、また胸が焼かれる思いです。
自分が人生を犠牲にしたものよりも、あんな女がヘラヘラ笑いながら作ったもののほうが、ずっと、受け入れられるなんて。
そんなの、間違ってる。
「……これが、駄目になったら……あいつ、苦しむかな……」
ボツリ、とジャクリーンはつぶやきました。
それが恐ろしい考えだとは、わかっていました。
心の中で、そんなことをしてはいけない、と正気の自分が叫んでいるのも聞こえます。
それでも、酒で判断力を失ったジャクリーンにとって、今が現実なのか夢なのか、区別はつかず。
──気がつくと、彼女は。
ワインの瓶を、逆さにしていたのでした。




