ドーナツの騎士様6
「こ、これはおぼっちゃま……!」
まさか、まさかのおぼっちゃまの登場です。
慌てて廊下の隅に下がろうとした私を、おぼっちゃまが片手を上げて制します。
そのお顔は……どことなく、怒っているような気が……。
「お、おぼっちゃま、このようなところにお一人で、どうなされました?」
そう、おぼっちゃまはお一人でした。お付きも護衛も付けず。
ですがそんな私の質問には答えず、おぼっちゃまは不機嫌そうな声でおっしゃったのです。
「兵士たちに、おやつを出したらしいな」
っ……!
しまった。おぼっちゃまは、とても不満そうです。
どうやら、私はしくじったのかもしれません。
よくよく考えれば、私達メイドはおぼっちゃまのためにおやつを作る身。
そんな私達が、おぼっちゃま以外におやつを振る舞うこと。
それは、王族の方が口にする物を、目下の者に振る舞うことに他なりません。
それは、とても無礼なことだったのでは……。
メイド長のお許しがあったので完全に見逃していましたが、まずはおぼっちゃまにお伺いを立てるべきだったのでは。
(どっ、どうしよう、これっ……。もしかして、クビ……? いや、そんなぬるくないかも!)
最悪、本当の意味でクビ……つまり、断頭台行き。
王者の機嫌を損ねるということは、つまりそういうことなのでは。
いや、おぼっちゃまがそんな野蛮なことをするとは思えない。思いたくない。
とはいえ、出してしまったものはもうどうにもなりません。
冷や汗をダラダラ流しながら固まる私。ああ、今世もこれまでか。
まだまだ食べたいものがあったのに!
せめて、来世の私よ、どうかまた記憶を取り戻して。
いえ、その次も、その次も……!
覚悟を決める私におぼっちゃまはゆっくりとにじり寄ってきて、そして、私のメイド服のスカートをぎゅっと掴むと、私を見上げてこうおっしゃったのです。
「……余の分は?」
……へ?
思わず驚いた顔でおぼっちゃまを見下ろします。
私の服を掴み、不満そうに見上げるその顔は……ただの、お子様でございました。
(ああ、そういうこと……)
そこで、ようやく私は理解したのです。
おぼっちゃまは、今、王子としてお話ししていたのではありません。
わずか十歳の男の子として、不平等を怒ってらっしゃったのです。
「兵士たちが、楽しそうにおやつの話をしていた。穴が空いてて、ふわっとしてて、とびきり甘くて初めて見たって。ずるい」
「いっ、いえ、そのっ……。あれは、簡単なおやつでして、その、おぼっちゃまにお出しするほどかと言うと、そのっ……」
「ずるい」
にゅっと口を尖らせて、そうおっしゃるおぼっちゃま。
ですがおぼっちゃまは、おやつタイムにちゃんと別の物を食べてらっしゃいます。
それでも。それでも、自分が知らないものを私が出したということが、お気に召さないのでございましょう。
「余の分、作って」
「で、ですが、おぼっちゃま。そろそろディナーのお時間では……」
「作って!」
強い声でおっしゃるおぼっちゃま。
そこで、ついに私は観念し。
「わ、私が試食のために用意したものがございます。それでよろしければ……」
と、大事な大事な自分の分を、我が君へと差し出したのでございました。
◆ ◆ ◆
「おぼっちゃま。いかがでございますか?」
おぼっちゃまの前に茶をお出ししながら、私が尋ねます。
すると、おぼっちゃまはドーナツを噛み締め、幸せそうに微笑んでおっしゃいました。
「おいしい! これが、ドーナツか」
そしてそのまま、真ん中に空いた穴をじっと見つめます。
場所は、私の超狭いメイド部屋。
ドーナツをすぐに食べたい、けど人目につくとうるさいとおっしゃり、まさかまさかの展開でおぼっちゃまがおしかけ……もとい、おいでになられたのでございます。
「ドーナツは、どうして穴が空いているのだ?」
「おそらく、揚がり具合を均等にするためでございます。穴がないと、中心と周りとでは揚がり具合が変わってしまいますので」
「ほう、これは揚げたお菓子なのか。どうりで変わった食感だと思った」
おぼっちゃまが、世界の神秘に触れるようにおっしゃいます。
そして、続けておっしゃいました。
「しかし、おそらくとは他人事のように言うな。ドーナツは君が考えたものではないのか、シャーリィ」
「うっ」
しまった。またやってしまいました。
どうしても自分のもののように言うことに抵抗があり、こういう言い回しになってしまいます。
こうなると、また嘘をつかなくてはなりません。
心苦しく思いつつ、私は言いました。
「わ、私の父は商人でございます。故に旅商人たちとお話しする機会も多く、よく遠方のお菓子の噂などを聞きまして。実はそれを元に、作っているのでございます」
「ふうん、そうであったか」
おぼっちゃまはそうお答えになりました。
はたして納得してくださったのか。頭の良い方なので、もしかしたら私の嘘ぐらい見抜いてらっしゃるかも。
それでも重ねて問うことはなさらず、ドーナツを齧りながらおっしゃいました。
「なんにしろ、シャーリィの作るものは珍しくて美味しい。それでよい」
「もったいないお言葉でございます……!」
慌てて頭を下げようとした私を、おぼっちゃまが手で制しました。
いちいち大仰にやらなくていい、ということでございましょう。
そしておぼっちゃまはドーナツの一つを手に取り、私に差し出しながら言いました。
「一緒に食べよう」
「えっ、で、ですが……」
「いいから。さあ」
王子様と一緒におやつを食べるなんて、メイドに許されるのでしょうか。
そうは思いましたが、本来はひどく楽しみにしていたドーナツです。
誘惑に勝てず、私はそれを手に取りかじりつきました。
「おいしーい……!」
思わず声が漏れます。
揚げたてドーナツも大好きですが、しばらく時間が経ったドーナツも私は大好きです。
表面についた砂糖と生地が合わさって、実にグッド。
これを作った人は間違いなく天才ですね……あ、私でした。
などと喜んでいる私に、おぼっちゃまがおっしゃいました。
「この事は秘密だぞ、シャーリィ。夕飯の前にメイドの部屋でおやつを一緒に食べた、なんてことがうるさい奴らに知られたら大事だ」
「もちろんでございます。そしたら、私も処罰されてしまいますもの」
「じゃあ、余たち二人きりの秘密だ」
そう言って笑ったおぼっちゃまの笑顔は、完全にいたずら小僧のものでございました。
前世でも今世でも私に弟はいませんが、いたとしたらこんな感じでしょうか。
そう考え、私も思わず笑みを浮かべてしまいます。
こうして、私達は笑い合いながらドーナツを心ゆくまで楽しんだのでした。
◆ ◆ ◆
この日、私はこのようにおぼっちゃまの新たな面を知り、もっともっと好きになってしまったのです。
ドーナツの騎士様も、大事に抱えていたドーナツの籠を自室に隠し、満面の笑みを浮かべていることでしょう。
兵士の皆様はようやくの休息を楽しみ、メイドの皆様も今日の日の出来事を楽しそうに話し合い。
落ち着きを取り戻した王宮はゆっくりと夜に染まっていき、穏やかな時間がすぎていくのでした。
ですが……私にとって、これは次の事件への始まりに過ぎなかったのです。
まさか、おぼっちゃまにお出しするべき”アレ”があんなことになるなんて……この時の私には、知る由もなかったのでした。
読んでいただいてありがとうございます!
下の☆を押して応援してくださると、その分シャーリィがクッキーを焼きます。




