特別な夜のハンバーグセット5
「ウィリアム様」
横からマルセルさんの声が聞こえてきて、そこで私はハッとしてしまいました。
(やばっ……マルセルさんたちのこと、完全に忘れてたっ!!)
そう、これはあくまで勝負。
お互いに料理で競い合うという名目でした。
ですが、私はつい盛り上がり、先手だというのに、おぼっちゃまにたらふくハンバーグを食べさせてしまいました!
これって、ルール破りもいいところなのでは。しまった……!
「もっ、申し訳ありません、マルセルさん! で、ではこれから交代ということで……」
「う、うむ、そうだな。ではどうする、一度ダイニングに戻って……」
慌てて言う私とおぼっちゃま。
ですが、マルセルさんはフルフルと首を振り、コック帽を頭から下ろしてこう言ったのでした。
「その必要は、ございません。私の……負けに、ございます」
「えっ……」
その言葉に、驚いた顔をする私たち。
そんな私たちが見つめる中、マルセルさんは深く頭を下げ、こう続けたのでした。
「いいえ、そもそも私はずっと負けていたのでございます。私は……ずっと、ウィリアム様に喜んでいただくことができなかった。本当は、私こそがウィリアム様に笑顔になっていただける料理を作らねばならなかったのに。私は……ディナーシェフ失格にございます」
「マルセル……?」
呆然とした様子で、マルセルさんの名を呼ぶおぼっちゃま。
その目の前で、頭を下げたままマルセルさんは続けます。
「ウィリアム様がお一人で食事をするようになってから、せめて美味しいものを召し上がっていただこうと、努力してきたつもりでした。ですが、私ではどうしても至らなかった。今日、シャーリィ殿の用意したこの場を見て、そのことをはっきりと認識しました。本当に、申し訳ありませぬ……」
……そう。やっぱり、そうだったのね。
きっと、それが今回のマルセルさんの狙いだったのでしょう。
マルセルさんは、毎日、寂しそうに食事をするおぼっちゃまを見ていられなかったのでしょう。
そして、自分ではおぼっちゃまを笑顔にできないのかと、苦しんでいたのだと思います。
どうにかしたい、だけど料理人にすぎない自分にはどうすることもできない。
だから、誰かにそんな状況を動かして欲しかった。
どうやったら、おぼっちゃまを喜ばせることができるのか。
どうやったら、一人きりのおぼっちゃまの力になれるのか。
それを知りたくて、藁にもすがる思いで私に声をかけたのではないでしょうか。
最初に会った時の、あの悲しそうな瞳。
あれは、きっとそういうことだったのでしょう。
だから、私は全力でこの場を用意しました。
きっと、これが答えの一つだと思ったから。
私は、力になれたかしら……そう思った、その瞬間。
しかし彼はそこで、予想外なことを口走ったのでした。
「王宮の食卓を任される身でありながら、この体たらく。私は、自分が情けない。かくなる上は、責任を取り、シェフの座を降りたく思います。どうか……どうか、お許しくだされ」
……なんでそうなるの!?
いやいや、そうじゃないでしょう!
真面目過ぎますよ、マルセルさん!!
私は慌てて止めようとしますが、ですがそれより早く、おぼっちゃまが動かれました。
席を立ったおぼっちゃまは、マルセルさんの側に近寄ると、その目をじっと見つめて言ったのです。
「……すまぬ、マルセルよ。お主にそのような思いをさせたのは、余の不徳だ。どうか、許してほしい」
「うっ、ウィリアム様……!?」
恐れ多い、とばかりに動揺した様子で膝をつくマルセルさん。
その肩にポンと手を置くと、おぼっちゃまは辛そうな表情でおっしゃったのでした。
「たしかに、余は一人での夕食が辛かった。ふとした瞬間に、父上や母上の姿を探してしまうからだ。いくら食べても、満腹になれずにいた。だが……お主の夕食を、一度でも美味しくないなどと思ったことはないぞ」
「ウィリアム様……」
「お主の料理は、余の好物なのだ。だから、辞めるなどと寂しいことは言ってくれるな。……お主の料理の味は、きっといつまでも忘れない、余の思い出の味なのだから」
そう。そうですとも!
どれほど大きくなっても、母の味というものは忘れないもの。
私だって、前世と今世、両方の母の味をよく覚えています。
そして、おぼっちゃまにとってのそれは、きっとマルセルさんの作った料理。
おぼっちゃまを食いしん坊にしたのは、間違いなくあなたなのです。
どれほど私の味が珍しくたって、それだけは、絶対に変えられないのですから!
「おおっ、ウィリアム様……。申し訳ありません、申し訳……」
ボロボロと涙をこぼしながら、おぼっちゃまの手にすがりつき、謝罪を口にするマルセルさん。
私は、それを見て、思わずもらい泣きしてしまいました。
私だって、来たばかりの頃はおぼっちゃまに食べてもらえなくて、苦しんだのですから。
その気持ちは、とってもわかります。
それも、おぼっちゃまの成長をずっと見守ってきた方なら、もっとでしょう。
ええ、私で力になれるなら、いくらでもお手伝いいたします。
だから、どうかおぼっちゃまの側にいてあげてくださいまし。
「……余は、幸せものだな。これほど大勢の者が、親身になってくれるのだから」
そう言ったおぼっちゃまの視線の先には、遠くで様子を見ているアガタたちと、調理を終えて駆けつけてくれたアンの姿がありました。
ええ、もちろんです、おぼっちゃま。
いつでも……私たちが、お側に仕えておりますわ。
あなたを、一人になんてさせませんとも。
「ありがとう、皆の者。余は……余は、お腹いっぱいだ」
満足そうなお顔でおっしゃる、おぼっちゃま。
こうして、この夜以降。おぼっちゃまの異常なほどの食欲は、少しずつ鳴りを潜めていったのでした。
……それでも、人の何倍も食べますけどね!




