ドーナツの騎士様2
そして、その日のおやつタイムとなりました。
城内を慌ただしく兵士の皆さまが走り回る中、私達も落ち着かない気持ちで準備を進めます。
中庭に机と椅子を並べ終わり、各班が丹精込めて作り上げたおやつを構え、おぼっちゃまの登場を待ちます。
やがて足音が響いてきて、おぼっちゃまが姿を現すと全員が緊張した顔をしました。
ですが……おぼっちゃまの後ろに続いている人物を見た瞬間、だれかがきゃっと声を上げたのです。
「ローレンス様……!」
そう、おぼっちゃまの後ろに続いていたのは、イケメン騎士のローレンス様だったのでした。
「失礼、メイドの皆さん。今日は王子のお側に仕えさせていただきます。どうぞ、私のことは気になさらず」
「きゃあっ……」
かなり潜めていますが、メイドの中から黄色い声が飛びました。
気分は、急にアイドルと出会って舞い上がった女の子といったところでしょう。
ですがその瞬間、鋭い叱責の声が飛びました。
「誰ですか、いま声を上げたのは。お坊ちゃまの前で粗相をするような娘をメイドにした覚えはありません」
鬼婆……もとい、メイド長です。
いつものとおり硬い顔をしたメイド長もいつもどおりに姿を現し、こちらを睨みつけます。
私達は一斉に竦み、わずかに震えながら深々と頭を下げました。
「今日は、おぼっちゃまの警備として騎士団長のローレンス様がついてくださいます。みっともない真似を見せるメイドは、お城にはいりません。いいですね?」
「はい、メイド長!」
震え上がり、完全に女の側面を隠したメイド一同が、ピタリと声を合わせます。
私もそれに習いますが、顔を上げた時にローレンス様と目が合い、彼ははにかんでおっしゃいました。
「やあ、君は昨晩の。よく眠れたかい」
「はい、ローレンス様、おかげさまで。本当にお世話になりました」
どうやらメイドの群れの中で、かろうじて私の存在は認識してくださっているようです。
スカートを摘んでお辞儀する私。ですが、そこでメイドの皆様の視線が自分に集まってくるのを感じました。
それは、まあ多分そのほとんどが羨ましいとか、妬ましいとか、なにローレンス様とお話してんじゃいとか、そんな感じでしょう。
いけないいけない、女の嫉妬は致命傷。目立たないようにしないといけません。
「では、おぼっちゃまに今日も素敵なおやつを」
メイド長が号令を発し、おやつタイムが始まりました。
ナプキンを付けて、楽しそうにおやつを待っているおぼっちゃま。私が来た当初のつまらなさそうな顔とは大違いです。
その期待に応えるべく、次々とおやつをお出しする各班。
そのほとんどはパンのたぐいで、しかもどれもしっとり系。おぼっちゃまの好みがそっちだと把握してからは、皆さんこっちで勝負をしかけています。
しかもその中には、中にジャムが詰まっているものも。ジャムはこの世界でもありふれていますし、模倣は簡単です。
私達の三色パンと被せてきていますが、なに、問題はありません。
やがて私達の番になり、私はそっとそれをお出ししました。
「チョココロネでございます」
チョココロネ。ぐるぐるのパン生地の中に柔らかチョコレートカスタードが詰まった、憎いやつ。
これも、私が子供の頃から大好きなパンの一つです。
「ほう……面白い形だな。チョコが見えていて、美味しそうだ」
チョココロネを手に取り、チョコを覗き込んで目を輝かせるおぼっちゃま。
ああ、この反応。私もチョココロネをはじめて食べる時はこんな顔をしていた気がします。
チョココロネの大きな穴から覗く、チョコレートカスタード。
チョコの味を知っていれば、期待せずにはいられません。
まさにチョコの魅力が前面に押し出された素敵なパン、チョココロネ。
見ていると、私もまた食べたくなってしまいます。
なにしろチョコを作れる量が限られているので、私もそんなにたくさん試食はできていないのでした。
「ふむ。これは、どちらから食べるのが正解なのだ?」
チョココロネをぐるぐる回ししながらおっしゃるおぼっちゃま。
チョコが顔を出している頭の方からか、それとも閉じている尻尾の方からか。
それはチョココロネを食べるにあたっての永遠の命題と言えるでしょう。
「お好きな方からで大丈夫でございますが、私のおすすめは頭の方ですわ」
「頭の方……こっちか」
そう言ってチョコがむき出しの方を見つめるおぼっちゃま。
そのまま大きく口を開けて、かぷりとかぶりついた瞬間、おぼっちゃまが思わず声をお上げになりました。
「甘い! 柔らかくて、甘くて、とても美味しいぞ!」
そうでしょう。そうでしょうとも。
チョココロネを食べたときの正しい反応は、まさしくそれでございましょう。
特に頭の部分は、チョコとパンの比重が大きくチョコに傾いております。
口に残るのは、大きなチョコの甘み。それと、申し訳程度のパンの味わい。
しかし食べ進めていくとちょっとずつパンの比重が増えていくという、一つでいくつかの味の段階を楽しめるチョココロネ。
本当に、パンの業師と呼ばざるを得ません。
「もうなくなってしまった。シャーリィ、チョココロネはまだあるか?」
「はい、もちろんですおぼっちゃまっ」
早速パンの名前を覚えてくださったぼっちゃま。
もちろんチョココロネはどっさり作ってございます。
で、残ったら自分で食べるぞー! などと考えていたのですが。
「美味しい、美味しい」
と、おぼっちゃまがそれはもう美味しそうに食べ進めてくださり、無事私の望みは潰えそうなのでした。
まあもちろん、それが一番なのですが。
(……あれ?)
おぼっちゃまの食いっぷりをニコニコ笑顔で見守っていた私。
ですが、その時、ふとあることに気づきました。
おぼっちゃまの横で警備に当たるローレンス様。
その視線が、チョココロネに向かっているのでございます。
あら、もしかしてローレンス様もチョココロネを食べたいのかしら。
そう思っていると、そこで私の視線に気づいたおぼっちゃまが振り返り、ローレンス様におっしゃいました。
「ローレンス。おぬしもひとつ食べるか? シャーリィの作るおやつは、甘くてとても美味しいぞ」
「えっ……」
すると、ローレンス様はひどく狼狽した様子で視線を迷わせ、口ごもり、やがてすっと片膝を地面につけて答えました。
「とんでもございません。殿下のお食事を私めなどがそのような。私は、なんとも見たことのない菓子だなと思っていただけでございます」
「そうか。シャーリィは珍しいおやつを作るのだ。これも、食べたことのない味わいで実に良い。おぬしになら分けても構わぬ」
「いえ、おぼっちゃま、気高き方がそのような。それに、私は甘いものは苦手にございます」
おぼっちゃまの誘いを断り、ローレンス様がおっしゃいます。
すると、お姉さま方がささやき声をあげました。
「そうよね、ローレンス様は騎士の中の騎士ですもの。甘い物を召しあがるわけがないわ」
「さすがですわ、やはり肉食系であらせられるのね」
なんて、うっとりとした生ぬるい空気が流れてくるのを感じます。
おぼっちゃまはそんなローレンス様に無理強いはせず、そのまますべてのチョココロネを平らげてくださいました。
「ああ、美味しかった。このチョコというのは、本当に口に合う」
「うれしゅうございます、おぼっちゃまっ! チョコは栄養がたくさん……もとい、食べると元気になる素晴らしいおやつにございますわ」
栄養、と言ってもおそらく伝わらないので言葉を選ぶ私。
前世とは違い、この世界ではまだ栄養学なんて考えは存在しないでしょう。
「たしかに、チョコを食べた後は特に頭の調子がいい。いつもありがとう、シャーリィ」
「とんでもありません、おぼっちゃま!」
私のような下々に御礼の言葉を投げてくださる、名君おぼっちゃま。
本当に嬉しくて自然と頭が下がりますが、そこでふとローレンス様に目が行きした。
微笑んで、何事もなかったかのような顔をしているローレンス様。
ですが、私にはわかってしまったのです。
チョココロネがなくなった皿に向ける視線、わずかに寄っている眉根。
そして、周囲がローレンス様に向ける感情。
……なるほどね。
これは……嘘の匂いがしやがります。