ピタピタ!
一真と椿が話し込んでいる内に一星は型の練習を終えて、二人の方へ戻ってきた。
「終わったよ、二人とも!」
「お疲れ様です。ご主人様」
「お疲れ」
椿はいつ用意していたのかスポーツドリンクとタオルを一星に手渡している。
隣で見ていた一真は実に羨ましい事だと軽い嫉妬をしながら、一星が汗を拭き終えるまで待った。
「ふう……。ありがとう、椿」
「如月。水分補給して少し休んだら、俺と組手な」
「ああ。分かった!」
「ご主人様。ストレッチを手伝いましょう」
一星は一真の指示に従って、しばらくの間、椿と談笑しつつ休憩した。
休憩を終えた一星に椿がストレッチを手伝い、軽く筋肉をほぐしてから一真と中央で向き合う。
一星はプロテクターで全身を守っており、一真は何も付けておらず、運動しやすい格好だった。
「さっきは本気でやったが今回はお前に合わせる。基本は実戦形式だ。好きなように攻めて来い」
「おう! よろしくお願いします!」
元気よく返事をした一星はお辞儀をしてから拳を構えた。
対する一真は両手をダラリと下げており、リラックス状態である。
二人から離れた場所で見守る様に椿は佇んでいた。
先に一星が動く。
一真に向かって大きく踏み出し、正拳突きを放った。
「しっ!」
綺麗な正拳突きである。
真っすぐに伸ばされた拳が一真の顔面に迫りくる。
直撃すれば鼻は陥没し、大怪我は免れないだろう。
だが、それは当たればの話だ。
一真は眼前に迫りくる拳を紙一重で避ける。
一星は一真の実力をよく知っている。
いいや、痛感している言っていいだろう。
実際に戦って瞬殺された身である一星は一真の実力を知り、信頼していた。だからこそ、攻める手は一切緩めない。
「ふっ!!!」
連打を放つ。
息をも吐かせぬ連打を放った一星。
その動作は基本に忠実で、まるで魅せるかのように綺麗な動きをしている。
一真はその動きを見て、やはり自分よりも才能があるのだと嫉妬を覚える。
もしも、一星が異世界に召喚されていたなら自分よりも上手く世界を救えたのではないかと思うほどだ。
しかし、選ばれたのは自分である。
ならば、自信を失う訳にはいかない。誇りを忘れてはいけない。
自分が歩いてきた道を否定してはいけない。
「(……アホらしい)」
組手の最中に考える事ではないと一真は自嘲する。
一星は確かに才能の塊だ。
異能もさる事ながら自身の才能も凄まじいというのは酷く嫉妬を覚えるものだが、自分も大概であろう。
何せ、異世界で魔法を習得し、こちらの世界でも無双しているのだから。
「はあっ!!!」
綺麗な回し蹴りが炸裂する。
一星の回し蹴りは一真の側頭部を捉えていた。
だが、当たる事はなく、その回し蹴りは空を切り、一星のバランスが崩れた。
その瞬間、一真が軸足を蹴って一星を転がす。
瞬時に受け身を取って体勢を整える一星であったが目の前には一真の拳が止まっていた。
「ッ!」
「悪くない動きだった。だけど、ちょっと素直すぎるな。基本に忠実って点は良い。ただもう少しフェイントを覚えた方がいいかもしれん」
「そっか~」
コロンと後ろに倒れる一星は天井を見上げる。
まるで手が届かない一真のようだと天井に手を伸ばし、グッと拳を握った。
それでも手を伸ばし続け、いつかはその背中に指先が掠るくらいは強くなってやると強く誓う。
「……どうした?」
「ああ、いや……遠いな~って思って」
「ん? あ~……。まあ、そう簡単に追いつかれるような場所にはいないさ」
「……一真って意外と人の心とかに機敏なのか?」
まさか、内心で思っていた事を悟られるとは思っていなかった一星。
驚いたような顔をしながら一星は一真を見つめている。
「失敬な奴だな。まあ、そう思うのも無理はないか……。ハワイに来てからも随分とやらかしてるからな~」
「自覚してたんだ……」
「俺は確かに馬鹿だが愚鈍ではないんだぞ」
「お、おう……」
「まあいいか。それより、早く立て。まだまだ時間はある。少しでも俺に追い付きたいなら、もっと足掻いてみせろよ」
「言われなくても!」
バッと勢い良く立ちあがった一星は再び拳を構えた。
同じく一真も拳を構え、かつての自分を思い起こすような一星を笑顔でぶん殴った。
「ハッハー! 油断大敵だ! よーい、どん! で戦いが始まるんじゃないんだよ!」
「ぐ! この! やりやがったな!」
「そうだ! その気持ちを大切にしろ! それがお前を強くする!」
「うおおおおおおおおお!」
負けん気に満ち溢れた雄たけびを上げながら一星は一真と組手を続ける。
殴られ、蹴られ、ひっくり返されても何度でも立ち上がり、少しでもその背中に追い付こうと一星は懸命に戦った。
就寝までのほんの短い時間であったが過ごした時間はとても濃いもので、一星にとっては生涯忘れる事のない思い出となったのである。
「ハアッ……ハアッ……!」
猛暑日に汗だくで倒れている高校球児のように激しく胸を上下させている一星。
その横で快活に笑い、いい汗をかいたと爽快な一真が立っていた。
「明日は全身筋肉痛だな! よくストレッチして水分補給を忘れるなよ。それじゃ、椿さん。後はよろしく」
「はい。お疲れ様でした。また機会があれば私とも手合わせしてくださいね」
まるで朝日のように晴れやかな笑みを浮かべて一真は片手を挙げ、訓練所を去っていく。
残された一星は呼吸が整うまで、ずっと床に寝転がっていた。
「ハア……。疲れた」
「ご苦労様でした。どうでしたか? ご主人様」
「……強い。果てしなく強いよ。それでやっぱり一真はいい奴だよ。俺の事嫌いだって言ってたけど、最後までちゃんと稽古の相手をしてくれたんだから」
「そうですね。一真君はいい子ですよ。容赦ない一面もありますが」
「ハハ、そういえば最初はぶっ殺されたたもんな」
「ご主人様、もう少し考えてから喋りましょうね」
「あい……」
事実とはいえ、もう少しオブラートに包んでから言うべきであろうと椿は腹を立て、一星の頬を抓った。
「いてて……。なあ、椿。俺、追いつけるかな?」
一真も認めていたように一星には才能がある。
椿もそれは理解しているが、それでも無理だろうと思った。
確かに一星ならいずれは一真の背中に指先が届くだろう。
しかし、大前提として才能以前に時間が足りなさすぎる。
一真の強さは膨大な経験によって鍛えられたものであるから、一星がどれだけ努力しようとも追い付けない領域に立っているのだ。
恐らく、一星が今後の人生を武術の鍛錬に注ぎ込んでも一真の足元にも及ばないだろう。
それだけ一真と一星の実力は離れすぎているのだ。
「椿。嘘偽りなく答えてくれ」
「ッ……!」
強制命令というほどでもないが一星の真剣な眼差しに椿は覚悟を決めた。
主が腹を括っているのだから自分が躊躇ってどうする。
椿は残酷な現実を一星に教える。
「ご主人様が一真君に追い付くのは一生無理です。これから先、どれだけご主人様が鍛錬を積もうとも彼の背中どころか足元にすら届きません」
「……そっか。そっか~……」
椿の言葉を噛み締めるように涙を堪える一星。
分かっていたが、やはり改めて聞かされると堪えるものがある。
出来る事ならほんの僅かでもいいから可能性は欲しかった。
しかし、現実はそう甘くない。
一真との間に断崖絶壁よりも険しい壁がある事を理解した一星は涙が零れそうになった。
「……うっし!」
一星はプロテクターを外して目元を強く擦った。
流れ落ちそうになっていた涙を拭った一星は決意する。
「追いつけなくてもいい。だけど、諦めないよ。俺は」
「ご主人様……」
「それに……目標は高ければ高いほどやり甲斐があるってもんさ!」
拳を天井に向かって突き上げ、朗らかな笑みを椿に向ける一星。
その表情に一切の陰りはなく、宣言通り諦めないという気持ちが強く伝わってくる。
目標はあまりにも高いが一星がそれを目指すというのなら椿は出来る限りの援助を惜しまない。
「そうですか。では、明日からより一層厳しく稽古をつけましょうか」
「え、あ、いや、多分明日は筋肉痛だから明後日からで……」
「何を弱気になっているのですか。一真君を目指すというのなら、それくらいどうという事もないでしょう?」
「さ、流石に休息は必要だと思うんだけど……?」
「普通なら許可したでしょうが定めた目標が一真君であるなら休んでる暇は一切ありませんよ。明日から覚悟してくださいね」
「……ハイ」
少し早まったかもしれないと若干後悔するが、一度口にした以上は後には引けないと一星は決心する。
一方その頃、一真は汗を流す為、大浴場にやってきていた。
ほとんどの学生は自室に備えてあるバスルームで満足しているので大浴場を利用している学生は今の時間帯にはいない。
ほぼ貸し切り状態になっている大浴場で一真は生まれた姿のまま、はしゃぎ回って、最後は有名人がレクチャーしていた男根を大きくする体操を3セットほどやってから大浴場を後にする。
今日も一日にお疲れ様と自分を労ってから一真は眠りに就くのであった。
「おやすみ!」




