歌姫
ついにこの日が来ちゃった…!
丁度今私の2人前のエントリー者が歌い終わったところで、審査員の人達にいろいろ意見を言われている最中だ。
ーーここに来てからまず企画室に応募を取り下げてもらえないかな頼んだのだが、例え手違いだとしてももう今更取り下げられない、ということだった。
普段は受け入れられるようなのだが、どうやら今回は特別ゲストとして審査員に有名なプロデューサーを呼んでいるらしく、その人の機嫌を損ねたくないらしい。
こんなところでも目に見えない上下関係があるんだなあ…
そんなことをぼーっと考えていると、すでに前の人が歌い終わる頃だった。
どうしよう、もう逃げられない。この番組は生放送だから、もしここで変な振る舞いをしてしまったらまた学校で色んな人に馬鹿にされるに決まってる。
ああ、前の人が歌い終わった。次は私の番。
「続いて、エントリーNo.20 菜子さん!それでは歌ってもらいましょう、『君と僕が生きた時間』」
わあ、歌う曲まで決められちゃってるのね!?
でもよかった、最近聴いたことのある曲だからかろうじて覚えてる。
何台ものカメラが私を見つめている。誰かの前で歌うなんて、これまで考えたことがなかった。
でも、もうここまできたら覚悟を決めなきゃ。
大きく息を吸い込んで歌い出した。
「ーー♪ごめんねと呟く君が、いつもより少し儚く見えて 僕はたまらず君の肩を抱きしめたーー」
出だしは少しだけ声が震えた、でも思っていたよりスっと声が出た。むしろ、いつもより調子がいいかもしれない。
こんなに緊張しているのに、色んな人の視線の中心で歌うことが出来ていること。
普段だったら考えられない状況下だからこそ、信じられないくらい伸びやかに歌えていることが自分でもわかる。
ザワザワとしていた会場が静まりかえった。もう私の歌しかここでは聞こえない。
審査員の人達が険しい顔でこちらを見ている。
自分はやっぱり下手なのかもしれない、人に聴かせることができるだけの実力ではない。
でも、今だけはそんなことどうでもよかった。
いつもの自信のない自分が信じられないくらい、今の私はどうしようもなく楽しくて、ワクワクしていて、心から歌うことを楽しいと思っていた。
そろそろ歌が終わる。一瞬だったけど素敵な時間だった。こんな気持ちになれたのは、ある意味イタズラで私をこの番組に応募した誰かのおかげだろう。
歌い終わると、審査員からいろいろな意見が伝えられる。険しい顔をした人、ニコニコと微笑んでくれる人、表情ひとつ変わらずに批評してくれる人。いろいろいたが、1人だけ、私でも分かるくらい異彩を放つ男の人がいた。周りと比べると一際目立つスタイルの良さで、サングラスをかけていて怖そうだったが、その人へマイクが渡されるとニヤッと笑ってこう呟いたのだ。
「ーーやっと見つけた…歌姫。」